水草牧師の説教庫

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さあ、河馬を見よ

ヨブ31章全体、38章1-6節、40章全体,42章1-6節

 2019年12月29日 苫小牧主日朝礼拝説教

 

序 今年、私たちはヨブ記を味わいながら待降節を過ごしました。

 義人ヨブは一時に全財産と子どもたちと健康を失いました。あまりの苦しみの中でヨブは自分は生まれた日を呪いました。すると、3人の友人たちは、「ヨブよ。君は立派そうにふるまっていたけれど、陰に隠れて悪いことをしていたのだろう。そのバチがあたったのだ。悔い改めよ。」という趣旨のことを繰り返しました。

 友人たちにも理解してもらえない苦しみの中で、ヨブは神に対して、「なぜ正しいものが苦しみに会わねばならないのですか?」とその苦しみの意義を求めました。 しかし、神に苦難の意味を叫び求めるうちに、無限の神と有限な私たち人間、創造主と被造物である人間、聖なるお方と罪ある人間、両者の間には絶望的な隔たりがあることに、ヨブは改めて気づいたのです。

 しかし、上からの啓示によって、天には、神の前にわたしのことを保証してくださる方がいるに違いないと信じるようになります。さらに、後の日に、その、神と自分の間を取り持ち保証してくださる方は、必ずや地の上に立たれるという幻をヨブは見るにいたったのでした。クリスマスの出来事の預言でした。以上が、ヨブ記19章までの概要です。

 しかし、友人たちとの議論はなおも続いていきます。今日は、まずヨブのかつての誠実な生き方を振り返ります。次に、ついに創造主なる神の答えについて、です。

 

1 ヨブの誠実な生き方

 

 29章から31章ではヨブは、かつてこのような苦難に遭う前の日々のことを思い返しています。人々はヨブの誠実な生き方、知恵に対して敬意を払いました。(29章1-11節)。

 それはヨブが、まず、みなしごややもめを支援し(29章12節、13節)、目の見えない人の目になり、脚の萎えた人の足となり、貧しい人の父となるというあわれみ深い生き方をしていたからです(15,16節)。さらに、不正を働く者の牙をくだくという誠実な生き方をしていたからです(17節)。

 

 31章でヨブは、自分は力を尽くして、自分は不品行や偽証などの罪を避け、誠実に生きることに努めてきたといいます。

1節「私は自分の目と契約を結んだ。どうして乙女に目を留められるだろうか。もし、私の心が女に惑わされ、隣人の戸口で待ち伏せしたことがあったなら、私の妻が他人のために粉をひいてもよい。また、他人が彼女と寝てもよい。これは恥ずべき行い、裁判で罰せられるべき不義であるからだ。実に、それは滅びの淵まで焼き尽くす火だ。私の収穫をことごとく根こそぎにする。」

 

 また、ヨブは身分の低い者との争いがあった時にも、身分の低い人々に不当な扱いをしたことはありませんでした。創造主の前には人間は平等なのだからという趣旨のことを語ります。

「13,もし、しもべや召使いの女が私と争ったとき、私が彼らの訴えを拒んだことがあるなら、14,神が立たれるとき、私はどうすればよいか。また、神がお調べになるとき、何と答えたらよいか。15,私を胎内で造られた方は、彼らをも造られたのではないか。同じ方が、私たちを母の胎内に形造られたのではないか。」

 

 また、ヨブはやもめやみなしご、貧しい人々に対するあわれみの実践をかかしたことがありませんでした。

「16,もし、私が弱い者たちの望みを退け、やもめの目を衰え果てさせ、

17,私一人だけでパンを食べ、みなしごにそれを食べさせなかったのなら、

18,──実は私の幼いときから、弱い者は私を父のようにして育ち、私は生まれたときから、やもめを導いた──

19,あるいは、もし私が、着る物がなくて死にかかっている人や、身をおおう物を持たない貧しい人を見たとき、

20,その人の腰が私にあいさつをすることも、私の子羊の毛で彼が暖められることもなかったなら、

21,あるいは、私が門のところに助け手を見て、みなしごに向かって手を振り上げたことがあったなら、

22,私の肩の骨が肩から落ち、私の腕がつけ根から折れてもよい。

23,神からのわざわいが私をおののかせ、その威力のゆえに、私は何もできないだろう。」

 

 また当然ながらヨブは真の神のみに誠実を尽くして、金銭に心奪われたこともなければ、太陽や月を神々のように拝んだこともありませんでした。

「24,もし、私が金を自分の頼みとし、黄金に向かって「私の拠り頼むもの」と言ったことがあるなら、

25,あるいは、私の富が多いことや、私の手が多くを得たことを喜んだことがあるなら、

26,あるいは、日の光が輝くのを、月が照りながら動くのを見て、

27,ひそかに心を惑わされ、手で口づけを投げかけたことがあるなら、

28,これもまた、裁判で罰せられるべき不義だ。私が、上なる神を否んだのだから。」

 

 さらに、ヨブは彼を憎む人が衰えたのを喜んでそれを喜んだことはなく、呪いのことばを口にしたこともありませんでした。

「29,あるいは、私を憎む者が衰えたのを喜び、彼にわざわいが下ったことに心躍らせたことがあるだろうか。30,私は自分の口を罪に任せなかった。のろいの誓いで彼のいのちを求めたりして。」 

 

 また、ヨブはよるべのない旅人のためにもいつも門を開いていて、彼らに宿を提供し食料をもってもてなしていました。

「31,私の天幕の者たちはみな、こう言っているではないか。『あの方のパンに満腹しなかった者がいったいいるだろうか。』32,寄留者は外で夜を過ごさず、私は戸口を通りに向けて開けている。」

 

 また、ヨブは自分の罪を隠して人々の蔑みにおびえていたこともなく、いつも公明正大に堂々と生きて来たのでした。 

「33,あるいは私がアダムのように、自分の背きをおおい隠し、自分の咎を胸の中に秘めたことがあるだろうか。34,私が群衆の騒ぎにおびえ、一族の蔑みにひるみ、黙っていて、門を出なかったことがあるだろうか。」

 

 まとめます。ヨブは常に神を畏れて偶像崇拝を避け、情欲の罪を避け、貧しい人々、身体障碍者、旅人にも惜しげなくほどこし、敵が困窮したときにもそれを喜んだこともなく生きて来た人でした。そうしたヨブを神は守ってくださり、人々もヨブを尊敬していたのでした。さすがに、神が「おまえは、私のしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を畏れて悪から遠ざかっている者はいない」と評価する人でした。私はヨブの生き方を見て、自分が恥ずかしくなりました。

 しかし、ヨブが全財産を失い、十人の息子娘たちを失い、恐ろしい皮膚病に全身覆われて苦しんでいると、かつて彼を尊敬した人々は嘲り蔑むのです。友人たちさえもヨブを理解できず、「罰が当たったのだ。隠れた罪を神の前に悔い改めよ」と的外れなアドバイスするのです。

 そんな中、ヨブは30章30節でもう一度「わたしがあなたに向かって叫んでも、あなたはお答になりません。」と神に向かって叫びます。

 

2 主は嵐の中からヨブに答えられた

 

 しかし、神はなおも沈黙しています。32章から37章は、一人の若者エリフの議論ですが、その主張はヨブの友人たちの弁論と変わったところはありません。要するに、神は正義の審判者なのだから、今ヨブが苦しんでいるのはバチがあたったのだ。ヨブは悔い改めるべきだという議論にすぎません。

 38章以降、ついに沈黙しておられた神がお答えになります。要所要所を説明してみます。

38章

「1,主は嵐の中からヨブに答えられた。

2,知識もなしに言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。

3,さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。」

 神は、このようにヨブに呼びかけます。「勇士のように腰に帯を締めよ」というのは、古代に行われたベルトレスリング、帯すもうをしようではないか、と呼びかけていらっしゃるのです。神は、ヨブに論争をしようではないかとおっしゃるのです。神はいのちのない法則のようなモノではありません。生ける神です。人との議論、魂と魂のぶつかる交流を喜ばれる生ける神です。

 そうして神は、ご自分のお造りになった作品群、その摂理による支配の数々を列挙して行かれます。38章4節から7節には地球の形成について、あなたは知っているか?とヨブに問います。

「4,わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。分かっているなら、告げてみよ。

5,あなたは知っているはずだ。だれがその大きさを定め、だれがその上に測り縄を張ったかを。

6,その台座は何の上にはめ込まれたのか。あるいは、その要の石はだれが据えたのか。」

 続いて、8節から11節は海洋の形成について知っているか?ヨブよ、と問います。

 12節から15節は、太陽の動きと昼と夜の交代の仕組みを知っているのか?とヨブは問われます。

 22‐39節は気象の支配について。

 31節から32節は星々の運行について。

 33節から38節はふたたび気象について。

 39節からは、ライオン、野八木、牡鹿、野ロバ、野牛、ダチョウ、馬、空を飛ぶ鷲といった動物たちのさまざまな習性について。

「ヨブよ、お前はこれらのことを知っているのか?」と神は問いかけるのです。

 そして、もう一度40章1,2節でおっしゃいます。

「1,主はヨブに答えられた。

2,非難する者が全能者と争おうとするのか。神を責める者は、それに答えよ。」

これに対してヨブは、こう応じます。40章4,5節

「4,ああ、私は取るに足りない者です。あなたに何と口答えできるでしょう。私はただ手を口に当てるばかりです。5,一度、私は語りました。もう答えません。二度、語りました。もう繰り返しません。」

 

すると、神は念を押して、もう一度嵐のなかからヨブに応えます。

「6,主は嵐の中からヨブに答えられた。

7,さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。

8,あなたはわたしのさばきを無効にするつもりか。自分を義とするため、わたしを不義に定めるのか。

9,あなたには神のような腕があるのか。神のような声で雷鳴をとどろき渡らせるのか。」

 そして、神様は神の造られた特別自慢の作品二つを上げます。一つは河馬(40章)、もう一つはレビヤタン(41章)です。今日は特に、「神の作品の第一のもの」(19)とおっしゃる河馬だけ説明します。

「15,さあ、河馬を見よ。これはあなたと並べてわたしが造ったもの。牛のように草をはむ。

16,見よ。その力は腰にあり、その強さは腹の筋にある。

17,尾は杉の木のように垂れ下がり、ももの筋は絡み合っている。

18,骨は青銅の管、肋骨は鉄の棒のようだ。

19,これは神の作品の第一のもの、これを造った者が、その剣でこれに近づく。

20,山々はこの獣のために産物をもたらし、野の獣もみなそこで戯れる。

21,蓮の下にそれは横たわる。葦の茂み、沼地の中で。

22,蓮はこれをその陰でおおい、川の柳はこれを囲む。

23,たとえ川があふれても、慌てない。ヨルダン川が口に注ぎ込んでも、動じない。

24,その目をつかんで、これを捕らえられるか。罠にかけて、その鼻を突き通せるか。」

 堂々たるカバの描写です。カバは大きいものは体重は4トン。そして、水陸両用で、スイカをひとのみにする巨大な口は面白く、プルプルする耳には愛嬌があります。旭山動物園で見たのですが、水の底をおよぐ姿は非常に優雅で、太ったバレリーナのようです。あごは150度まで開いて、噛みつく力は1トンで、鎧におおわれたワニも縄張りに入ってくるとかみ砕いてしまいます。しかも、運動能力について見れば、陸上を走る速度は時速40kmでウサイン・ボルトよりも速く、泳ぐ速度はモーターボートも時には追いつかれてしまうほどです。カバはものすごく太っていますが、超すごいアスリートなのです。神さまが自慢をなさるのももっともです。

 


Flying Hippopotamus~水中を跳ね回るカバ(旭山動物園 百吉)

 このような神様の作品を次々と見せられて、ヨブは何と答えましたか?

 「あなたには、すべてのことができること、どのような計画も不可能ではないことを、私は知りました。あなたは言われます。『知識もなしに摂理をおおい隠す者はだれか』と。確かに私は、自分の理解できないことを告げてしまいました。自分では知り得ない、あまりにも不思議なことを。あなたは言われます。『さあ、聞け。わたしが語る。わたしがあなたに尋ねる。わたしに示せ』と。私はあなたのことを耳で聞いていました。しかし今、私の目があなたを見ました。それで、私は自分を蔑み、悔いています。ちりと灰の中で。」

 ヨブが神様に向かって議論を挑み、どうしても知りたいと主張していたことは何でしたか?それは、「神に喜んでいただける誠実な生き方を懸命に実践してきた自分が、なぜこのような苦難に遭わなければならないのですか?神が正義であるならば、どうして義人が苦難にあわねばならないのか?」という疑問に対する答えでした。その理由さえ納得できれば、彼は苦難の中でも耐え忍びますと言いました。

 ヨブはどういう答えを神さまからいただいたのでしょうか。神はヨブに対して次々にヨブが知識をもっていないさまざまな神のみわざ、神の摂理を見させました。振り返ってみれば、ヨブはかみのご摂理について何も知りませんでした。ヨブは神がなぜカバのような動物をお造りになったのかについて、何も知りませんでした。神は何のためにカバを作られたのかと悩んで、魂の平安を失うことはありませんでした。カバがどうあろうと、ヨブは日々、神を畏れ、神を愛して、誠実に生きていました。

 神はおっしゃるのでしょう。「ヨブよ。おまえは、カバの謎がわからなくても、いつもわたしを神として崇め、平安を失うことはなかったではないか。ならば、正しい生き方をしていて苦難を経験したとて、その理由がわからないからといって、魂の平安を失う必要がある。創造主であるわたしが生きている。そして、わたしはあなたの神である。」

 「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」というヨブの信仰告白は、その実質を試されたということでしょう。人生は時に、全知でも全能でもない人間にとっては、謎に満ちているものです。しかし、全知全能の神がおられるのです。大地が揺るごうと、病に撃たれようと、地上のいのちを奪われようと、神が生きておられ、神は永遠にあなたの神です。