水草牧師の説教庫

聖書からのメッセージの倉庫です

御霊と知性

1コリント2章10節から3章3節  

 

1 御霊によって悟ること 

 

私たちは聖書を開くとき、御霊の光を求める祈りをします。御霊によらなければ、御霊の啓示された真理を悟ることができないからです。今日は、このことについて。

「2:10 神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。」

 「これを」というのは、「十字架のことば」つまり、神の御子が十字架の死によって罪の贖いを成し遂げてくださったという真理です。この真理は世の始まる前から、神の内に隠されていた、奥義なのでした。この奥義は、サタンたちさえも知らず、この世の知恵の知りうるところではありません。だからこそ、サタンたちはキリストの人類救済のための贖罪のわざの手伝いをしたのです。イエスが神の御子であること、そしてイエスが十字架にかかることによって私たちが救われるという真理が理解できるのは、実に、御霊によることです。

 ペテロが始めてカイザリヤで信仰告白したときも、主イエスは、おっしゃいました。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」(Mt16:17)

 

2 神のみこころを知るためには

 

「 2:11 いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。」

 人の体重を知ったり、顔立ちを知ったりするのは外から見ればわかることです。しかし、その人の心を知るには、その人がその心を開いて話してくれてはじめて可能なことです。同様に、神のみこころを知るには、神の御霊自身によるほかありません。ここに啓示が必要であり、私たちが神のみこころを知るために御霊を受ける必要がある理由があります。

「 2:12 ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。」

 また、御霊について説き明かすについても、御霊のくださったことばが必要です。 「2:13 この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。」

 

3 人間の三つの状態

 

 以下に、人間には御霊との関係において三通りの状態があることが記されています。

第一は「生まれながらの人間」

「 2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。」

 

第二は「御霊を受けている人」

 「2:15 御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。 2:16 いったい、「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。」ところが、私たちには、キリストの心があるのです。」

 この第二の御霊を受けている人とは要するにクリスチャンのことですが、クリスチャンには二通りの状態があります。

 

一つは、「肉に属する人」「キリストにある幼子」です。

  「3:1 さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。 3:2 私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。 3:3 あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。」

このように肉に属するキリストにある幼児は、嫉みや争いがある人たちです。言い換えると、クリスチャンだけれども、御霊の実を結んでいないクリスチャンです。

 

 そして、キリスト者として望ましい状態は、「御霊に属する人」です。これは御霊を受け、御霊のご支配を受けている人です。「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」というキリスト的品性を備えるようになった成人としてのクリスチャンです。

 このように成長成熟したいものですね。