聖徒たちの名
ロー16:1-16
2019年2月24日 苫小牧主日朝礼拝
16:1 ケンクレヤにある教会の執事(2017奉仕者)で、私たちの姉妹であるフィベを、あなたがたに推薦します。
16:2 どうぞ、聖徒にふさわしいしかたで、主にあってこの人を歓迎し、あなたがたの助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてください。この人は、多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人(支援者、パトロン)です。
16:3 キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。
16:4 この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。
16:5 またその家の教会によろしく伝えてください。私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。
16:6 あなたがたのために非常に労苦したマリヤによろしく。
16:7 私の同国人で私といっしょに投獄されたことのある、アンドロニコとユニアスにもよろしく。この人々は使徒たちの間によく知られている人々で、また私より先にキリストにある者となったのです。 16:8 主にあって私の愛するアムプリアトによろしく。
16:9 キリストにあって私たちの同労者であるウルバノと、私の愛するスタキスとによろしく。 16:10 キリストにあって練達したアペレによろしく。アリストブロの家の人たちによろしく。 16:11 私の同国人ヘロデオンによろしく。ナルキソの家の主にある人たちによろしく。 16:12 主にあって労している、ツルパナとツルポサによろしく。主にあって非常に労苦した愛するペルシスによろしく。
16:13 主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく。
16:14 アスンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマスおよびその人たちといっしょにいる兄弟たちによろしく。
16:15 フィロロゴとユリヤ、ネレオとその姉妹、オルンパおよびその人たちといっしょにいるすべての聖徒たちによろしく。
16:16 あなたがたは聖なる口づけをもって互いのあいさつをかわしなさい。キリストの教会はみな、あなたがたによろしくと言っています。
使徒の手紙はいよいよ最後のあいさつに入ります。パウロは多くの手紙で、その最後に多くの兄弟姉妹の名前をあげて、あいさつをします。その人物群のなかから数名取りあげて、みことばを味わいたい。
1.支援者、女執事フィベ
まず、1節と2節のフィベです。パウロの手紙をはるばるローマまで届けに行ったのはご婦人でありました。そして、この婦人はケンクレヤというマケドニア半島はコリントの隣町の教会の執事をしていたのです。フィベは多くの人を助け、またパウロをも助けた人であると紹介されています。2節後半は、新改訳2017では「彼女は、多くの人の支援者で、私自身の支援者でもあるのです。」と訳されています。支援者ということばのもとのことばはプロスタティスで、英語ではパトロンです。つまり、フィベはパウロや他の伝道者たちの働きを経済的に支援する働きをした人でした。資産があったことと行動力から見ると、ちょうどピリピの町の最初の回心者であった、あの紫布の商人ルデヤのような女性実業家だったようです。
初代の教会においても、主キリストのしもべとしての女性の奉仕はよく用いられたことだということが、ここにもうかがえます。御在世当時の主イエスの伝道生涯においても、女性信者たちのサポートがありました。ルカ8:1ー3に少しそのことが書かれています。
8:1 その後、イエスは、神の国を説き、その福音を宣べ伝えながら、町や村を次から次に旅をしておられた。十二弟子もお供をした。
8:2 また、悪霊や病気を直していただいた女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリヤ、
8:3 自分の財産をもって彼らに仕えているヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか大ぜいの女たちもいっしょであった。
彼女たちは経済的にも主と弟子たちの働きを陰ながら支えたのです。「貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。今飢えている人たちは幸いです。あなたがたは満ち足りるようになるからです。」(ルカ6:20、21)とか、「金持ちが神の国に入るよりらくだが針の穴を通る方がやさしい」と主イエスは富に警戒すべきことを教えられましたが、回心して主イエスに仕えるようになった人々で富に恵まれた聖徒たちは、富に支配されずに、かえってこれを活用して、主イエスはパウロをはじめとする伝道者たちの支援をして神の国の前進に役立ったのでした。
使徒の働きにも、女性たちの名前が出てきます。フィベ以外では、ヨッパのタビタ。タビタ別名ドルカス(かもしか)は資産家ではないのですが、縫い物をする賜物があったので多くの聖徒たちを慰めたとあります(9章36-43節)。彼女が死んでしまったときに、やもめたちはみんな手に手に,タビタにつくってもらった上着や下着を見せて泣いていたとあります。そして、主はペテロを用いてこの老婦人が死んだときに、あまりに悲しむ人々が多かったので、この人にいのちをお返しになったとあります。
このように、初代教会以来、主イエスを信じ恐れる女性たちが、それぞれの賜物を用いて主のお役に立って来たことがわかります。今日でも教会において女性の奉仕はたいへん重要なのです。
フィベのような女性たちはどのような態度で主のお役にたったのでしょうか。2節の第二の文のなかに「この人は、多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。」とあります。フィベは、「助ける」支援するという賜物を神様から授かっていた人でした。助けるという賜物とはどういうことでしょう。教会においてリーダーシップをとる賜物の人がいて、それを陰ながら祈りつつ、つつましく、しかし、しっかりと責任を持って支える。これがフィベの奉仕の姿でした。「女性執事」という務め自体が、「奉仕者」としての務めでした。教会においてリーダーシップを取るのは長老であり、これは男性が責任をもって行うことになっていました。これをしっかりと補助し支えるのが執事たちの務めでした。執事には男性、女性の両方がいました。
そもそも、神様が最初に女性をお造りになった時、彼女を「ふさわしい助け手」としてお造りになったと記されています。その与えられた女性としての賜物を、喜びを持って活用していたのが、フィベなど初代教会の女性の執事たちであったわけです。
今日の教会もフィベのように、陰ながら、祈り深く、しっかりと「助ける」働きをする女性の奉仕者を必要としているのです。
2.同労者、プリスカとアクラ
16:3 キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。 16:4 この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。
彼らは使徒時代における最も著名なクリスチャン夫婦でしょう。プリスキラというのも同じ人です。『使徒の働き』ではルカは「プリスキラ」と呼んでいます。プリスカが正式な呼び名で、プリスキラというのは愛称です。たとえば「幸子さん」というのと「さっちゃん」というちがいのようなものです。
この夫婦はもとローマに過ごしていましたが、クラウデオ皇帝が49年にユダヤ人のローマ退去を命令したことで、コリントに来ていました。この時に、コリントに伝道に来ていた使徒パウロと出会ったのです。使徒18:1-3
18:1 その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。
18:2 ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、
18:3 自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。
アクラとプリスカは、パウロと同じくテント造りを職業にしていましたので一緒に働きました。当時ユダヤ教のラビは、いつでもどんなところでも伝道できるために、ラビの修業をすると同時に手に職をつけることになっていました。パウロはサウロと呼ばれた時代もともとラビとなる訓練を受けていたので、パウロはテント造りを自分の手の職としてのです。アクラとプリスカとはパウロ先生がなるべく伝道に専念できるようにと、祈りにおいても経済的にも支えたわけです。
けれども、このすぐ後の記事に出てくるように、コリントの町での伝道においてはひどい迫害があり、パウロに協力した会堂司ソステネは法廷に訴えられてむち打ちに刑になっています(使徒18:17)。その木が常緑樹であるか落葉樹であるかは、夏の間はわかりませんが、厳しい冬が訪れるとおのずとあきらかになるものです。迫害のとき、プリスカとアクラ夫妻は常緑樹であることを示しました。こんな時にもプリスカとアクラは使徒パウロを、自分たちのいのちを賭けて助けたのです。その後、二人はパウロの伝道旅行に同行してエペソに行き、パウロを助けています。その後、二人はローマに最終的に戻りました。それで、今ローマ教会への手紙のなかでその名を呼ばれているのです。
このようなわけで使徒パウロはプリスカ、アクラ夫妻について「キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えて下さい。この人たちは、自分のいのちの危険を犯して私のいのちを守ってくれたのです。」と言っています。
初代教会の宣教師パウロの働きを支えたのは、「同労者」と呼びうる信徒夫婦だったのでした。その経済ばかりか、そのいのちまでもかけて伝道者を支えたプリスカとアクラの夫婦。その名前は、神の国のいのちの書に、栄誉ある名として記念されているのです。今日にあっても、キリストの教会には、福音の働きにはプリスカとアクラがぜひとも必要なのです。あなたも、主キリストにいのちをささげて、プリスカに、アクラになっていただけないでしょうか。「夫がまだ・・・」という方は、「後悔することなく主にご奉仕するためです。どうぞ、私の夫も救って下さい。」と真心込めてお祈りしてごらんなさい。主はお答になります。
3.主にあって選ばれた人ルポス
多くの名が挙げられていますが、あと一人だけ取りあげておきます。13節。「主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく。」パウロにとってルポスは兄弟のような親しい関係にあって、ルポスの母親を「私の母」と呼んでいるのです。ルポスとはだれでしょうか。マルコ15:21を開いて下さい。
「そこで、アレクサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。」
主イエスがドロローサの道を歩んでいかれる時、主の代わりに無理やりに十字架を背負わされたクレネ人のお上りさんがいました。エルサレム詣でにやって来たシモンでした。シモンにとっては、それは無理やり背負わされた十字架でした。最初はいやいや背負ったにすぎませんでした。
しかし、その後、シモンは主イエスを信じるようになり、その妻もその息子たちアレクサンデルとルポスもクリスチャンとなってのでした。ルポスはその名をパウロに挙げられているように、初代教会において責任ある立場を持つ人となっていたようです。
「主にあって選ばれた人ルポス」とあります。パウロは「君のおやじさんは、一方的に神様に選ばれてイエス様の十字架を背負ってドロローサの道を上った人だ。人類のなかでたった一人、主の十字架をかつぐという栄誉にあずかった人だ。そして、その息子の君もまた、主に選ばれた人だ。」といいたいのでしょう。
重い十字架。「なぜ、わたしだけがこんな苦しい目に合うために選ばれたのか?」と思うような奉仕。しかし、それは「主にあって選ばれた」ということなのです。それを担って、イエス様の後について行く時、その選びは栄誉あるものと変えられるのです。
結び
よき支援者フィベ。いのちがけの同労者プリスカとアクラの夫婦。主にあって選ばれた人ルポス。いずれの聖徒たちも、私たちの主にある兄弟姉妹です。私たちも主のいのちの書に栄誉ある名をしるされている者としてふさわしく、この町にあって、主と教会に奉仕をしたいものです。