水草牧師の説教庫

聖書からのメッセージの倉庫です

意外な出来事も

使徒4:18-31

 

2019年2月24日 苫小牧主日 夕礼拝

4:18 それで、モーセはしゅうとのイテロのもとに帰り、彼に言った。「どうか私をエジプトにいる親類のもとに帰らせ、彼らがまだ生きながらえているかどうか見させてください。」イテロはモーセに「安心して行きなさい」と答えた。

 4:19 【主】はミデヤンでモーセに仰せられた。「エジプトに帰って行け。あなたのいのちを求めていた者は、みな死んだ。」

 4:20 そこで、モーセは妻や息子たちを連れ、彼らをろばに乗せてエジプトの地へ帰った。モーセは手に神の杖を持っていた。

 4:21 【主】はモーセに仰せられた。「エジプトに帰って行ったら、わたしがあなたの手に授けた不思議を、ことごとく心に留め、それをパロの前で行え。しかし、わたしは彼の心をかたくなにする。彼は民を去らせないであろう。

 4:22 そのとき、あなたはパロに言わなければならない。

  【主】はこう仰せられる。『イスラエルはわたしの子、わたしの初子である。

 4:23 そこでわたしはあなたに言う。わたしの子を行かせて、わたしに仕えさせよ。もし、あなたが拒んで彼を行かせないなら、見よ、わたしはあなたの子、あなたの初子を殺す。』」

  4:24 さて、途中、一夜を明かす場所でのことだった。【主】はモーセに会われ、彼を殺そうとされた。

 4:25 そのとき、チッポラは火打石を取って、自分の息子の包皮を切り、それをモーセの両足につけ、そして言った。「まことにあなたは私にとって血の花婿です。」

 4:26 そこで、主はモーセを放された。彼女はそのとき割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。

  4:27 さて、【主】はアロンに仰せられた。「荒野に行って、モーセに会え。」彼は行って、神の山でモーセに会い、口づけした。

 4:28 モーセは自分を遣わすときに【主】が語られたことばのすべてと、命じられたしるしのすべてを、アロンに告げた。

 4:29 それからモーセとアロンは行って、イスラエル人の長老たちをみな集めた。

 4:30 アロンは、【主】がモーセに告げられたことばをみな告げ、民の目の前でしるしを行ったので、

 4:31 民は信じた。彼らは、【主】がイスラエル人を顧み、その苦しみをご覧になったことを聞いて、ひざまずいて礼拝した。

 

 

1.舅に挨拶して、出発 

18-23節 

 主の召しに答える決心をしたモーセはまずしゅうとのイテロに挨拶をしました。18節。このときには、自分が主なる神の啓示を受けたこと、自分にはイスラエルをエジプトから脱出させる使命があることについては触れていませんね。モーセのまだ気弱なところがうかがえるところです。

4:18 それで、モーセはしゅうとのイテロのもとに帰り、彼に言った。「どうか私をエジプトにいる親類のもとに帰らせ、彼らがまだ生きながらえているかどうか見させてください。」イテロはモーセに「安心して行きなさい」と答えた。

 ミデヤンの荒野を行く道で、モーセを励ます主からのことばがありました。

 4:19 「エジプトに帰って行け。あなたのいのちを求めていた者は、みな死んだ。」

 4:20 そこで、モーセは妻や息子たちを連れ、彼らをろばに乗せてエジプトの地へ帰った。モーセは手に神の杖を持っていた。

 

 モーセはこの働きが長丁場になることを覚悟していて、妻と息子たちをともなっていきました。(子どもたちが幼いような印象を受けます。結婚しても長く生まれなかったのかもしれません。荒野での年数が40年という伝統的見解はちょっと違う可能性があります。モーセはエジプトに戻る時80歳ですが、一度目にエジプトから去った年齢はもっと高齢になってからかもしれません。)20節の表現で注目すべきは「神の杖」です。モーセが「ただの羊飼いの杖」と思っていた杖ですが、今は「神の杖」となっています。神がモーセイスラエルの民の羊飼いとして立てたことの証の杖です。

 次に、主は全体的な見通しを与えて、モーセが目先に生じることがら、パロの反抗などによって失意落胆してしまわぬように配慮してくださいます。

 4:21 【主】はモーセに仰せられた。「エジプトに帰って行ったら、わたしがあなたの手に授けた不思議を、ことごとく心に留め、それをパロの前で行え。しかし、わたしは彼の心をかたくなにする。彼は民を去らせないであろう。

 4:22 そのとき、あなたはパロに言わなければならない。

  【主】はこう仰せられる。『イスラエルはわたしの子、わたしの初子である。

 4:23 そこでわたしはあなたに言う。わたしの子を行かせて、わたしに仕えさせよ。もし、あなたが拒んで彼を行かせないなら、見よ、わたしはあなたの子、あなたの初子を殺す。』」

 

 そんなに簡単に成し遂げられる任務ではない。パロは頑なで、なかなか言うことを聞かないが、最終的には22,23節のような事態になるということです。これをあらかじめお話になったのです。

 

2 主がモーセを殺そうとする

24-26節 

 ところが意外なことが起こります。妻と子供たちをつれて、モーセはミデヤンの荒野をアカバ湾沿いに北上し、アラビア商人の道を通ってシナイ半島を東西に横切る旅をしていくのですが、まだ家を出てまもないとき、途上で意外な出来事が起こりました。

 4:24 さて、途中、一夜を明かす場所でのことだった。【主】はモーセに会われ、彼を殺そうとされた。

 4:25 そのとき、チッポラは火打石を取って、自分の息子の包皮を切り、それをモーセの両足につけ、そして言った。「まことにあなたは私にとって血の花婿です。」

 4:26 そこで、主はモーセを放された。彼女はそのとき割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。

 

 いったい、これは何事でしょうか?主ご自身が、モーセをお召しになり、エジプトに遣わそうとしていらっしゃるのに、その主がモーセを殺そうとされたのです。それは、モーセが自分の子どもたちに神の民の契約のしるしとしての割礼を施さないままでいたからだと考えられます。割礼は、400年前アブラハムの時代に、神さまがアブラハムとその一族の男子に契約の印としてさだめたものでした。創世記17:9-14

 17:9 ついで、神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの後のあなたの子孫とともに、代々にわたり、わたしの契約を守らなければならない。

 17:10 次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたの後のあなたの子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。

 17:11 あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。

 17:12 あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に、割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたの子孫ではない者も。

 17:13 あなたの家で生まれたしもべも、あなたが金で買い取った者も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉の上にしるされなければならない。

 17:14 包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、その民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったのである。」

 

 おそらくモーセが子どもたちに割礼を施していなかったのは、妻チッポラが反対したからであろうと推察できます。モーセはもう自分がエジプトに戻り、イスラエルの民のもとに戻ることはあるまいと思っていたので、それほど強くは言えなかったのではないかと思います。モーセはエジプトからの逃亡者として入り婿という立場上、強く言わなかったのであろうと思われます。しかし、自分の家を治められないものが神の家の指導者になることはできません。そこで、神様はこの問題をクリアしてから、彼は遣わそうとされたのです。

 旅路で突然モーセが倒れました。主に捕まえられたのです。妻チッポラは、「ああ、これは自分がモーセに反対して息子たちを無割礼にしておいたせいだわ」と気づいたのです。気づいたからこそ、彼女は急いで火打石をとって子どもたちに割礼をほどこしたのです。自分が夫モーセに反対して子どもたちに割礼を授けなかったことのせいで、主がモーセを打ったのだと彼女は啓示されたのか、自ら悟ったのか、いずれにしても原因はその問題だとわかりました。そこで、彼女は急いで子どもたちに割礼をほどこし、それをモーセの足につけるとすぐにモーセは元気になりました。

 モーセはこれからイスラエルの民の指導者として立たねばなりません。指導者として立つ者が、自分の妻や子供たちについて、神のみこころを行なっていないでは指導することができません。新約聖書も監督(牧師)の資格について次のようの述べています。

 3:2 ですから、監督はこういう人でなければなりません。すなわち、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり、

 3:3 酒飲みでなく、暴力をふるわず、温和で、争わず、金銭に無欲で、

 3:4 自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人です。

 3:5 ──自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう──(1テモテ3:2-5)

 

3.アロンが来る

4:27-31

 モーセはまだ荒野にいます。他方、主はエジプトに住んでいるモーセの兄アロンに告げられました。「荒野に行って、モーセに会え。」アロンはその命令にしたがって、神の山ホレブまで歩き、そこでモーセに会いました。おそらくこの間音信不通というのではなく、時々は、連絡をとっていたのだろうという思われます。

 ですが、いずれにせよアロンがこのタイミングでやって来たので、モーセはたいへん励ましを受けたでしょう。主は、先におっしゃったとおりに、自分だけでなく兄アロンにも語ってくださって、ともに主のために働くことになるのだと確かめることができたからです。出エジプト記 4:27、28

 それから、主はアロンに仰せられた。「荒野に行って、モーセに会え。」彼は行って、神の山でモーセに会い、口づけした。モーセは自分を遣わすときに主が語られたことばのすべてと、命じられたしるしのすべてを、アロンに告げた。

 モーセは主が彼に命じたすべてをアロンに告げ、アロンはモーセの代弁者となることを話しました。こうして二人はエジプトのイスラエルの所に出かけて行きます。

 

 エジプトのゴシェンの地に到着すると、アロンは民の長老たちを集めました。そして、モーセにそしてアロンにアブラハム、イサク、ヤコブの神、主が現われた顛末、そして、主が彼らを指導者として出エジプトを成そうとしていらっしゃることを告げたのです。スポークスマンであるアロンのことばに、長老たちはなるほどと説得されました。もう何年間もあっていない、若者たちはほとんど知らないモーセが直接彼らに語っても説得力がなかったでしょう。

 そして、長老たちは民を集合させました。モーセは、民の前で主がお与えになった、あの神の杖のしるしを行ない、メッセージをつげたのです。

 するとイスラエルの民は、400年前先祖アブラハムにご自分を現してくださった主が、私たちの苦しみを顧みてくださったのだと感激し、礼拝をしたのでした。イスラエルの民はエジプトに長らく住み着いているうちに、万物の主であられる神を見失っていたというのが実際であったと思われます。けれども、人間が不真実でも主はご真実です。主はアブラハムへの契約のゆえに、イスラエルを覚えていてくださったのです。

出エジプト記 4:28-31

それからモーセとアロンは行って、イスラエル人の長老たちをみな集めた。アロンは、主がモーセに告げられたことばをみな告げ、民の目の前でしるしを行なったので、民は信じた。彼らは、主がイスラエル人を顧み、その苦しみをご覧になったことを聞いて、ひざまずいて礼拝した。

 

結び

 こうして、いよいよエジプトのパロとの対決が始まります。

 本日の箇所からいくつかのことを学びましたが、最後に一点だけもう一度。

 イスラエルの指導者として立とうとするモーセは、まず自分の家庭を霊的に指導できるようになることが求められたということです。これは牧師として私自身がわきまえるべきことです。幸いに、神様のあわれみによって、私の妻は私の霊的指導に従ってくれる妻です。そして、子どもたちはみな洗礼を受けていますが、神を畏れる生活をし続けて行けるように、日々祈っています。みなさんにも、私と家族のためにお祈りいただきたいと思います。