水草牧師の説教庫

聖書からのメッセージの倉庫です

病人には医者が

マルコ2:13-17

2016年6月12日 苫小牧主日礼拝

 

2:13 イエスはまた湖のほとりに出て行かれた。すると群衆がみな、みもとにやって来たので、彼らに教えられた。

 2:14 イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。

  2:15 それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである。

 2:16 パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちといっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」

 2:17 イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

 

 

 

1.主の召しのことばの力・・・無から光を創造されたことばのように

2:14 イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。

取税人が・・・売国奴かつ守銭奴

 今日の個所に登場するアルパヨの子レビとは、このマタイの福音書を記した人マタイその人です。彼は収税所に座っていました。税務署の役人というのは、現代の日本でもけむたがられがちな職業かもしれませんが、ちゃんとした職業です。しかし、イエス様の当時のユダヤ人の間では格別の意味で、人々から嫌われ、軽蔑までもされていた職業でした。

 当時、イスラエルの国はローマ帝国の属州という立場にありました。属州はある程度の自治は認められていましたから、サンヒドリンというユダヤ人の議会もありました。けれども、その上にはローマの傀儡政権であるヘロデ王家があり、さらに最高権力者としてローマから派遣された総督がおりました。当然、ユダヤ人たちは彼らローマ政府を憎んでいたわけです。自分たちがローマ帝国支配下に置かれているということを実感させられるのは、ローマ政府に対して税金を搾り取られるということです。

ローマの都の繁栄は、植民地人・属州民からしぼりとられた税収によることであり、イスラエルの人々は税金を取られるたびに、ローマに対する憎しみを深くしたわけです。日本人として日本政府に取られた税金が無駄遣いされているのでも腹立たしいのですから、まして宗主国のために税を払うのは腹が立ったでしょうね。

 ローマ人は賢くて、そういう属州民からの憎しみをそらし、かつ、経費をかけないで徴税をするために、取税人を現地人による請負制としました。ローマ人の徴税役人を現地に派遣すれば、税務署の運営に費用がかさみますから、現地人から取税人を募集したのです。しかも、彼らの収入はローマに納税しなければならない額にそれぞれ上乗せした分をピンはねすることによって得るという仕組みであったそうです。

 そんなわけで、当時のイスラエルでは、ローマの犬になって同胞から金を搾り取る取税人というものは、カネのために魂を売った守銭奴かつ売国奴とみなされていたわけです。イスラエル人としての誇りをもっている人であれば、取税人という職業をあえて選ぼうとすることはなかったはずです。『はだしのゲン』というマンガに、原爆症の出た人たちに甘言もちいて、原爆症調査委員会ABCCに送り込む仕事をしていた日本人が登場します。彼らはハゲタカと呼ばれ軽蔑されるのです。ABCCは治療はいっさいせず、ただ放射能障害の調査をして、次の核戦争に米軍が備えるためのデータ集めをしていました。ハゲタカ、ちょうどイスラエルにおける取税人はそういう仕事でした。

 レビは取税人でした。どういう事情があったのかはわかりませんが、彼が「俺は、神様の前に恥ずべき罪人である」と思っていたことは間違いありません。

 

(2)「わたしについて来なさい」

 そういう取税人をあからさまに軽蔑し、罵倒したのは、ラビと呼ばれる律法の先生たちでした。とくにパリサイ派の先生たちは反ローマ的な国粋主義者でしたから、神の民イスラエルローマ帝国に税金を納めること自体が罪にあたるという教説を唱えたりもしていましたので、ローマの徴税の手伝いをする取税人などというものは、唾棄すべき職業であり、神ののろいを受け滅ぶべき守銭奴であるとみなしていました。

 レビが収税所に座っておりますと、イエス様と弟子たちがそこを通りかかりました。取税人レビは、『ああ、また律法の先生がやってきた。どんないやみを言われるだろう。憎憎しげににらまれるだろう。侮辱されるだろう。』と心につぶやいて、目を合わせないようにうつむいていたことでしょう。『さっさと通り過ぎて行ってくれ』という思いにちがいありません。

 ところが、その人は、レビの前に通りかかると、ぴたっと立ち止まったのです。「あ~いやだなあ。この方は、俺になにをいうのだろう。」とレビは思いました。ところが、彼の耳にびっくりする言葉が飛び込んできました。

「わたしについて来なさい!」

これは、「君をわたしの弟子に取り立てよう。」という意味の当時の表現でした。

 このことばを聞いたとたん、取税人レビの内側に何か新しい出来事が起こりました。そして、彼はいきなり「はい!」と立ち上がって、イエスに従うことにしたのです。不思議な光景です。そこにいた弟子たちも、取税人仲間も、他の人々もほんとうにびっくり仰天しました。これはレビの心のうちに、主イエスのことばと御霊が起こした新生の奇跡でした。神学用語でいう有効召命です。創世記一章に、神が闇に向かって「光よあれ」とおっしゃると、そこに光があったとあるように、主のことばは闇のなかに光を創造なさる力があるのです。罪意識と劣等感との分厚い壁に閉じ込められていたレビの心のなかに、「わたしについて来なさい」という主イエスのことばは新しい光といのちと喜びと、主に従っていくという決断とを創造したのです。

  

2.変えられた取税人

 

 レビは新しく生まれました。そして、これからは弟子として地の果てまでもイエスさまについていくという決心をしたのです。この門出にあたって、彼は仲間を集めて宴席を設けました。仲間たちというのは、取税人仲間、ごろつき、遊女といった人たち、つまり、当時の社会で罪人として軽蔑されていた人たちです。そこに、イエス様と弟子たちも招かれて食卓をいっしょに囲んでいます。

2:15 それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである。

 

 ご馳走が振舞われて、わいわいがやがやと楽しげな宴席です。「やあ、驚いたね、取税人が、これからはイエスさんの弟子になろうとはねえ。」と、その話題で当然もちきりです。宴もたけなわというときに、レビは立ち上がって、自分がイエス様に出会ったこと、イエス様の声が耳に届いたとたんに、彼のうちに突然起こった心境の変化、これからはイエス様にどこまでもついていく所存であることなどを、証したことでしょう。いつもは神様のことばを聞く機会もない罪人たちですが、今日は、しんとなって聞いているわけです。

 その話を聞いて、取税人仲間のひとりは、

 「確かにレビは変わったなあ。目がちがうものね。・・・俺のようなはぐれ者、嫌われ者でも、神は愛してくださるんだろうかねえ。」と言ったり、貧しさから遊女に身を落としていた女のひとりは

「そんなこと、思いもしなかったわ。律法の先生たちは、あたいらみたいなのは地獄行きだといつも言っているものねえ。」

 イエス様はにこにことしていていらっしゃいます。取税人たちと食事などいっしょにすることなどありえないこととしてきた弟子たちは、最初は抵抗を感じてどきどきしていたのでしょうが、イエス様といっしょに彼らの宴席に連なっていると、内側から湧き上がる神の国の食卓の喜びを感じていました。イエス様がそこにいらっしゃるならば、罪人が集まった食卓も、おのずときよくなって、暗闇も光となってしまうのです。

 宗教改革者も指摘するように、これは聖餐式のひとつの型です。

 

3.罪人を招くために

 

 しかし、この喜びの宴席に水を差す人々が彼らをチェックしていたのです。最近話題になっているイエス様の周辺をかぎまわっていたパリサイ人たちです。彼らは、イエス様と弟子たちが取税人マタイの家にはいったのを目ざとくチェックしていました。そうして、窓の外からでしょうか、中庭の入り口からでしょうか、とにかく宴会の様子を見ていました。そして、次のようにいいました。

  2:16 パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちといっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」

 当時、神の民であるユダヤ人たちは外国人と食事をしてはならない、取税人罪人といっしょに食事をしてはならないとされていました。それが常識でした。まして、聖書の教師である者が、取税人たちと食事をともにするなどもってのほかとされていたのです。ところが、イエス様はレビに招かれると、弟子たちまでつれてすたすたとその屋敷に入っていき、食卓をいっしょに囲んでいたわけです。そして、宴会はいかにも楽しげで、イエス様も弟子たちも取税人もごろつきも遊女たちも、一緒に飲み食いしているのです。けれども、「私たちも仲間に入れてくれ」とパリサイ人たちは思いませんでした。逆に、とんでもないことだと怒ったのです。

 

 するとイエス様は、実に見事に彼らにお答えになります。

2:17 イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

 聞いてみれば、まったく道理にかなったおことばでス。「医者を必要とするのは確かに健康な人でなく病人です。」イエス様は医者として罪の病の中にある取税人、罪人たちを癒すためにやってきているのは当然のことです。

 イエス様の時代も同じく、祭司たち、律法学者パリサイ人たちは、神様のことばを厳密・厳格に守っているつもりの人たちでした。けれども、さまざまな経済事情から取税人とか遊女に身を落とした人たちは切って捨ててしまいました。・・・当時の道徳的に厳格なユダヤ社会のなかで、誰が好き好んで取税人や遊女になるでしょう。きっと、どうしようもない、貧困のどん底、家族の事情があって取税人になってしまったり、飢えて一家もろとも死んでしまうよりはと親が泣く泣く娘を女郎に出したりしたということでしょう。そういうかわいそうな境遇から罪の道を歩んでいる彼らに、神の憐れみを伝えもせずに切り捨てて、自分たちは立派に宗教生活を送っていますという君たちは、主のみこころから遠く離れているんだ、」とイエス様は嘆かれるのです。そして彼らが大事にしている聖書から「わたしはあわれみは好むがいけにえは好まない」という言葉を学んで出直してきなさい、というわけです。

 そして、主イエスはおっしゃいます。「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」。

 

むすび

 私は19歳でイエス様を受け入れて20歳で洗礼を受けました。父は次の歳に母とともに洗礼を受けました。父は50歳でした。洗礼準備会をしているとき、父が言いました。

「もう少しクリスチャンらしくなってから受けたほうが、ええんとちゃうかなあ」

父は月曜から土曜の自分の世俗の生活と、日曜日の自分のギャップを恥じていました。

「じゃあ、いつになったらクリスチャンらしくなるの?」と私は聞きました。

父は、「そうやな。やっぱり、洗礼受ける。」と言って洗礼を受けたのでした。

健康な人に医者はいりません。病人に医者が必要です。正しい人に救い主はいりません。主は罪人を救うために来られました。

 

あなたの罪は赦された

マルコ2:1-12

 

2016年5月29日 苫小牧福音教会朝礼拝

 

2:1 数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。

 2:2 それで多くの人が集まったため、戸口のところまですきまもないほどになった。この人たちに、イエスはみことばを話しておられた。

  2:3 そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。

 2:4 群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。

 2:5 イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。

  2:6 ところが、その場に律法学者が数人すわっていて、心の中で理屈を言った。

 2:7 「この人は、なぜ、あんなことを言うのか。神をけがしているのだ。神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう。」

 2:8 彼らが心の中でこのように理屈を言っているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて、こう言われた。「なぜ、あなたがたは心の中でそんな理屈を言っているのか。

 2:9 中風の人に、『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。

 2:10 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言ってから、中風の人に、

 2:11 「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。

 2:12 すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った。それでみなの者がすっかり驚いて、「こういうことは、かつて見たことがない」と言って神をあがめた。

 

 

1 みことばを

 

 主イエスが再びカペナウムに戻られました。すでに主の癒しや悪霊を追い出す働きの評判は高くなっていて、ペテロの家だと思われますが、ここに来られると人々は玄関口までいっぱいにむせ返るようです。多くの人々は、主イエスの奇跡を見たいということで集まっていたのでしょう。しかし、イエス様がなさっていたことは、みことばを福音を語ることでした(2節)。

2:1 数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。

 2:2 それで多くの人が集まったため、戸口のところまですきまもないほどになった。この人たちに、エスはみことばを話しておられた

 そうです。福音宣教のためにこそ、主イエスは立ち上がられたのです。神の前の罪を赦し、永遠のいのちと神の御国をもたらす福音のために、主はこの世に来られたのです。

 

2 彼らの信仰を見て

 

 さて、そこに一人の中風の男が友人四人に連れられてきました。中風というのは働き盛りの血圧の高い人を襲う脳溢血の後遺症です。男は歳の頃は五十代か六十代。半身不随、あるいは全身不随になってしまったのです。昨日までは網を引いたたくましい腕がきょうは箸一本もてません。舟を操作することは愚か、歩くことすらできないのです。かつての一家の大黒柱が、今は家族のお荷物をなってしまいました。彼は、自分ではイエス様のところにもやって来る事もできませんでしたが、四人の友達が彼を戸板に載せて連れてきました。

 ところがペテロの家にやってくると、戸口まで人でいっぱいです。窓から覗き込めば、確かに主イエスが中にいて、なにやら話をしていらっしゃる。しかし、四人は決してあきらめませんでした。彼らは屋上に上がりまして、屋根に穴をあけて病人を釣り降ろしたのです。日本の家屋を思い浮かべたら、そんなことできないと思うでしょう。しかし、イスラエルではそうではありません。当時の家は屋根が平らで、しかも屋上にものを置くよう平らに構造になっていて、家のわきには屋上に続く階段がありました。屋根は梁を渡したあとに葦などを渡してその上に泥を塗るといった至って簡単な造りでしたから、穴もあけられたわけです。

まあ、それにしても人の家の屋根に穴をあけてしまう、そこまでしてこの友達をイエス様のところに連れていってやりたい、この熱意、その友情はどうでしょう。ここまでして主イエスのもとにあの人を連れてきたい、イエス様ならきっと治してくれる、そういう熱意と信仰が目に見えるようです

2:4 群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。

 一方、家のなかでは屋根の上でガタガタを音がするので、何事かと皆が天井を見上げていると、穴が開いてわらや泥が落ちてきておおさわぎです。イエス様のお話は妨害されて中断してしまいました。見ていると、ちょうど泥とわらにまみれたイエス様の真上から男が釣り降ろされてきます。

エス様はことの次第がみな分かりました。そして、注目しましょう。5節。

2:5 イエス彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。

エス様はこの四人の男の無作法極まりないやりかたに対して、「わたしが大切な話をしている最中に、なんということだ!」とお怒りになりませんでした。イエス様の目は、この四人の男たちの行動、その姿に「彼らの信仰を見た」とあります。たとえ、やることが無作法であったり、人生が失敗だらけであったとしても、私たちがほんとうにイエス様を信じているならば、イエス様は私たちの信仰をみて喜んで下さいます。

 ここでひとつ不思議なことは、主イエスが中風で倒れて身動きができない男のことではなく、「彼らの」信仰を見て、彼の罪をゆるすと宣言してくださったということです。もちろん中風の人本人の信仰がなかったというわけではありません。ここで聖書が私たちに教えようとすることは、友に家族に救われて欲しいと願う私たちの信仰の熱心を主イエスはちゃんと見ていてくださるという事実です。私たちは心の中であの人を教会に誘いたいなと思いながら、なかなか勇気がなくて言い出せないことがあります。「私をへんなものに誘わないでちょうだいとか言われたらどうしよう」とか、何も言われない先から心配してしまうのです。でも、神様に祈って、「まず私にあの人を誘う勇気と信仰をください」とお祈りして、そうして、主のもとにお連れしましょう。主イエスはあなたの信仰を見ていてくださいます。

 

3 子よ あなたの罪は赦された

 

 さて、イエス様はこの五十あるいは六十歳のこの中風の男に宣言なさいました。「子よ。あなたの罪はゆるされた。」と。恐らく周囲の多くの人たちにとっては、期待はずれだったでしょう。人々は今、目の前で行われる奇跡を期待していたからです。しかし、思うにイエス様はこの男がほんとうに心の底に求めていた、渇き求めていたものを与えたのです。それは罪の赦しです

 働き盛りの男を襲う突然の病。今までは一家の大黒柱であったのに、一夜にして、一家のお荷物になってしまったという衝撃。そして、そんな経験をなさったらわかることですが、私たちは病気になると二つのことを意識するものです。

一つには、死です。ポール・トゥルニエという医師で牧師であった人は、「すべての病気は死のしるしなのです。」と言っています。「先生、悪いでしょうか?」と患者が医者に聞くとき、患者は「この病は死にいたる病でしょうか?」と聞いているのだと。

そしてもう一つはです。「なにか俺は神様から罰を当てられるようなことをしただろうか。」突然の病に倒れて、天井の節穴を数えるような生活をしていると、しぜんと男五十年の人生を振り返ってしまいます。そうすると、確かに神様のまえに顔も上げられないようなことの一つや二つ、妻や子にも告白できないようなことの二つや三つはあったでしょう。病気をすると、自分の罪を意識する。そして死を意識する。死の向こうの神様の厳しい裁きを意識するのです。毎日毎日天井の節穴を数えるような生活をしながら、男は神の御前の己の罪を意識しないではいられなかったのでしょう。詩篇51:1-7

 あなたの豊かなあわれみによって、

  私のそむきの罪をぬぐい去ってください。

 51:2 どうか私の咎を、私から全く洗い去り、

  私の罪から、私をきよめてください。

 51:3 まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。

  私の罪は、いつも私の目の前にあります。

 51:4 私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、

  あなたの御目に悪であることを行いました。

  それゆえ、

  あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、

  さばかれるとき、あなたはきよくあられます。

 51:5 ああ、私は咎ある者として生まれ、

  罪ある者として母は私をみごもりました。

 51:6 ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。

  それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。

 51:7 ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。

  そうすれば、私はきよくなりましょう。

  私を洗ってください。

  そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。

 主イエスは、彼に宣言されました。「子よ。あなたの罪は赦された。」

 

4 主イエスの神としての権威

 

 しかし、この場に主イエスの言葉に難癖をつける人々がいました。立錐の余地なくみんな立ちんぼうにしているのに、そこに席をあてがわれて座っていた律法学者の偉い先生たちです。彼らは最近ガリラヤ地方に登場したナザレのイエスが何を教えているかを調査して、異端審問にかけようとしていたのです。そして、心の中でぶつぶつと言いました7節。

「こいつは、なぜ、あんなことを言うのか。神をけがしているのだ。神おひとりのほか、だれが罪をゆるすことができよう。」

これもっともな神学的議論です。本庄さんと寺沢さんがいて、本庄さんが以前になにか角丸さんにえらいめいわくをかけてしまっていたとします。本庄さんが、「あやまらなくちゃなあ」と思っているとします。すると、そこに佐藤さんが来て、「本庄さん、あなたの罪はゆるされました」と宣言したら、角丸さんはいうでしょう。「おいおい、佐藤さん、赦すのは俺だよ。どういう資格があって、佐藤さんが本庄さんを赦すんだい?佐藤さん神様じゃないだろう。」

そうです、イエス様が「あなたの罪は赦された」とおっしゃった宣言は、神様にしかできない宣言なのです。赦すということは、通常、被害者が頭を下げてきた加害者に対してすることです。それ以外の人が、加害者を赦してあげますとはいえないのです。言えるとしたら、さばき主である神だけなのです。さすがに律法学者さんで、彼らの理屈は筋が通っています。彼らは、「お前は何を言っているんだ。神でないお前が、この中風の男に罪の赦しを宣言したって、なんの効果もありはしない。もし本当だというなら、しるしを見せてみろ」といいたいわけです。

 彼らはもう一歩先の驚くべき真理を悟りませんでした。自分たちの心の中のつぶやきまでも逐一知っている、このイエスという男が、人として来られた神であるという事実を。この罪にうちひしがれている男に、罪のゆるしを宣言なさった、このイエスこそ神なのです。

 

 ところで、当時のユダヤ人はしるしとしての「しるし」としての奇跡を求めていました。ここでいえば、主イエスが「あなたの罪はゆるされた」という宣言が本当だというならば、その証拠としての奇跡を見せてみろというわけです。そこで、主イエスは、かたくなな彼らのために「しるし」としての奇跡を行われますが、先立って、こうおっしゃったのです。

2:9 中風の人に、『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。

 2:10 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」

 いうまでもなく、「起きて、寝床をたたんで歩け」というほうが、「あなたの罪は赦された」というよりも簡単なことです。病者を起きて歩かせるというようなことは、癒しの賜物がある人ならばできることですが、後者は「あなたの罪は赦された」というのは神の権威をもってしなければならないからです。「おきて歩け」がかりに10キログラム持ち上げることに譬えるとすると、「あなたの罪は赦された」は1億トン持ち上げることです。10キログラム持ち上げられても、1億トン持ち上げられる証拠にはなりませんから、「しるし」として奇跡を求めることはナンセンスなことです。ナンセンスではありますが、律法学者があまりにかたくななので、主イエスは彼らに歩調を合わせてやったのです。

こう言ってから、中風の人に、

 2:11 「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。

 2:12 すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った。それでみなの者がすっかり驚いて、「こういうことは、かつて見たことがない」と言って神をあがめた。

 

むすび

 二点、学んだことを確認しておきましょう。

第一に、「子よ。あなたの罪は赦された。」という主イエスのことばです。主は何よりも罪のゆるしを宣言なさりたかったのです。体の病気のことは二の次でした。もしそこにけちを付ける律法学者がいなかったら、彼の病のいやしをする必要はありませんでした。からだの病気は肉体は滅ぼしてもその人を永遠の地獄に陥れることはないからです。しかし、罪は人の魂を永遠の地獄の炎の池に陥れてしまいます。

私たちは、友や己の肉体の癒しを求めて祈るのはよいことです。けれども、それ以上にその人の救いのために祈りましょう。

第二に、あの四人の男たちの友への熱意、信仰に学びましょう。なんとかして彼をイエス様の所に連れて行ってやりたい、連れて行ってやるぞという信仰の熱意です。行動です。祈りにおいて、教会に友を連れてくることにおいて私たちも同じことができます。 たとえ私たちが失敗したり無作法したりしても、イエス様は私たちの行動に信仰を認めて喜んで下さいます。失敗を恐れず大胆に主に近づこうではありませんか。

 

はらわた痛むほどに

マルコ1:40-45

2016年5月29日 苫小牧福音教会朝礼拝

 

1 ツァラアトに冒されるとは

 

 主イエスがカペナウムから始まってガリラヤに伝道を始められたとき、ひとりのツァラアトに冒された人が、主のもとに近づいてきて言いました。

1:40 さて、ツァラアトに冒された人がイエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私をきよくしていただけます。」

 新改訳聖書第三版でツァラアトと訳されていることばは、第二版までは「らい病」と訳されていましたが、第三版では、いろいろと議論をした結果、旧約聖書のヘブル語のままツァラアトと記すことに変更されました。それは、聖書の記述を研究してきた結果、ツァラアトがらい病を意味していなかったことがわかってきたからです。新共同訳聖書では、「重度の皮膚病」と訳されていますから、私個人としてはそれにならうのがよかったのではないかと思っていますが、新改訳はツァラアトとしました。レビ記に「壁にツァラアトが現われる」という記述がありますから、それを皮膚病というわけには行くまいということで、重度の皮膚病という訳語が避けられたそうです。

また、壁がらい病になるわけがありませんし、ツァラアトに冒されて手が雪のように真っ白になったという記述がありますが、これもライ病の症状とは異なっていますから、ツァラアトがライ病でないことは確かなことです。そんなわけで、新改訳はツァラアトとと原文ヘブル語のまま記述することにしました。

 それはそれとして、当時、ユダヤ社会ではツァラアトにおかされることには、病気によって肉体的苦しみだけでなく、社会的にも宗教的にも苦しみがともなっていました。というのは、レビ記13章に詳しく記されていますが、このツァラアトに冒された人は宗教的にけがれたものと見なされ、礼拝に出席するため会堂に出入りすることからも、社会生活からも隔離されなければならないと定められていたからです。ツァラアトに冒されると、家族からも引き離されてしまったのです。人々は病気の感染を恐れるとともに、宗教的穢れに染まることを恐れたのでした。

 彼は社会から隔離され、家族からさえも隔離されて生活しなければなりませんでした。そして、神からも見放された者たちとして差別されたのです。人はもともと、神への愛と隣人愛の中で生きるように造られたのに、神からも人からも遠ざけられてしまい、ひとりぼっちというのはどれほどのことでしょうか。私たちクリスチャンは、かりに友人に見放され、家族にも見放されてしまうことがあっても、神さまだけはいっしょにいてくださるという望みがあるでしょう。しかし、彼は、その望みさえ失せていました。どれほど寂しかったでしょう。

 

 この人は、宗教的に汚れたものであることを自覚していましたから、言いました。「お心一つで私はきよくしていただけます。」「癒していただけます」というのでなく、「きよくしていただけます」と彼は言っています。自分は穢れている。穢れていて、人に近づくことも、神に近づくことも相応しくないような存在であると自覚しているのです。

 けれども、彼はイエスさまは、他の偉い律法学者の先生たちとは違って、自分が近づいても避けて逃げようとはなさらないし、石を投げようともなさならない。イエス様が意志してくださるならば、この私もきよくしていただけるに違いないという信仰をもって、イエス様に近づき、そして、声をかけたのでした。

 しかも、「おこころひとつで」と彼は言いました。何が何でも、是が非でもというのではなく、「主よあなたが望んでくださるならば」という主イエスの意志を信頼して委ねるという信仰をもってイエス様に申し上げたのでした。彼の肉体はツァラアトに冒されていましたが、その魂には神の前にへりくだった信仰を持っていたことがわかります。

 

2 はらわた痛むほどに

 

 ツァラアトにかかった人が近づいてきたら、当時の社会ではみなが逃げてしまいました。特に、律法学者・パリサイ人ギたちはツァラアトにかかった人を神にのろわれた者としてということ忌み嫌いました。ツァラアトの人に触れたら、自分も宗教的に穢れているとみなされてしまうからです。しかし、主イエスはひざまずく彼から逃げようとなさいませんでした。

 

(1)主イエスは「深く憐れんだ」とあります。

  1:41 イエスは深くあわれみ手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」

 1:42 すると、すぐに、そのツァラアトが消えて、その人はきよくなった。

 「深く憐れんだσπλαγχνισθεὶς」ということばは、「スプランクニゾマイ」ということばで、「はらわた震わされて」というスプランクとは「はらわた」という意味のことばです。スプランクニゾマイというのは、直訳すれば「はらわたする」という意味のことばです。私たちも、あまりにも深い悲しみを経験すると食事がのどを通らなくなったりします。スプランクニゾマイは、日本風、中国風に言えば「断腸の思い」です。中国の故事に昔、ある川を兵士が小舟でくだっておりましたら、岸に小猿がおりましたので、兵士たちはその小猿をつかまえて舟に載せました。ところが、それを見て血相を変えて母猿が岸辺を走って追いかけてきたのです。兵士たちは、岸をぎゃーぎゃー叫びながら追いかけてくる母猿をからかっていましたが、百里(中国の一里は400メートルだから、40000メートル、40キロメートル)も追いかけてくるので哀れになって小舟を岸につけると、母猿は舟に飛び乗り小猿に駆け寄りますがばたりと絶命してしまいました。この先が実証主義の中国らしいのですが、「いったいどうしたのか?」と兵士たちは母猿を解剖すると、母猿のはらわたがずたずたに千切れていたというのです。まさに断腸です。母猿がわが子を思うその悲しみ思いがあまりにも強かったので、その腸がずたずたになってしまったことがわかりました。深い嘆き悲しみを断腸の思いというわけです。

 イエス様は、この人を見て、彼がツァラアトという恐ろしい病を発病して以来、その病にさいなまれ、世間から差別され、愛する家族からさえも引き離されて、礼拝の場からも遠ざけられて、ひとりぼっちで生きてきた日々を思われて、はらわたの痛めるように深い深いあわれみをかけられたのでした。

 

(2)手を伸ばし、彼をさわって・・・暖かさ

 主イエスは「手を伸ばし、彼をさわった」とあります。主イエスは「光、あれ」とおっしゃって万物を創造した神のおことばご自身です。主のことばには権威があって、無から万物を造りだすことまでもできるお方です。もし、「きよくなれ」というご命令をお与えになるならば、それだけで、このツァラアトにかかった人はきよくなり、その病はいやされたはずです。こうして触る必要はなかったのです。しかし、主イエスは手を伸ばして、彼を触られたのです。

 主イエスの手にからだをふれられて、彼はびくっとしたでしょう。「けがれています。さわってはなりません。」と叫びそうになったでしょう。人の手が彼に触れたのは一体何年、何十年ぶりのことでしょう。彼の皮膚病がツァラアトであると祭司によって判明し、その宣告を受けてから、彼は母の手も妻の手も子どもの手に触れてもらうことすらできなくなっていたのです。人の手の温かみということを、ずっと忘れてしまっていた、彼のからだでした。そういう彼の悲しみに主イエスはご存知でしたから、あえて、その手を伸ばして彼のからだに触れてくださったのです。主の手がふれて暖かさが伝わってきたとき、彼のからだだけでなく、長年の寂しさに冷え切っていた魂までも暖められました。

 

3 祭司に見せなさい・・・社会的復帰・礼拝の生活への復帰

 

 男のからだがすっかりきよくなり、あかるい表情になったのをごらんになった主イエスは大事なことを二つおっしゃいました。

 ひとつは、

 1:43 そこでイエスは、彼をきびしく戒めて、すぐに彼を立ち去らせた。

 1:44 そのとき彼にこう言われた。「気をつけて、だれにも何も言わないようにしなさい。ただ行って、自分を祭司に見せなさい。そして、人々へのあかしのために、モーセが命じた物をもって、あなたのきよめの供え物をしなさい。

「祭司に見せよ。そして人々へのあかしのために、モーセが命じた物をもって、あなたのきよめのそなえ物をしなさい」これは、彼の礼拝の生活・社会生活への復帰のための手続きでした。当時のユダヤ社会では、ツァラアトの診断をして宣言をする仕事は祭司が担当していましたから、彼がツァラアトから解放されたことについて宣言をすること、そのきよめられたことを確認する儀式を行うことは祭司にしてもらうことでした。ですから、「祭司に見せなさい」と主イエスは命じたのです。

主イエスのこの男性への癒しは、病気のいやし、心のいやしだけでなく、社会生活・礼拝の生活への復帰をともなうものであったのだということがよくわかります。実にこまやかな配慮に満ちた主イエスです。

 

私たち人間は、もともと神と隣人との交わりのうちに生きるものとして造られました。「人間」は人の間と書くように、孤立してでなく、神とともに生き、隣人の愛のうちに生きるものとして生きるものです。しかし、神に背いたときから、人は隣人との関係にうまく行かなくなり、自分自身ともうまく行かなくなりました。

この人に見られる主イエスの救いの業は、人間を肉体だけでなく、その本人の心の問題だけでなく、その社会的な面で、そして、なにより礼拝者としての生活の面でも、十全な意味で人間として生かしてくださるものなのだということがよくわかります。

 

4 主のみこころを悟らなかった人 

 

 最後に、主イエスは不思議な戒めを彼にお与えになったことに注目しておきたいと思います。「気をつけて、だれにも何も言わないようにしなさい。」それは、彼に、ツァラアトからきよめてくださったのはイエス様であるということを誰にも言ってはならないと釘を刺されたということです。普通、たとえば病院だとか整骨院だとかだと逆でしょう。口コミでどんどん良い評判がひろがることを望むのではないでしょうか。けれども、主イエスは誰にも言うなとお命じになったのです。

 なぜでしょう?人は病気が治ったと聞けば、病気が治ることのみを求めてイエスのもとにゾロゾロと集まってくるけれども、そういう動機でイエスのもとに来る人は、それよりはるかに重要な自分の神様との関係には無関心になっているからです。肉体の病が癒されることよりもはるかに大事なことは、神様との関係の回復です。

神様なんかどうでもいいから、病気を治してくれ。病気を治してくれたら、神様がいると信じてやってもいい、という傲慢不遜な人々がいるものです。イエス様は、そういう人々がこの世には山ほどいて、そういう人々によって、福音宣教がかえって妨げられることをご存知だったのです。

 肉体の病は辛いものです。ただのぎっくり腰だって、風引きだってたいへんです。癒されるものなら癒されたいものですし、事実、主はいやしてくださいます。けれども、もっと大事なことがあります。それは、キリストの福音によって、神との関係が修復されることです。なぜなら、神との関係が修復されることがないならば、かりに一時的にからだは元気になっても、永遠のほろびに陥ってしまうからです。たとえ全世界を手に入れても、自分の永遠のいのちを損じたらなんの徳があるでしょう。

 しかし、あの男性は、イエス様のおっしゃることをちゃんと聞くことができませんでした。嬉しすぎて、この出来事を町中にいい広め始めたのです。その結果、主イエスは表立って町に入ることが出来ず福音をつたえることができませんでした。残念なことです。

 1:45 ところが、彼は出て行って、この出来事をふれ回り、言い広め始めた。そのためイエスは表立って町の中に入ることができず、町はずれの寂しい所におられた。しかし、人々は、あらゆる所からイエスのもとにやって来た。

 男は良かれと思ったから一生懸命に宣伝して回ったのです。しかし、私たちに大事なことは善かれと思うことを一生懸命にすることではなくて、主が善いとなさることを行うことなのです。神がよしとなさらなくても、私がよしとしているのだから、それが言いのだというのは、たいへんわがままな態度です。自分がよかれと思うことでなく、神様が善しとされることをみことばに学び、実践する者となりたいと思います。

 

結び

 本日のまとめです。主はあわれみふかいお方なのだということを私たちは深く学びました。主は、誰も知らないあなたの痛みをも、ご存知でいらっしゃるのです。

 そうして、人が触れることのない、振れることを望まないような、あなたの醜くけがれたところまでも、手を触れてあなたを清くし、あなたの暗く冷え切った心に愛の暖かさを注いでくださいます。

 主よ。私を清くしてください。冷え切った私のたましいに、あなたの暖かい愛を注いでくださいと祈りましょう。

第一の使命

マルコ1:29-39

 

2016年5月22日 苫小牧主日

 

1:29 イエスは会堂を出るとすぐに、ヤコブヨハネを連れて、シモンとアンデレの家に入られた。 1:30 ところが、シモンのしゅうとめが熱病で床に着いていたので、人々はさっそく彼女のことをイエスに知らせた。 1:31 イエスは、彼女に近寄り、その手を取って起こされた。すると熱がひき、彼女は彼らをもてなした。

 

  1:32 夕方になった。日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた人をみな、イエスのもとに連れて来た。 1:33 こうして町中の者が戸口に集まって来た。 1:34 イエスは、さまざまの病気にかかっている多くの人をいやし、また多くの悪霊を追い出された。そして悪霊どもがものを言うのをお許しにならなかった。彼らがイエスをよく知っていたからである。

 

  1:35 さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。 1:36 シモンとその仲間は、イエスを追って来て、 1:37 彼を見つけ、「みんながあなたを捜しております」と言った。 1:38 イエスは彼らに言われた。「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」

 1:39 こうしてイエスは、ガリラヤ全地にわたり、その会堂に行って、福音を告げ知らせ、悪霊を追い出された。

 

1 安息日の過ごし方・・・神を愛し、隣人を愛する

 

 主イエスは、安息日にカペナウムの会堂での礼拝と宣教を終えると、すぐに弟子としたばかりのヤコブヨハネを連れてシモンとアンデレの家を訪問しました。ところが、シモンの家では彼の姑が床についていて、熱でうなされていたのです。

 イエス様はそれを知ると、ごく当たり前のように、彼女に近寄って手を取って起こすとたちどころに熱はひいて元気になってしまいました。元気になった姑は、これは嬉しい、これは感謝ということで、イエス様と弟子たちをもてなしたのでした。

 1:31 イエスは、彼女に近寄り、その手を取って起こされた。すると熱がひき、彼女は彼らをもてなした。

 イエス様にとっては、これが安息日のもっとも適切なすごし方でした。つまり、会堂に集って兄弟姉妹たちとともに神に礼拝をささげ、次に、兄弟姉妹の家を訪ねて安否を問い、もし具合が悪い人がいたら病の癒しであれなんであれ愛の行いをするということです。そもそも、神様が与えてくださったたくさんの命令の中で一番大事な命令は、

12:30『心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

そして・・・

 12:31 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』

この二つです。安息日は、まさにその神への愛と隣人愛を実践する日ですから、主イエスは会堂で礼拝をささげ、かつ、熱病で苦しんでいる姉妹を癒されたのでした。私たちは日ごろ、自分の生活のこと自分の仕事のことだけで汲々としていがちなものですから、神様は安息日を定めて、本来、人間が神によって造られた目的を思い起こさせてくださるのです。安息日とは、神への愛と隣人愛を具体的に表現する日です。

私は学生時代に教会に通い始めたころ、礼拝が終わると即座に帰るようにしていました。「礼拝で賛美をささげ神のことばを聞けば、それでいい。家に帰ってしなければならない勉強がある」と思っていたのです。ところがある日、私にその教会を紹介してくれた白石君が言ったのです。「水草、きょうもすぐ帰るんか。交わりも奉仕なんだよ。」私は目が開かれました。「交わりも奉仕」ということばに、です。一週間それぞれの場で生活をしてきて、久しぶりに会う主にある兄弟姉妹たちとうどんをすすりながら交わり、安否を問い合うことは、主にお仕えする奉仕なのです。

 シモンの姑は、主イエスに癒してもらって、ただちに主イエスと弟子たちをおもてなしする奉仕をしました。神の愛を受けたなら、その愛に具体的な兄弟姉妹に仕えるご奉仕をもって応答する。そういう生き方をしたいものです。私たちは、イエス様によって神様からの愛を受けましたから、その愛に応答して、神を礼拝し、兄弟姉妹の必要のために耳を傾け、具体的に愛を表わして生きていくのです。私たちもそのことを意識して、七日に一度の主の日をすごしたいものです。

 

2 砂糖にアリが群がるように

 

 さて、イエス様が熱病に苦しむシモンのしゅうとめをたちどころに癒したという噂は、カペナウムの町中にたちまちに広がってゆきました。広がってゆきましたけれども、その噂を聞いても人々はすぐにはイエス様のもとに集まっては来ませんでした。

「1:32 夕方になった。日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた人をみな、イエスのもとに連れて来た。 1:33 こうして町中の者が戸口に集まって来た。」

 「夕方になった。日が沈むと・・・」と書いてあります。町中の人々は、日が沈むのを待っていたのです。日が落ちて、イエス様と弟子たちがもうそろそろ寝る準備をしようかというときになってから、ドヤドヤとイエス様のところに人々が集まってきたのです。なぜでしょうか?この日が安息日であったからです。

 十戒の第4番目に、「安息日にはどんな仕事もしてはならない」という戒めがあります。そこで、当時、ユダヤ教当局は「何が仕事にあたるのか?」ということを厳密に検討いたしまして、千数百の「仕事」にあたる行為をリストアップしていました。そうして、そのなかに病気の治療行為も含まれていました。だから、イエス様にすぐにも病気を治して欲しいのはやまやまだけれど、ユダヤ当局の先生たちに見つかったら安息日違反として告発されるかもしれないから、それを避けようとしたのです。

 「日が沈んでから」というのは、当時、ユダヤの暦においては、日没から日没が一日であるという定めがあったので、日が落ちたら安息日は終わったからです。人々は、日が西の山の端に隠れたとたん、我先にと主イエスのところに病人や悪霊にとりつかれた人々を連れてきました。

 ちなみに、ヨーロッパの中世・近世には、すべての病気が悪霊によるものであるという極論が流行してしまいます。その後、近代の合理主義の影響によって、そもそも悪霊などというものは存在しないのだから、悪霊を原因とする疾患はないというこれまた反対の極論が流行して、今日にいたっています。人間にとって中庸というのは、とてもむずかしいことのようです。しかし、聖書はたいへんバランスがとれていて、疾患のなかには肉体的・精神的なことが原因である場合があるが、ある疾患については悪霊を原因とするものがあると教えているわけです。

 主イエスは肉体的精神的原因でもって病気になっている人々をいやしました。また、悪霊が原因で苦しんでいる人々については、彼らから悪霊を追放しました。イエス様は、肉体も精神もお造りになったお方ですから、これを治療することは容易なことです。また、悪霊はイエス様の権威の下にあるものですから、その権威をもって彼らを追い出すのも容易なことです。

「 1:34 イエスは、さまざまの病気にかかっている多くの人をいやし、また多くの悪霊を追い出された。そして悪霊どもがものを言うのをお許しにならなかった。彼らがイエスをよく知っていたからである。」

 ひとつ気になるのは、イエス様が「悪霊どもがものを言うのをお許しにならなかった。彼らがイエスをよく知っていたからである。」というのは、どういう意味であるかということです。イエス様は癒しを行っても、それが宣伝されることを好みませんでした。メシヤの秘密と言われます。理由はよくわからないのですが、少なくともここで言えることは、イエス様は悪霊によってご自分が神の御子キリストであることを証言してほしくなかったということです。

 

3 伝道と社会的責任

 

 このようにして、イエス様のカペナウム宣教の第一日目の安息日と、日没から始まった癒しの数時間はすぎました。いわば開店と同時にいきなり満員御礼でしたから、弟子たちは興奮してしまいました。シモンとアンデレはかつてバプテスマのヨハネのもとで弟子であったわけですが、こんな勢いで人々が集まってくるのを見たのははじめてでした。ヨハネは癒しの奇跡を行ったという記録はどこにもなく、ただひたすら「悔い改めなさい。神の国が近づいた」と宣教してまわったのでした。それでも反響があったのは事実ですが、イエス様の癒しと悪霊追い出しの反響の比ではありません。人々のニーズが多すぎて答えきれないほどの大反響です。人々は深夜になってしまったので、やむなく帰って行きましたが、弟子たちには、これは大成功だと思われました。

 朝になると、ガヤガヤという声で目が覚めました。町の人々が噂を聞きつけて、さらにたくさん集まってきていたのです。弟子たちは「これは大成功じゃないか。一日にしてこれほどの人々が獲得できるとは。」と思いました。けれども、肝心の主イエスがそこにはいらっしゃいません。いったい、どこに行ってしまわれたのでしょう?

 実は、主イエスはまだ暗いうちに起き上がって、荒野で一人祈っていらっしゃったのです。

「1:35 さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」

何を祈っていらしたのでしょう?おそらく、こういうことでしょう。「カペナウムの人々は、病の癒し、悪霊からの解放をもとめて、どんどんわたしのところに集まって来ます。人々の必要はとても大きいのです。かわいそうな者たちがたくさんいます。わたしはカペナウムにとどまって彼らの病の癒し、悪霊からの解放のために、働き続けるべきでしょうか。しかし、父よ、あなたのみこころはなんでしょうか?」

父は言われました。「いや。彼らを後にして、次の町へ行き、ガリラヤ全土に福音を宣べ伝えなさい。」ですから、シモンと仲間がイエス様を探しに来て、たくさんの人があなたを探していますと言った時、主イエスはおっしゃいました。

 1:38 イエスは彼らに言われた。「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」

 1:39 こうしてイエスは、ガリラヤ全地にわたり、その会堂に行って、福音を告げ知らせ、悪霊を追い出された。

 

 主イエスが父なる神から、この世に遣わされて行った宣教のわざは、福音を告げ知らせることと、病気・悪霊つきを元気にしてやることでした。今風にいえば「伝道と社会奉仕」というこの二つです。弟子たちもまたペンテコステの後に、キリストの福音を宣べ伝えると同時に、やもめへの配給を行いました(使徒6章)。当時の社会では、やもめとみなしごがとても多く、その貧困問題があったのです。恐らく結婚年齢が男性のほうが女性よりも10以上という習慣があったので、必然的にやもめが多くなったのではないかと思われます。

 古代から中世にかけての教会の歩みにおいても、伝道と社会奉仕が果たされてきました。古代のローマ教会の執事ラウレンティウスについて有名な逸話があります。ローマ当局はキリスト教会がとても盛んにやっているので、教会の財産を調査しました。そのとき、ラウレンティウスは、「みなしごややもめたちこそ、教会の財産です。」と言ったそうです。

 ずっと時代はくだって近代、イギリスで産業革命が起こり、機械で毛織物が大量に生産できるようになり、綿羊をたくさん飼うようになりました。それで、農地が囲い込まれて生活できなくなった人々が、大量にマンチェスターやロンドンなどの都市部になだれこみスラム街ができ、治安が悪くなりました。英国最暗黒の時代と呼ばれる時代です。この時代、もっとも効果的な社会改良運動を展開したのは、ジョン・ウェスレーたちのメソジスト運動でした。伝統的英国国教会は、急激に膨らむ人口、広がるスラムを横目で見て、手をこまねいていましたが、ウェスレーは町に出て彼らに福音をのべつたえて救いへと導き、同時に、彼らに組み会と呼ばれる相互扶助の会を作らせて、社会福祉の働きを展開したのでした。

 キリスト教会が社会改良から手を引くようになったのは、その後、共産主義運動が盛んになったためだそうです。当時の共産主義運動は、無神論に立ち「宗教はアヘンである」としてキリスト教を非難したので、「社会問題にかかわると、共産主義の影響を受けて、信仰がおかしくなる」ということで、教会は伝道だけしていようということで手を引くようになったのでした。しかし、そういう態度はまちがいであったということを認めたのが、1974年のローザンヌ誓約でした。キリスト者には、伝道と社会的奉仕という二つの任務がある。この二つを切り離してはいけないという悔い改めの声明文です。主イエス以来、教会は伝道と社会的奉仕の両方を果たしてきたのです。

 しかし、もう一つ大事なことがあります。それは、伝道と社会奉仕の優先順位です。福音書がはっきり告げていることは、教会の任務としては伝道が第一で、社会的奉仕は第二だということです。それは、福音の価値の絶対性・緊急性・永遠性ゆえです。ここをまちがえてはなりません。主イエスはおっしゃいました。

 「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」

 目の前に病気を治して欲しい、悪霊を追い出して欲しいという人たちはたくさんいました。やさしいイエス様としては、彼らに同情します。けれども、父のみこころは福音をまずこのガリラヤ全土の町々村々に宣伝えよということでした。主イエスは、父の命令にしたがったのです。

 

結び

 現代の日本のキリスト者にも、主は二つの任務を与えていらっしゃいます。伝道と社会的奉仕です。自分に何ができるだろうかと考えるかもしれませんが、伝道とは第一に「主イエスを信じなさい、そうすれば救われます」と伝えることです。第二に、信じる人が起きたらキリストのからだの中でともに成長することです。そのために、当面、6月21日(火曜日)に苫小牧市民文化交流センター(アイビープラザ)で行われる世の光ラレーに家族、友人、知人を誘いましょう。また、私の願いとしてはこの地域でも福音新聞をつくって定期的に配りたいと思っています。福音をこの地に満たすのです。イエス様の十字架の意味を知らない人が一人もいないようにするのです。

 社会的奉仕ということは、まずはみなさんが月曜から土曜まで遣わされている家庭で、地域で、またこの国の国民として、神様の愛と正義のみこころを行うことです。たとえば、7月には国政選挙があります。聖書ローマ13章によれば、国家の務めとは、社会秩序の維持と、経済格差の是正の二つです。「この国に神の正義と愛が実現する政治が行われるにはどの人を、どの党を選ぶべきですか?」と祈って、選挙権を行使することです。また、祈って心備えていれば、何かなすべきことについてチャレンジを主がそなえてくださるでしょう。

キリストの権威

マルコ1:21-28

 

2016年4月15日 苫小牧主日礼拝

 

1 安息日、カペナウムの会堂で

 

1:21 それから、一行はカペナウムに入った。そしてすぐに、イエス安息日に会堂に入って教えられた。

 主イエスガリラヤでの宣教活動の中心はカペナウムでした。湖に臨むガリラヤの中心地でした。主イエスは、この地を拠点としてガリラヤ全土、湖の向こうのゲラサ人の地、また、北方のツロ、シドンといった地域でその3年間の公生涯のほとんどをすごされました。安息日、このカペナウムの会堂に主イエスは出かけられました。

 安息日というのは、天地の創造において、神が万物を6日間で創造した後の一日休まれたという創世記1章の出来事を起源としています。人間は、神の御子の似姿として造られた存在として、神が七日目に休まれたように、休むというのです。安息日は、人間が神の似姿として人間らしく生きていくために、神が定めてくださったたいせつな日です。安息日に休みを取らなければ、人間は人間らしさを失っていってしまいます。

 人間が人間らしく生きるというのはどういうことか?それは、人間が造り主である神を愛し、その神が自分を愛してくださったように隣人を愛するという生き方をすることです。人間は神を愛し隣人を愛する者として造られましたから、そのように生きるとき、人間は人間らしくなることができます。そういう安息日ですから、主イエスは、いつものように会堂に礼拝に出かけてゆかれました。

 主イエスは、安息日のほんとうの守り方について、この後、ユダヤの宗教家たちと対立していくことになります。それは人間を非人間化するような安息日に関する誤解との戦いであったともいえるでしょう。

 

2 権威ある教え

 

 しかし、この日は特別の日でした。イエス様がカペナウムで初めて公の伝道生涯をスタートする、その日であったからです。私は東京都渋谷の会堂(シナゴーグ)に出かけたことがあります。シナゴーグでの礼拝というのは、律法の朗読と詩篇を歌うことにほとんどが費やされます。というのは、エルサレム神殿とちがって、そこには神殿的な施設・調度品というものがまったくなくて、律法と詩篇を朗読するのは、その群れの長老さんのような立場の人々であるらしく、しっかりと訓練されて朗々とみことばを読んでいました。

 律法の教師であるラビが来ると、会堂の管理人は彼を説教壇に立たせることができます。主イエスはそのようなお立場でこの日、説教壇に立ったわけです。具体的なその説教の内容はここにしるされてはいませんが、

 1:22 人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。

 と書かれています。

 「権威ある者のように教える」とはどういう意味でしょう?単にどうどうとしているというようなことではありません。声がでっかい、態度がでかいということではありません。当時の律法の先生たちは、権威ない者のようにおしえたのです。つまり、「律法には、かくかくしかじかという戒めがあります。この解釈として、高名なラビホニャララは、このように解き明かします。また、別の高名なラビホニョロロは、あのように説明しています。われわれとしては~」というふうのです。

 ところが、主イエスは大胆にも、そういういわゆる権威あるラビたちのことばを引用してどうのこうのという議論をなさいませんでした。いえ、それどころではありません。モーセの律法を重んじつつも、モーセの律法を越えた権威がご自分にあることをしばしばほのめかすような話し方をなさったのです。たとえば、マタイ福音書の山上の垂訓を見て見ましょう。マタイ福音書5章です。

 

 5:21 昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

 5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。

 

5:27 『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

 5:28 しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。

 

5:43 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。

 5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

 

 二重括弧の中はモーセの律法とそれに主イエス当時の権威あるラビたちの解釈を含んだ教えです。「しかし、わたしはあなたがたに言います。」と主イエスはおっしゃいます。ラビはともかく、モーセの言葉の権威とはつまり神のことばである旧約聖書の権威です。それに対して、「しかし、わたしはあなたがたに言います。」というのです。これは実に驚くべきことです。人間には許されないことばです。もし、私が「聖書はこのように教えている。しかし、わたしは言う・・・」と言ったら、それは人間としての分をわきまえない偽教師です。すぐに説教壇からひきずりおろさねばなりません。

 主イエスがおっしゃりたいのはこういうことです。「わたしはかつてはモーセを通して、『殺してはならない』と教えたけれど、この新しい時代にあって、わたしは新たな教え、またその正しい解釈を伝えよう。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。」ということです。 また、「わたしは旧約時代においては、『姦淫してはならない』とだけ教えたが、その真意は、誰でも情欲をもって女を見るものはすでに姦淫を犯したのだ」

 つまり、主イエスは、ご自分の口から出ることばは、神のことばとしての権威を持っていることを自覚しておられたのです。そして、旧約時代の人々から、今や新約時代における神のことばをあなたがたに語ろうとおっしゃっているのです。

 その場にいた人々は非常に驚きました。驚きましたが、なぜイエスがそこまでの権威をもった教え方をなさるのかは、この段階においてはよくわかっていなかったようです。もし、わかっていたならば、ただではすまなかったのです。イエスの教えかたは、自らを神と等しくする教え方だったからです。

 

3 主イエスの権威

 

 皮肉なことですが、主イエスの神としての権威をその場にいた人間たちよりもはるかによく知っている者が、そこにいました。悪霊です。悪霊というのは、自らいと高き方のようになろうと思い上がって堕落した天使の一群のなかの下級の霊たちのことです。そのボスはサタンとか悪魔と呼ばれます。彼らは、人間が知っているよりも霊の世界のことを善く知っていますから、当然、イエスが神の御子キリストであることを知っているのです。知っているのですが、決して、悔い改めることをしないで、神に敵対する者たちです。

 1:23 すると、すぐにまた、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて、叫んで言った。

 1:24 「ナザレの人イエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」

 主イエスの宣教の初期には、このような悪霊による攻撃がしばしば見られます。後半になってくると、イエスに敵対する者たちはむしろ律法学者、パリサイ人たちに変わって行きます。

 現代の日本では比較的悪霊の働きは表面的には見えませんが、インドネシア、フィリピン、タイなどに派遣された宣教師たちは、あからさまな悪霊の攻撃という不思議な現象を体験したことを聞かせてくれることがあります。恐らく現代日本では合理主義とか唯物主義とかをもって、悪魔は日本人の目をふさいでしまうのが得策であると考えているのでしょう。

 C.S.ルイスが『悪魔の手紙』という書物の巻頭に書いているのですが、「悪魔は二種類の人々を歓迎する。ひとつは、悪魔に不必要なまでに深い関心を持つ人々である。もうひとつは、悪魔などいないという人々である。悪魔は、魔法使いと無神論者を大歓迎するのだ。」ですから、私たちは聖書が教えるところまで悪魔についての知識を得るべきですが、それ以上に悪魔に変に興味をもつべきではありません。

日本で言うと、私くらいの世代までは啓蒙主義・唯物主義の影響の強い世代であると思いますが、かつて新人類と呼ばれた世代から以降は、むしろ占いとかオカルトなどに心開く世代となっています。唯物主義にも、魔術的なものも、悪魔の罠です。私たちは聖書に立たねば欺かれます。

 

 さて、主イエスに叫んだのは悪霊に取り付かれた、いわゆる憑依された人でした。日本で昔からいう「犬つき」とか「きつねつき」と呼ばれる憑依現象です。今日でも占いと降神術とかいった今風に言えばチャネリングなどオカルティズムにこると、悪霊によってこういう症状を呈する人々がいます。非常に危険なものです。

 主イエスは悪霊をただちにしかりつけて黙らせて、彼から追放してしまいました。

 1:25 イエスは彼をしかって、「黙れ。この人から出て行け」と言われた。

 1:26 すると、その汚れた霊はその人をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。

 私たち不通のクリスチャンが行う悪霊追放のわざの場合、「黙れ、この人から出て行け」と言っても、悪霊は決して出てゆきません。「イエス・キリストの御名によって命じる。黙れ、この人から出て行け」と言って追い出すのです。悪霊はたとえば私が命じても、「なんでおまえの言うことなど聞く必要があるのか」としか答えません。しかし、ナザレのイエス・キリストの御名に権威があるからです。これは世界中共通していることです。主イエスは、国籍も文化も超えて、お方です。アメリカでの悪霊も、インドネシアでも、アフリカでも世界中あらゆるところにおいて、悪霊どもは、主イエス・キリストの権威ある御名には聞き従わざるを得ないのです。天においても地においても、主イエスに一切の権威が与えられているのです。

 こうしてイエスの評判はたちまち広がりました。

 1:27 人々はみな驚いて、互いに論じ合って言った。「これはどうだ。権威のある、新しい教えではないか。汚れた霊をさえ戒められる。すると従うのだ。」

 1:28 こうして、イエスの評判は、すぐに、ガリラヤ全地の至る所に広まった。

 

結び キリストの権威

 きょうは、主イエス・キリストが神としての権威、父なる神と等しい権威をもつお方であることをみことばから学びました。

①第一に、主イエスは、ご自分の教えが旧約聖書に等しい権威があることをご存知でした。今や新しい時代が訪れたから、旧約時代に勝る福音の時代の教えをなさったのです。

エホバの証人や、この世の影響を受けた神学者や聖書学者と呼ばれる人々は、なんとかしてイエスをただの愛の人だとか宗教家だとか考えたがるのです。けれども、主イエスはご自分が神の御子であり、神からいっさいの権威をさずかっていることを自覚なさっていました。私たちは、イエス様を神とひとしい権威あるお方として礼拝します。

「わたしには、天においても地においても、いっさいの権威が与えられています。」(マタイ28:18)

 

②キリストが神性をおびた聖なるお方です。図らずも悪霊がそのことを証言してくれました。悪魔と悪霊たちは、キリストの権威を前にして恐れおののいています」。おののきながら反発しています。つまり、神と悪魔は対立しているわけではありません。そういうのを二元論といいます。聖書は二元論は教えません。聖書は、悪魔さえも神の支配のもとに置かれているのです。イエス・キリストの御名には、民族文化国語を超えて権威があります。今悪魔の活動を許容していらっしゃるとしても、最終的にはそうした悪魔の仕業さえも善用なさるのです。

 

 私たちは、これほど偉大なお方を、主としていただいているのです。そのことをどれほど実感しているでしょうか。私たちのいのちは、主イエスの御手の中にあります。主の許しがなければ、悪魔さえも私たちに手出しすることはできません。どんな試練も死さえも、いかなるものも、主の御手から私たちを奪い去ることができるものはありません。

 私たちの人生には照る日も曇る日も嵐の日も、あるでしょう。教会の歩みでもそうです。今、嵐の中にあるという思いの方もいるかもしれません。けれど、キリストは権威をもって、悪魔の仕業をうちこわし、そして、勝利を収めてくださいました。

 

「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」ヨハネ16章33節

 

人間をとる漁師

マルコ1章16-20節

2016年5月8日 苫小牧主日礼拝

1:16 ガリラヤ湖のほとりを通られると、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。 1:17 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」 1:18 すると、すぐに、彼らは網を捨て置いて従った。

 1:19 また少し行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった。彼らも舟の中で網を繕っていた。 1:20 すぐに、イエスがお呼びになった。すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行った。

 

 

序 ガリラヤ地方

 主イエスが御在世当時イスラエルの国は、南がユダヤ地方、真ん中がサマリヤ地方、そして北がガリラヤ地方と呼ばれました。国の中心は、都エルサレムのあるユダヤ地方であり、主イエスが育ったガリラヤ地方のナザレは、日本で言えば東北地方か北海道にあたる地域です。しかし、ガリラヤ地方は、乾燥地帯であるユダヤ地方に比べて豊かな森があり、「緑したたるガリラヤ」と呼び習わされます。讃美歌にキリストの生涯を歌った一曲があります。

「みどりも深き若葉の里 ナザレの村よ ながちまたを 心きよらに 行き交いつつ 育ちたまいし人を知るや」

ガリラヤ地方はなぜそれほど緑に恵まれているか。それは北方のヘルモン山に降った雨や雪が伏流水となって地面にもぐりこみ、それがあふれ出てくるガリラヤ湖があるからです。ガリラヤ湖の面積は、北海道でいえば網走の近所のサロマ湖くらいのものです。そこで獲れる魚はペテロの魚と呼ばれるティラピアという白身魚がおいしいものです。イスラエル旅行に出かけたら、肉でなく魚がおすすめだと言われます。肉は血抜きが完璧でパカパカの草履のようだそうです。

主イエスガリラヤ湖のほとりを歩いているとき、最初に弟子として召したのは、このガリラヤ湖の漁師たち、シモン、アンデレ、ヤコブヨハネでした。漁業はガリラヤにおける基幹産業でした。彼らの社会的な位置というのは、いわば、苫小牧における王子製紙の社員たちみたいなものと言えばよいでしょうか。

 

1 主イエスは予め彼らを知っていた

 

(1)シモンとアンデレはイエスに会ったことがあった

 さて、主イエスはシモンとアンデレに「わたしについて来なさい」と呼びかけました。この言い回しは、当時の、律法の教師ラビが人を弟子としてとろうというときの決まったせりふだったといわれています。それにしてもマルコ福音書だけを読んでいると、彼らは通りかかった見知らぬ人イエスからいきなり「わたしについて来なさい」といわれて、網を捨てて従ったというように見えて驚いてしまいます。日本の子どもだったら、「知らないおじさんに『お菓子食べるか?』と声かけられても、ついていっちゃだめよ。」としつけられていますから、ついていかないでしょうね。それなのに、シモンとアンデレという青年は立ち上がってついていってしまいました。

実は、彼らはイエス様と初対面ではありませんでした。ヨハネ福音書の記事によれば、以前、シモンとアンデレの兄弟はユダヤ地方でバプテスマのヨハネの弟子でした。アンデレは、預言者ヨハネがイエスを指差して、「見よ。世の罪を取り除く神の小羊!」と叫んだので、イエスについていき、兄シモンをも主イエスのもとに連れてゆきました。そして、シモンも主イエスと一晩過ごしてさまざまのお話を聞いてお交わりがあったのでした。

 その後、バプテスマのヨハネが逮捕・投獄され、シモンとアンデレは失意のうちに故郷のガリラヤに帰って、家業である漁師の生活にもどっていたのでした。彼らは師と仰いだヨハネを失い、自分たちの生きる目標を見失ってしょんぼりしていていましたが、脳裏から、ヨハネが主イエスを指差して言った「見よ。神の小羊」ということばが離れることはありませんでした。彼らのあとに召しを受けるヤコブヨハネにも似た事情があったのか、漁師仲間としてシモンとアンデレからイエスについて教わっていたと考えられます。

 そこに、主イエスもまたユダヤ地方を離れてガリラヤにもどってこられ、そして漁師にもどっていた彼らに声をかけたのでした。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」

 

(2)主イエスは彼らを知っていた

シモンは後にペテロというニックネームをいただき、主イエスが復活して聖霊を注がれて初代キリスト教会が始まって後は、エルサレム教会の重鎮となります。アンデレはペンテコステの後に、小アジア、スキタイそして黒海からヴォルガ川にそってロシア方面にキリストの福音を伝えに言ったとオリゲネスが書きとめています。

ヤコブ使徒の働きによると、ヘロデ・アグリッパのもとで処刑され、十二使徒のうち最初の殉教者となっています。ヨハネヨハネ福音書と三つの手紙と黙示録の記者となり、老いてのち、愛の使徒と呼ばれる人となっています。ヤコブヨハネはイエス様から「ボアネルゲ」つまり雷の子というあだ名を付けられていますから、生来、気性の荒い人たちだったのでしょう。また一説によると、イエスが彼らに「わたしについてきなさい」とおっしゃったときに、親父さんを捨ててさっさと行ってしまったので、後ろからお父さんが「この大馬鹿者!!」と雷を落としたからではないかとも言います。だとすると、ボアネルゲは「雷親父の子」ということになります。

しかし、主イエスは、彼らがイエスを知る前に、弟子としてお召しになる彼らのことをあらかじめご存知でした。ユダヤヨルダン川のほとりで知ったというのではなく、はるか前からのことでした。それこそ、母の胎内にやどったときから、いや、母の胎に宿る前です。あの若い日の預言者エレミヤは言っています。

 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、

   あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、

   あなたを国々への預言者と定めていた。」エレミヤ1:5

 福音の宣教者への召しというのは、主イエスの主権に属することです。人間が志す前に、主の側のご計画があります。主は「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、任命したのです。」とおっしゃったでしょう。

 

2 人間をとる漁師の務め

 

さて、主は伝道者を表現するに当たって「人間をとる漁師」というおもしろい表現をおもちいになりました。それは、呼びかけられた彼らにとって一番な身近な譬えであったからでしょう。もし彼らが農夫であれば、世界の畑から収穫をする農夫にしてあげようとおっしゃったかもしれません。

 

(1)沖合いに出る

漁師は、沖合いの漁場に出て網を下ろして、魚をとり、そして港に帰ってきます。そのように、福音の宣教者が遣わされる沖合いの漁場は「この世界」です。まだイエスさまによる救いを知らない人々がいる世界です。マタイ伝の28章では「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を」とあり、マルコ伝の末尾には「全世界に出て行って」とあり、ルカ伝には「エルサレムから始まってあらゆる国の人々に」とあります。

漁師が岸辺に座っていて網をつくろってばかりいるだけでは一匹の魚もとれません。同じように書斎で聖書の研究をしているだけでは、誰一人救いに導くことはできません。「漁場に出て行って」、網を下ろすことが必要です。この世に、教会の外に、この世の人々にあらゆる手を尽くして、福音の網を投げることが必要です。漁の上手下手はありましょうし、それ以前に、漁場のよしあしがあることも事実ですが、とにもかくにも遣わされたところに出て行って網を投げることが必須です。教会堂の主の日の説教壇でなく、外の人々に福音を伝えるのです。

エス様のみことばの御用を見てみると、「宣べ伝えた」ケーリュッソーということばと、「教え」ディダスコーという二つのことばが出てきます、「宣べ伝え」というのは未信者にむかって「悔い改めてイエス様を信じなさい」と語ることです。他方、「教え」はすでにイエス様を信じた人に向かってイエス様の弟子として成長することを促すみことばです。ですから、原則的には教会の外で福音を宣べ伝え教会の中では教えを語るのです。

私たちはみことばを毎週聞くことができますが、苫小牧にもまだまだイエス様の十字架の福音の意味を知らないという人が山のようにいます。私たちは何とかして、教会の外の人たちに、イエス様の福音を届けなければなりません。

 

(2)網を下ろす

では、沖合いに出て下ろす網とはなんでしょうか?伝道者が下ろす網は福音です。そして、キリストの福音という網によって捕らえられ集められたお魚の群れが教会です。ポール・マイネアという人が書いた、『新約聖書における教会のイメージ』というおもしろい本があります。代表的には、教会のイメージとして「神の民」「キリストのからだ」「生ける石の神殿」「キリストの花嫁」「オリーブの木」「ぶどうの木」などといったものが挙げられています。そして、それぞれに意味があります。が、そのなかの一つに「福音という網で捕らえられた魚たち」があります。

私たちはそれぞれに浮世という海の中で、小さな魚の群れのなかの一匹のように、群れが右に向かうなら自分も右に、群れが左に向かうなら自分も左にと、この世の流れにあわせていたものですが、ある日、キリストの福音という網に捕らえられました。私の罪のために、神の御子が人としてきてくださり、十字架の死と復活をもって私の罪を償い、救ってくださったという、あの福音にとらえられたのです。

 

漁師が魚を港に持ってくるように、人間をとる漁師は福音の網によってとらえた人々を主イエスの御許に連れてきます。大きい魚も小さな魚もいるでしょうし、年寄りの魚も若い魚もいろいろですが、みんなで、永遠の港へと行くのです。

 

3 伝道者への召しは絶対・・・網を、舟を、父を置いて従う

 

 主イエスから「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」と声をかけられると、シモンとアンデレは「すぐに」網を置いて主イエスにしたがいました。そのあと、漁師仲間であったヤコブヨハネは、やはり「すぐに」舟も、そこにいた父も雇い人も後にして主イエスについていきました。職業も、財産も、親までも、後にして主イエスにしたがったのです。

1:19 また少し行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった。彼らも舟の中で網を繕っていた。 1:20 すぐに、イエスがお呼びになった。すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行った。

 彼らも主イエスのことばにただちに応じて、立ち上がりました。網だけでなく、網と、父と雇い人と舟も残して主イエスについていったのです。彼らは、仕事も財産も親さえも後ろにおいて、主イエスにしたがったのでした。網つまり彼らの職業を捨て、父を後にしてついていったのです。こんなことがありえるのだろうかといぶかる人もいるでしょう。

 主イエスのおことばには力があります。二千年来、主イエスから伝道者への召しのことばを受けた人は、同じように立ち上がってきました。今日でもそうです。主イエスの福音のありがたさを知らされたとき、他のそれまで価値あるものとして大事にしていたもの、しがみついていたものが、さしたる価値のないものになってしまいます。主イエスが福音の宣教のために伝道者を呼び出される召しは絶対的なものです。漁師であれ、商売であれ、ビジネスマンであれ、大工さんであれ、看護師であれ、医師であれ、教員であれ、それぞれの職業は、神が創造において定められた文化命令・労働命令に対する応答として意味がある働きです。泥棒とか人殺しというような、それを行うこと自体が罪でないかぎり、すべての職業は神の前にそれなりに一般恩恵にかんする職務として意義あるものです。

 けれども、キリストの福音の宣教という特別恩恵のための職務への召しがあったときには、それらすべてを後にしてでも立ち上がることを主イエスは要求なさいます。

 また、「あなたの父母を敬え」というのは、神ご自身が十戒の中で人間として生きる道においてとても重要なこととしてお定めになったことです。十戒を前半と後半に分けるなら、前半は神への愛、後半は隣人愛の戒めですが、その後半の筆頭が「あなたの父母を敬いなさい」です。けれども、もし福音宣教のために伝道者として立つことを、主イエスがあなたをお召しになったならば、たとえ親が反対したとしても、立ち上がらねばなりません。伝道者としての召しは絶対のものなのです。それは、福音の絶対性ゆえです。福音を受け入れるか、それとも、拒否するかによって、人の永遠の運命は決定するのですから、福音にはなにものにも換えがたい絶対の価値があります。

 こうした伝道者への召しは、今日でも同じようになされています。私が神学校に入ったときにも、同期生の中には、安田生命をやめてきた人、小児科医を廃業してきた人、父親に勘当されて夏休みにも帰る家のない人たちがいました。主から伝道者の召しを受けるならば、人はすべてを置いて立ち上がらなければなりませんし、また、立ち上がらざるを得ないのです。

 

結び

適用1 若くしてイエス様の救いにあずかった人は、それは特別な恵みなのです。多くの人は人生の多くをすごしてから真の神を知り、「もっと早く、イエス様を知っていたら、違った人生があったのに」と思うのですから。あなたには、「もしかしたら、主イエスはこの自分を福音の宣教者としてお召しになっているのではないか?」とまじめに考えて祈る義務があります。パウロがいうように、「福音を語らないではいられない。」という福音を聞いていない人々に対する負債感というのが、伝道者としての召しのしるしの一つです。

あなたに、もし福音を伝えなければという負債感があるならば、もしかしたらあなたも伝道者に召されているのかもしれません。だとすれば、主にみこころを求めてそのように祈るべきです。そして、主が自分を伝道者として召していらっしゃるのではないかと思うならば、まず牧師に相談してみてください。召しは主観的な面だけでなく、客観的な面から確認する必要があります。

適用2 牧師・宣教師への召しは一部の信徒に与えられるものです。しかし、キリストの証人としての召しはすべてのキリスト者に与えられています。「あなたがたのうちにある希望について説明を求められたら、説明する用意をしておきなさい。」とペテロは命じています。「キリストの救いってどういうことなんですか?」と質問されたら、「アワアワ」としか答えられないのではいけません。あなたは準備ができているでしょうか。その準備は、すべてのクリスチャンがしておかねばなりません。自分の身に起こったことを、お話するのです。自分はイエス様を知る前は、こうでした。それが、あるときに救い主イエス様を受け入れたら、心持はこんなふうになり、生活はこんなふうに変わりました、とお話すればいいのです。<使用前、使用、使用後>みたいな順序で、単純に自分にイエス様がしてくださったことをお話するのです。

 

 主はあなたにも言われます。

「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」

神の国の福音

マルコ1章14-20節

2016年4月24日 苫小牧主日礼拝

 

1:14 ヨハネが捕らえられて後、イエスガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。

 1:15 「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。

 

 イエス様は弟子たちに「あなたがたを人間をとる漁師にしてあげよう」とおっしゃいました。その漁師の網である「神の国の福音」についてお話します。

 

1 神の国の福音

 

(1)福音

 バプテスマのヨハネが捕らえられました。領主ヘロデ・アンテパスの姦通罪をおおっぴらに厳しく糾弾したことに対して、報復されたのです。神の救いのご計画という観点からいうならば、ヨハネが捕らえられ、そのキリストの到来を予告する活動が止められたことは、旧約時代が終わって、キリストの時代の到来したことを意味しています。

 主イエスは、神の国の福音を宣言しました。「時が満ち、神の国は近くなった、悔い改めて福音を信じなさい。」

 ところで「福音」とはなんでしょうか。福音とはeuangelion良いeu知らせangelionです。多くのクリスチャンは福音とはなんですか?と聞かれると、「イエス・キリストが私たちの罪のために十字架で死んで三日目によみがえって、私たちに罪のゆるし、永遠のいのちをくださった、という知らせです」と答えるでしょう。正解です。ヨハネ3章16節、1コリント15章に書かれているとおりです。「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」すばらしい知らせ、まさに福音です。

けれども、福音はさらに縮めることができます。実際、イエス様が「悔い改めて福音を信じなさい」と宣言したとき、「私はこれからあなたがたの罪のために十字架にかかって死んで三日目によみがえります」と説明したでしょうか。いいえ。イエス様が神の国の福音を宣言なさったとき、その内容として語られたことは、「神が約束された救い主は、このわたしです。」ということです。福音とは、イエス・キリストです。

私たちはイエス様がどのようにして信じる私たちをお救いくださるのか、その方法を厳密に知らなくても、「イエス様、私を救ってください。」と心から叫ぶなら救っていただけます。救うのは生きているイエス様ですから。「主の御名を呼ぶものは誰でも救われる」とあるとおりです。もちろん、主イエスが、私たちを愛し、そのいのちを十字架上で捨ててまで私たちの罪を償ってよみがえってくださったということを知れば、ますます確信は深まるのですから、そうしたことを学ぶのは有益なことですが、あえて「最小限このことだけ」と福音のエッセンスを言えば、「主イエスを信じなさい」だけです。ピリピの牢屋で今まさに自分の首に剣をあてて自殺しようとする看守が、「どのようにしたら救われるのでしょうか」とパウロに問うたとき、パウロは「主イエスを信じなさい。」と答えたでしょう。福音とは主イエスです。

 

2 王の支配

 

(1)神の国

では、主イエスが宣言された「神の国は近づいた」とはどういう事態でしょうか。 「国basileia」とは王国という意味です。ですから、「神の国」とは、神の王的支配ということです。「神が王として支配してくださるときが近づいた。だから、悔い改めてイエス・キリストを信じなさい」ということです。

「御国が来ますように」と私たちはいつも祈ります。そして、「みこころが天で行われるように、地でも行われますように」と祈ります。みこころが地で行われること、つまり、神のご支配が実現することが「神の国が来る」ということです。

アダムの堕落以来、地には悪い力が働いていて、神の御心がなり、神の支配がなされることを邪魔しています。悪い力とは、悪魔と世と肉です。悪魔とは神様に背いた天使、古い蛇のことです。世とは、神様に背を向け、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢をすべてとする世的な価値観です、そして、肉とは私たちの内側にあって神に背こうとするアダム以来の堕落した利己的な性質のことです。そういう妨害にもかかわらず、「神のみこころが成りますように、神のご支配、神の国がきますように」と私たちは祈るのです。

 

(2)みこころが成る、御国が来るとは

では「神の支配が来る」すなわち「みこころが成る」とはどういうことでしょう。「みこころ」とはなんでしょうか?有限な人間に無限の神のみこころがわかるわけがないというのは、一つの見識です。しかし、聖書は有限な人間にも知ってよいこととして、神が私たちにみこころを教えてくださいました。とはいえ、こんな分厚い聖書、どのように神のみこころを知ることができるでしょう。

エス様は、神のみこころの要点を律法学者との問答において明らかにしてくださいました。マルコ12:28-31

12:28 律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」

 12:29 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。 12:30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

 12:31 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」

要するに、神のみこころが成る、神の支配(王国)が来るとは、「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』というご命令と『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』というご命令が実現される状態を意味しています。神への愛と隣人愛とが実行される場、その中核は教会という礼拝共同体ですから、福音書のなかでは、教会と神の国が同じ意味で使われているところもあります。「神の国あなたがたのただ中にある」(ルカ17:21)と主イエスはおっしゃいました。主イエスが来られ、神を愛したがいを愛し合う群れが誕生したら、そこに神の国はあるのです。教会にはいろいろ欠けがあります。世間の人の教会に対する基準は厳しいものがあります。でも、それでも教会には神の国があります。私はかつて、神を知らずにむなしいところを生きていました。十九のときはじめて教会に行って、この世にまことの神を愛し互いのために祈りあう、そういう人々がいるのだ、と驚きました。神の国はあなたがたのただ中にある」のです。

また、教会の中だけでなく、私たちの家庭に、社会に、この職場に、地域に、この国に、この世界に、神を愛する愛と、隣人を自分自身のように愛する愛が実現していくときに、「神の国がそこに来ている。そこにみこころが成っていく」ということができるわけです。

個人生活についていえば、「御国が来ますように。みこころがなりますように。」と祈るとき、「私は心を尽くしてあなたを愛します。あなたがくださった、この夫、この妻、この父、この母、この兄弟を愛します。困っている隣人を愛します。」という決心をするのです。ですから、主の祈りにおいては、「私たちの日ごとの糧を与えてください」と自分の空腹だけでなく隣人の空腹のためにも祈り、また、「私に負い目のある人を赦します」という決心をするのです。私が、他の人々の幸せを祈り、他の人々の自分に対する負い目をゆるすとき、神の国はそこに来ていて、また、みこころが地に成っているのです。

 

3 悔い改めて福音を信じなさい

 

でも、決心し頑張ったら実行できるなら苦労はありません。頑張って実行できるなら、律法で十分でしょう。頑張ってもできないからこそ、神様は私たちに福音であるイエス様をくださいました。

 

(1)悔い改めて福音を

主イエスは「悔い改めて福音を信じなさい」とお命じになりました。自分がどんなに頑張り努力しても実を結べないことを認めて、つまり、神様が恵みによってくださった救い主キリストを信じなさいということです。人は、アダムが堕落して以来、みな自力救済主義者となってしまいました。自分の努力、自分の頑張りで、道徳を、神の戒めを守って、自分の義を立てることが出来るという風に思うようになったのです。アダムが巻いたイチジクの葉っぱの腰覆いは、その象徴です。いちぢくの葉っぱでも、ほんの少しの間は己の恥を隠すことができましょうけれども、数時間もすればそれはしおれて枯れてしまうものです。同じように、私たちも頑張れば、しばらくの間は、あの罪、この罪を犯さないことができますが、しばらくするとまた同じ罪をおかします。人間の努力による自力救済の試みもそのようなものです。パウロは「むさぼってはならない」という罪が入ってきたとき、自分はつくづく罪人だなあとわかって、神様の前に降参したと告白しています。

悔い改め、方向転換が必要です。自分の頑張りで神の前に自分の義を立てるのではなく、キリストにある神の恵みを受け取るという方向転換をするのです。「私はお手上げです。降参です。救い主イエス様を信じます。」と神様に申し上げるのです。「私はだめな人間です。あなたの戒めを守れないのです。決定的に罪があるのです。あなたの恵みによるほか、救われようがありません。イエス様を信じます。感謝します。」という生き方への転換です。自力から恵みへ、頑張りから感謝へと転換するのです。

 

(2)「すでに」と「いまだ」の間に生きる

エス様は、「御国がきますように」と祈るように教えてくださりながら、もう一方で「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」(ルカ17:21)とも教えてくださいました。つまり、私たちは、神の国の「すでに」と「いまだ」の間に生きている者です。

すでにキリストが来られ、キリストが勝利をえてくださいました。しかし、キリストのご支配は私たちの生活のうちで、社会の中で、まだ完遂されているわけではありません。日々、自分の自己中心の性質と、この世と、サタンとの戦いがあります。完全な御国の到来は主イエスの再臨のときです。

しかし、そうして日々「御国がきますように」と祈りつつ、私たちの生活を日々主のご支配にゆだねていくとき、あなたの周りにだんだんと神の国が拡大していくのです。

あなたの時の使いかたを、神の国の民らしく整えるなら、あなたの周りに神の国が実現していきます。あなたのお金の使い方を、神を愛し隣人を自分自身のように愛するために用いるなら、そこに神の国はひろがります。あなたの隣人に対する態度と言葉を、神を愛し隣人を愛することばとするなら、そこに神の国は来ています。あなたの住む地域社会、この国において、神への愛と隣人への愛が実現するとき、御国はひろがっていくのです。

生活の全領域に、神様を愛し、隣人を自分自身のように愛する選択をしていきましょう。そこに神の国は広がってゆきます。そうしながら、主イエスが再びおいでになって、御国が来ますようにと祈り続けるのです

 

神の国が来るためには、贖罪的生き方をすることが大事なんだ」と広瀬薫先生という友人がよく話をします。贖罪的生き方とはどんな生き方を意味するのか?と私は彼に聞きました。すると、広瀬先生はちょっと考えて、「人が捨てたごみを、それはあいつが捨てたのだから、あいつの責任だと放っておくのではなくて、自分のごみとして拾うという生き方だよ。と教えてくれました。イエス様は私たちの罪をご覧になって、それはお前の罪だ、お前が地獄でその罰を受けなさいとおっしゃらないで、まるで自分の罪であるかのようにして十字架で背負ってくださった。あのことに倣うんだよ。」と。

そうして生きていくときに、あなたの周りにも、神の国がひろがって行くのです。新しい一週間に歩みだします。あなたの周りにも神の国がきますように。