水草牧師の説教庫

聖書からのメッセージの倉庫です

主イエスの家族

マルコ3章20-35節

 

2016年7月24日 苫小牧主日礼拝

3:20 イエスが家に戻られると、また大ぜいの人が集まって来たので、みなは食事する暇もなかった。

 3:21 イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。「気が狂ったのだ」と言う人たちがいたからである。

  3:22 また、エルサレムから下って来た律法学者たちも、「彼は、ベルゼブルに取りつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。

 3:23 そこでイエスは彼らをそばに呼んで、たとえによって話された。「サタンがどうしてサタンを追い出せましょう。

 3:24 もし国が内部で分裂したら、その国は立ち行きません。

 3:25 また、家が内輪もめをしたら、家は立ち行きません。

 3:26 サタンも、もし内輪の争いが起こって分裂していれば、立ち行くことができないで滅びます。

 3:27 確かに、強い人の家に押し入って家財を略奪するには、まずその強い人を縛り上げなければなりません。そのあとでその家を略奪できるのです。

 3:28 まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。

 3:29 しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」

 3:30 このように言われたのは、彼らが、「イエスは、汚れた霊につかれている」と言っていたからである。

   3:31 さて、イエスの母と兄弟たちが来て、外に立っていて、人をやり、イエスを呼ばせた。

 3:32 大ぜいの人がイエスを囲んですわっていたが、「ご覧なさい。あなたのお母さんと兄弟たちが、外であなたをたずねています」と言った。

 3:33 すると、イエスは彼らに答えて言われた。「わたしの母とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか。」

 3:34 そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。

 3:35 神のみこころを行う人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」

 

 

序 本文の構造・・・挟み込み

 本日お読みした聖書箇所は、少し珍しい書き方がされています。つまり、20節21節でイエス様の家族の者たちが、「兄ちゃんがおかしくなってしまった」と心配して迎えに来たということが語られているのですが、その話はいったん切れて、イエス様と律法学者たちの議論が挟み込まれて、31節で話が再開するのです。イエス様の律法学者との議論を聞いていた人々が、「ご覧なさい。あなたのお母さんと兄弟たちが、外であなたをたずねています」と言ったのでした。

 こういう「挟み込み」の書き方をマルコは時々しています。マルコは何を意図しているかといえば、二つの場面が同時進行していることを、この書き方でもって表わそうとしているのです。全体に共通するテーマとは、「家」ということでしょう。主イエスの肉の家、サタンの家、そして、主イエスの霊の家です。

 そこで、今日は、話をわかりやすくするために、まず、律法学者が論じていた件から、サタンの家の話、次に、聖霊をけがす罪についてお話し、最後に、イエス様の肉の家族と霊の家族についてお話します。

 

1 ベルゼブル(サタン)の家にも秩序あり

 

さて、場所はガリラヤのカペナウムあたりです。身内の人々がイエス様を連れ戻しに来たとき、イエス様のもとには、はるばるエルサレムから偉い律法学者の先生たちが来て、議論を吹っかけているところでした。律法学者たちは、イエスが数多くの人々から悪霊を追い出して、その影響力から解放していることが単なる噂ではなく、事実であるということ自体は認めざるを得ませんでした。イエス様のもとに行って、多くの人々が病気を癒され、悪霊を追い出されたという数多くの証言を確認できましたし、彼らの目の前で、そういう御業が行われていたからです。

エス様のなす数々の奇跡は「しるし」と呼ばれます。「しるし」とはサインのことで、たとえば野球で監督が三本指で頭をかくサインをすると、「次はヒットエンドランだ」とか、「次はスクイズだ」とかというメッセージを受け取るのです。イエス様の周囲に集まった多くの人々は、御子イエスの悪霊追い出しや、いやしというサインによって、「イエスは神が遣わされたお方なのだよ」という聖霊によるメッセージを受け取ったのです。

しかし、この律法学者たちは、なんとしてもイエスが神から遣わされた者であることを認めたくありませんでした。二つの理由がありました。一つは彼らの律法に関する考え方からすれば、イエスは律法をないがしろにしているように見えたからです。とくに安息日の過ごし方が問題でした。ほんとうは、イエス様こそ、安息日にもっともふさわしい愛の実践をされたのですが、彼らの目にはイエス安息日を破っていると見えました。彼らは「安息日律法を破っているような男が、神の力によって悪霊を追い出すことができるはずがない」と考えました。もう一つの理由は、「ねたみ」でした。これまで民衆は律法学者、とくにパリサイ派の律法学者を尊敬し支持していたのですが、今、急速に民衆の尊敬と人気はイエス様に移って行きつつあったからです。嫉妬というのは、真実を見る目をふさいでしまい、聖霊が与えるサインも見させなくしてしまうものなのです。

そこで、彼らはなんとしても「イエスが神から遣わされた方である」という、聖霊の語り掛けを受け入れないために、屁理屈を考えました。それは、<イエスの中には悪霊のかしらであるベルゼブル(サタンの別名)が住んでいるから、その権威でもって下級の悪霊たちを追い出しているのだ>というものでした。そして、この説を民衆に対して吹聴したのです。

 3:22 また、エルサレムから下って来た律法学者たちも、「彼は、ベルゼブルに取りつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。

しかし、主イエスは、律法学者たちをそばに呼んで、そんな屁理屈は通用しないと簡単にやっつけてしまいます。

 3:23 そこでイエスは彼らをそばに呼んで、たとえによって話された。「サタンがどうしてサタンを追い出せましょう。 3:24 もし国が内部で分裂したら、その国は立ち行きません。

 3:25 また、家が内輪もめをしたら、家は立ち行きません。 3:26 サタンも、もし内輪の争いが起こって分裂していれば、立ち行くことができないで滅びます。

 3:27 確かに、強い人の家に押し入って家財を略奪するには、まずその強い人を縛り上げなければなりません。そのあとでその家を略奪できるのです。

 つまりサタンの家にもちゃんと秩序があって、ボスであるサタンと、手下である悪霊たちとがいさかいを起こしたりなどしてはいないのだというのです。今、イエス様が、「強い人」であるサタンを縛り上げているからこそ、その下級の悪霊どもを追放できているのだとおっしゃるのです。

 

2 聖霊をけがす罪

 

 そして、ことのついでに、『聖霊をけがす罪』という罪について、イエス様は律法学者たちに警告なさいます。

3:28 まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。 3:29 しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」 3:30 このように言われたのは、彼らが、「イエスは、汚れた霊につかれている」と言っていたからである。

「永遠に赦されることがない、聖霊をけがす罪」とは一体どういうことでしょうか。結論からいいます。イエス様によって赦されない罪は一つもなく、イエス様によらないで赦される罪は一つもありません。したがって、永遠に赦されない罪とは、どこまでもイエス様を拒絶することです。

エスの「しるし」を見た律法学者たちの内側には、聖霊が「イエスは神の遣わされたお方だ。イエスを信じよ。」と語りかけられました。それを拒絶して、彼らは心かたくなにして「イエスは悪霊のかしらベルゼブルに取り付かれているのだ」と主張しました。そして悔い改めのチャンスを自らつぶしたのです。彼らは永遠の滅びを選び取りました。

聖霊は人のうちに働いて罪を自覚させ悔い改めを促し、イエスが神の御子であることを示すのです。しかし、もしイエスをあくまでも拒絶するならば、もはや、その人は悔い改めて、イエスを信じることができなくなってしまい、永遠にゆるされません。そういう人は「私は聖霊をけがす罪を犯したのだろうか」ともはや悩むこともありません。ケロリとしたものです。

私たちは聖霊が、「あなたのうちに罪がある。罪を認めなさい。イエスを信じて、神に立ち返りなさい。」と迫ってくださるならば、すなおに従うべきです。さもなければ、永遠に悔い改めることもできず、赦されず、その最後は悪魔と同じくゲヘナを終の棲家とすることになってしまいます。

「主を呼び求めよ。お会いできる間に、近くにおられるうちに呼び求めよ。」とあります。私たちの人生のなかで、主が近くに迫ってくださることは、そう何度もあるわけではありません。今、主があなたに近く迫ってくださっているならば、主を呼び求めて、己の神の前における罪を認めてイエス様を信じることです。

 

3 イエスの家族

 

(1)血縁の家族

さて、次に、イエス様の身内の人々がイエス様を迎えに来た件について、お話します。

「3:20 イエスが家に戻られると、また大ぜいの人が集まって来たので、みなは食事する暇もなかった。 3:21 イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。「気が狂ったのだ」と言う人たちがいたからである。」

エス様は12歳に養父ヨセフと母マリヤとエルサレム神殿に出かけたという記事がルカ福音書にありますが、その後、どうやら大工であった養親ヨセフはどうやら早く世を去ったようです。ヨセフとマリヤの間には何人かの男女が生まれて、イエス様の弟妹となっていましたから、イエス様は一家の長男として、父の代わりを務め、母も弟妹たちもイエス様を頼りにしていたのです。「たくみの家に人となりて、貧しき憂い、生くる悩みつぶさになめしこの人」でした。

ところが、やさしくて頼りがいのある、イエス兄ちゃんが30歳になったある日突然、ぷいっとナザレを出てカペナウムのほうに出かけて行きました。そして、何日も帰ってこないのです。「兄ちゃん遅いねえ」とマリヤと弟妹たちが思っていると、ガリラヤ湖のほとりカペナウムに出かけていた人がやってきて、「おい、あんたんちのイエス兄ちゃん、頭がおかしくなったみたいだぞ。カペナウムやガリラヤ湖周辺の町々で『神の国がどうのこうの』とわけのわからんこと言って回っているそうだよ。自分を預言者か何かと思い込んでいるみたいだよ。」と報せたのでした。

母マリヤをはじめ一家はびっくりして「兄ちゃんが、頭がおかしくなった。」「まあ、前から兄ちゃんはあたしがくよくよしていると、『空の鳥を見よ』なんてこの世離れしていたけれども」・・てなことを言いながら、心配して探して連れ戻しにきたのでした。母マリヤは、「いと高き方の御子があなたの胎に宿るのですよ」とかつて御使いガブリエルからの御つげを受けたわけですし、イエスが12歳のときの宮詣でのときにも不思議なことがあったのですが、それから18年もたって、すっかりあのことは忘れてしまったかのようです。

あまりにも身近すぎて、イエス様が神のみ子であることがすぐには信じがたかったのでしょう。

わかるような気がします。少し次元のちがうことですが、自分の子どもや妻や夫から、キリストの福音を知らされて悔い改めるというのは、多くの人にとってはむずかしいのかもしれませんね。照れくさいのか、面子にかかわると思うのでしょうか。そういう人間的な感情は横において、真理を真理として受け入れる謙虚さは大事なことです。

エス様の母、兄弟姉妹たちは後の日に、イエス様を受け入れるようになります。同じような境遇の人に必要なのは忍耐です。

 

(2)神の家族・・・・神のみこころを行う人々

 さてイエス様は家の中で律法学者たちと込み入った議論していらしたので、母マリヤと兄弟たちは外から人をやってイエス様を呼ばせます。恐らくここで「家」というのは、以前にもお話ししたように、広い中庭があって道路に面してアーチの入り口があり、そこから中がのぞけるような今で言うコートハウス造りになっているのです。マリヤが中庭をのぞくとイエス様がたくさんの人に取り囲まれていて近づけません。

 3:32 大ぜいの人がイエスを囲んですわっていたが、「ご覧なさい。あなたのお母さんと兄弟たちが、外であなたをたずねています」と言った。

 すると、イエス様は、庭の入り口のアーチのほうをちらっと見て、今度は周囲の人々を見回して、「家族、教会とはなにか」ということについて、母マリヤや兄弟たちにとっては、相当ショッキングなことばをあえて語られます。

 3:33 すると、イエスは彼らに答えて言われた。「わたしの母とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか。」

 3:34 そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。 3:35 神のみこころを行う人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」

母マリヤや兄弟たちという肉親以上に、あなたたち神の家族のほうが重要なのだと主イエスはおっしゃるのです。イエスさまは他のときにも、

10:29 「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、 10:30 その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。」(マルコ10:29,30)

とおっしゃいました。聖書は「あなたの父母を敬いなさい」と命じていますし、親の恩に報いることが大事なことだと教えています。神様が世界を造ったときに定めた三つのことは、礼拝の日と家庭と仕事ですから、家庭というものは国家以上に重要なものなのです。けれども、血縁の家庭よりももっと大事な「神の家族」があります。肉の家族は、私たちが地上にある間の一時的なものですが、神の家族はこの世で終わる一時的なものではなく、次の世にあっても続く永遠のものです。肉の家族はそれぞれの家の幸福や都合で動くものでしょうが、神の家族は神のみこころを行うことをその目的としています。また、肉の家族は閉鎖的な単位ですが、神の家族はことばも民族も国語も超えて世界中にひろがっているものであり、地上だけでなくすでに天に挙げられた兄弟姉妹たちを含んでいるものです。つまり、神の家族とは聖なる公同の教会です。

エス様は、あえて、マリヤと弟や妹たち聞こえるように、おっしゃったのです。

「わたしの母とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか。」

「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。神のみこころを行う人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」

マリヤと兄弟たちは、すごい衝撃を受けたにちがいありません。特に母マリヤはおなかを痛めて生んだ子に拒絶されたのですから、ショックだったでしょう。しかし、後の日に、彼らもまた、イエス様を神の御子として信じて神の家族に入れられる日が来るのです。

 

結び

 主イエスを信じて新しい人生に入り、神の家族にはいって歩みだそうとするとき、ほとんどの場合、一時的ではあっても肉の家族との軋轢を避けることはできません。みなさんのうちの多くの方たちは、そういう経験をして来られたでしょう。今もしているかもしれません。イエス様ご自身も、同じ経験をされましたから、イエス様の家族の1人であるあなたが同じつらい経験をすることはもっともなことです。

しかし、イエス様が後に、マリヤや兄弟たちを神の家族として迎えたように、私たちもその希望をもって、まずは自分がイエス様にしたがい神のみこころを行う神の家族の一員となることが肝心なことです。そして、自分自身が神様の恵みと愛の通り管となって、神様の愛を家庭にもたらす器として用いられることが肝心なことです。やがて、ともに主を賛美するよき日が来ます。

十二人十二色

マルコ3章7-19節

2016年7月17日 苫小牧主日朝拝

 

1 ガリラヤ宣教の概要

(1)人々が集る

 7節から12節は、イエス様のガリラヤ宣教のありさまの概要です。イエス様の宣教が始まると、イスラエル全土ばかりか周辺の国々からも、続々と人が集ってきました。

3:7 それから、イエスは弟子たちとともに湖のほうに退かれた。すると、ガリラヤから出て来た大ぜいの人々がついて行った。また、ユダヤから、 3:8 エルサレムから、イドマヤから、ヨルダンの川向こうやツロ、シドンあたりから、大ぜいの人々が、イエスの行っておられることを聞いて、みもとにやって来た。

 まるで民族大移動みたいな動き方です。

 彼らの目当ては、病気を治してもらいたい、あるいは、悪霊を追い出してもらいたいということでした。10,11節にあるとおりです。

3:10 それは、多くの人をいやされたので、病気に悩む人たちがみな、イエスにさわろうとして、みもとに押しかけて来たからである。

 3:11 また、汚れた霊どもが、イエスを見ると、みもとにひれ伏し、「あなたこそ神の子です」と叫ぶのであった。3:12 イエスは、ご自身のことを知らせないようにと、きびしく彼らを戒められた。

 現代とちがって、医療技術というものが乏しく、病院などなかった当時としては、病気が治してもらえるということは、なによりありがたいことだったのです。私が春までいた信州の佐久地方にある臼田町は、今はシャッター商店街で、人影まばらな町ですが、その臼田町の一箇所だけは毎日人だかりがしています。佐久総合病院です。県外からも患者たちがやってくるのです。どの時代も病人だけは、決してたえることがないのです。そういう病院のない時代、ガリラヤの田舎に病を治してくれる人がいるといえば、イスラエル中から人々が集ったのは至極当然のことでした。

 

(2)福音を知らせたい

 やさしいイエス様は、そうして集ってくるさまざまの病人たちを癒してやられたのですが、しかし、イエス様がほんとうに彼らに与えたいものは、病の癒しよりもはるかに大切なものでした。それは、神の国の福音です。神様との破れてしまった関係を、イエス様が直しに来られたのだということを伝えたかったのです。

 「人はたとえ全世界を手に入れてもまことのいのちを損じたら、なんの得があるでしょう。」人はたとえガンが治っても、地獄に落ちたらなんの得があるでしょう。たとえガンで死んだとしても、その行き先が神とともに生きる永遠の至福の天国であれば、ガンはたいした問題ではありません。

 しかし、イエス様がたいせつな永遠のいのちの話をしようとしても人々は病気を治してくれと押し寄せてくるので、ゆっくりと彼らに話をすることができません。そこでイエス様は一策を講じました。

 3:9 イエスは、大ぜいの人なので、押し寄せて来ないよう、ご自分のために小舟を用意しておくように弟子たちに言いつけられた。

  これはガリラヤ湖のほとりに押し寄せてきた群衆に、じっくりと話を聞かせるための工夫です。群衆はガリラヤ湖畔の斜面にびっしりと集っています。イエス様は湖に数メートル漕ぎ出した舟から斜面の群集にむかって、神様について、人間には自分ではどうすることも出来ない罪がある現実について、しかし、その罪からの救い神の国、永遠の命を賜るためにご自身が来られたことを懇々と言って聞かせたのでした。イエス様の背後から湖面をわたるそよ風が、イエス様のことばを湖畔の斜面にいる群集に届けてくれるのです。

 

2 十二弟子任命

 

 次に13節から15節までは、主イエスの世界宣教のマスタープランについてです。

  3:13 さて、イエスは山に登り、ご自身のお望みになる者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとに来た。

 3:14 そこでイエス十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、

 3:15 悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。

 

(1)世界宣教のマスタープラン

 イエス様は、福音宣教の働きを、ご自分ひとりではなく、弟子たちに分かつことにしました。イエス様の公生涯はわずか3年間ですが、その3年間が世界を変えました。それはイエス様が少数の弟子たちを選んで特別な訓練を施したからです。主イエスお1人で三年間の伝道活動はできたでしょうが、もしイエス様がお1人ですべてのことを行って3年間を終えてしまっていたら、今日に至るキリスト教の歴史はなかったでしょう。弟子たちを訓練していたからこそ、主のお働きは継続され、拡大されて、いまや世界に福音が伝わり、私たちのところにも伝わってきました。

 イエス様は行き当たりばったりに伝道したのではないのです。イエス様の頭の中にはマスタープランがありました。その中の優先事項は、後継者の養成でした。三年たったら自分は天の父の元に帰るのだから、ご自分の働きの後継者を養成しておかなければならないと心に決めておられて、それを実行なさったのです。

 

 今日の私たちの教会あるいは教団に適用して考えると、たとえば、ある程度の規模の教会になると、牧師と牧師夫人がなにもかもしていたら、まだイエス様のことを知らない方たちに伝道することはできなくなります。教会を初めて訪ねてくださった方たちに教会のこと、イエス様のことを紹介する係りを牧師や牧師の妻だけがするのでなく、基本的な聖書の教育を終えた兄弟姉妹たちがしてくださるというのは、多くの方たちに福音をあかしするために、とても大事なことです。苫小牧福音教会ではそういうご奉仕の出来るように学びをすませた兄弟姉妹が数名いらっしゃるとうかがいました。すばらしいことです。今度からお願いしようと思います。

 また、教団全体について、適用すれば、明日の牧師・伝道者の養成もまた、福音宣教の前進のために非常に重要なことです。私たちの教団には一つのスローガンがあります。「明日の伝道者は、全教会で育てる」です。そうして、明日の伝道者育成献金というものをしていて、神学生・神学教師となるために学んでいる教師たちのための奨学金を支出しています。また苫小牧福音教会が、北海道聖書学院、東京基督教大学の支援をしていることは、神様に喜ばれていることですし、私を神学校教師として送り出していてくださることもそうした主へのご奉仕です。

 

3 12人12色

 

さて、イエス様は、十二人の弟子をお選びになりました。12というのはイスラエル12部族にちなんだものです。

 3:16 こうして、イエスは十二弟子を任命された。そして、シモンにはペテロという名をつけ、

 3:17 ゼベダイの子ヤコブヤコブの兄弟ヨハネ、このふたりにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。

 3:18 次に、アンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党員シモン、

 3:19 イスカリオテ・ユダ。このユダが、イエスを裏切ったのである。

(1)3人が特別に

 マルコ福音書における12弟子リストアップの仕方に特徴があります。12人のうち、シモンとヤコブヨハネを最初に挙げているという点です。12人はイエス様が特別に選んだ弟子たちですが、その中でもこの3人はさらに特に訓練をほどこした者たちであり、初代教会のリーダーとなるべき人々でした。変貌の山につれて登ったのもこの3人、ゲツセマネの園に連れて行ったのもこの3人です。中核となる彼らを訓練し、そして12人、そして、ルカ伝を見ると70人の弟子たちということも記されています。

 これは何を意味しているのかを考えてみると、牧師・伝道者の養成には、大量生産のようなマスプロ教育では無理で、14節に記されているように「そばに置く」ことが必要なんだということです。福音の伝達は、単なる知識の切り売りや情報の伝達ではなく、人格から人格へと伝えられるものです。ことばはきわめて重要ですが、ことばは生き方が裏打ちされて伝えられていかねばならないということです。イエス様でさえ、特に直接に養育したのは3人であり、12人でした。神学校で伝道者・牧師養成には少人数でなされ、寮生活が求められるのは、そういうことがあるからでしょう。

 

(2)十二人十二色

 そして弟子たちを見ると、実に、いろいろな性格・いろいろなバックグラウンドの人が選ばれています。

 まずシモン・ペテロです。もともと職業はガリラヤ湖の漁師でした。性格は単純率直、直情径行でおっちょこちょいな人です。でも、筆頭の弟子としての印象が強い人です。ですが、強いようでもろいところがある人物でした。

  アンデレは、シモン・ペテロの弟です。たぶん人の良さそうなぼんやりしたところがある人でした。5000人の群集を前にして、イエス様から「あなたがたで彼らを食べさせてやりなさい」と言われて、「この少年が五つのパンと二匹の魚を持っています」とうれしそうに連れてきて、みんなからあきれられたようなのんきな人物。

 ヤコブヨハネは兄弟も漁師でした。イエス様が名づけたボアネルゲ、雷の子たちという意味ですから、彼らは瞬間湯沸かし器のような、熱しやすい、激しい気性をもった兄弟であったのでしょう。実際、イエス様に味方しない町には天から火を降らせてしまいましょうなどとひどいことを言った場面が福音書にはあります。そんなヨハネは後に、愛の使徒と呼ばれる人として変えられています。

また、ヨハネは、それほど高度な学問は教わっていないと思うのですが、「はじめに、ことばがあった。ことばは神とともにおられた。ことばは神であった。」と始まる、哲学的な雰囲気のあるヨハネ福音書を後に記すことになります。彼は霊的な洞察力のある人で、たとえば復活の朝、イエス様の墓にシモン・ペテロと一緒に出かけてみると、そこには亡骸はありませんでした。そのとき、ペテロは何がなんだかわかりませんでしたが、ヨハネは見て、主イエスの復活を悟りました。ガリラヤ湖で、朝もや岸辺に立った人がイエス様だと最初に気づいたのもヨハネでした。

 ピリポ、バルトロマイ、アルパヨの子ヤコブとタダイはよくわかりません。

 トマスは、生真面目な人でした。ある時は「私たちも主といっしょに死のうではないか」と口走るような、深刻な性格で、殉教志願者っぽいところのある人です。しかし、主イエスが復活した日、どこかに出かけていて、ほかの十人の弟子のところに復活の主がこられたのに、彼ひとりいなかったという間の悪い人です。そして、「この指をイエス様の手に差込み、この手をイエス様のわきばらの槍跡に入れなければ信じない」と叫んだ人でした。そういう懐疑主義者という面もあるのです。

 それから驚くべきは、マタイと熱心党員シモンの両方が十二弟子にいたことです。マタイは当時の社会では守銭奴にして売国奴であった取税人をしていた人物です。他方、熱心党員シモンとありますが、熱心党員は国粋主義テロリスト団員ということです。こういう犬猿の中であるような人たちが同じ主イエスの弟子だったということです。主イエスのもとにあっては、いろんな背景の人々、いろんな性格の人々が一つとなって行ったのですね。

 そして、一つの謎はイスカリオテ・ユダです。ユダについてはイエス様を裏切った人ということだけです。(3:19)。ユダは弟子団の中で会計係をしている人でした。どうもユダはその弟子団の財布から着服していたということが記録されています。

 

 主イエスに選ばれた十二人の弟子たち。背景も性格もみな違っている十二人十二色ですが、イエス様に従って一つの弟子団としての歩みをしてゆくことになります。これは、教会のあり方の一つの型です。私たちは互いに違っているのですが、それはひとりひとりが人間の工場で造られた画一的な製品でなく、神様のかけがえのない芸術作品であるからです。苫小牧福音教会の私たちも、ひとりとして同じ人はいません。年齢も、育った環境も、性別も、国籍もなにもかもがいろいろです。ですが、ともに主イエスに結ばれて、互いを受け入れあってともに御国の前進のために生きてまいりましょう。

 

ルールは何のために?

マルコ3:1-6

2016年7月10日 苫小牧主日

3:1 イエスはまた会堂に入られた。そこに片手のなえた人がいた。

 3:2 彼らは、イエス安息日にその人を直すかどうか、じっと見ていた。イエスを訴えるためであった。

 3:3 イエスは手のなえたその人に「立って真ん中に出なさい」と言われた。

 3:4 それから彼らに、「安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか」と言われた。彼らは黙っていた。

 3:5 イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元どおりになった。

 3:6 そこでパリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちといっしょになって、イエスをどのようにして葬り去ろうかと相談を始めた。

 

 

1 安息日の守り方をめぐって

 

3:1 イエスはまた会堂に入られた。

 主イエスと弟子たちは、安息日礼拝のレギュラーメンバーでした。イエス様の時代、人々は安息日をとても大事にしていたのですが、その大事にする仕方がおかしくなっていることに気づきました。特に民にとって指導的な立場にあったパリサイ派の人々の安息日観がおかしかったので、イエス様は、安息日その安息日の守り方をめぐって、パリサイ派の人々を戒めたのです。

 福音書によると、当時のイスラエルの指導的立場の党派には、パリサイ派サドカイ派、ヘロデ党という人々がいました。

サドカイ派は、ローマ帝国やヘロデ政権と妥協しながら、神殿経営をうまくやっていこうという祭司階級のエリートでした。神殿経営は大繁盛していて、祭りともなると地中海世界のあちこちから大量の人々が神殿礼拝に押し寄せていました。サドカイ派のものの考え方はギリシャの合理主義の影響を受けて、天使の存在を否定し、終わりの日の復活も否定していました。旧約聖書の中ではトーラーつまりモーセ五書は重んじるけれども、他の書は重んじない人々でした。

ヘロデ党というものの実態はよくわからないのですが、ヘロデ王権の政治的支持者たちということでしょう。ヘロデ家というのはイスラエル人でなく、エサウの子孫であるイドマヤ人でした。イスラエル民族にとって仲の悪い親戚のような民族なので、ローマ帝国は属州を統治するにあたって、わざわざイスラエルにとって仲の悪い親戚であるイドマヤ人の王を立てたのです。イスラエル内部で対立が起こってギクシャクしていれば、一致して支配者ローマに刃を向かってこないだろうという政策です。ヘロデ党は当然親ローマ主義で享楽的な人々でした。

親ローマ主義のサドカイ派、ヘロデ党に対して、パリサイ派イスラエル国粋主義・反ローマ主義の人々でした。彼らは、手工業に携わる庶民階級から出た人々であり、民衆に近いところにいて、民衆の支持を集めていました。パリサイ派旧約聖書に固く立って、天使の存在、死者の復活といったことがあると信じていました。そういう意味でイエス様の活動なさったフィールドと重なっていたので、パリサイ派の人々はイエス様としばしば衝突しました。

当然、ヘロデ党・サドカイ派パリサイ派は鋭く対立していました。合理主義者と超自然主義者、親ローマ主義者とイスラエル国粋主義者ですから、犬猿の仲です。

 

2.片手のなえた人

 

 さて、主イエスと弟子たちが会堂の礼拝に出席し、主イエスは会堂で旧約聖書を解き明かしました。と、会堂の隅に一人の人が座っていることに主イエスが気づきました。主イエスは、神様ですから、彼を見て、彼が片手が萎えてしまっている人であること、彼がどういう事情であり、どういう人生をたどってきたのかがわかりました。彼は隅の人目になるべくつかぬ場所を自分の場所と決めていたようです。だからこの男に向かってイエスは「立って、真ん中に出なさい。」とおっしゃいました。

 片手がなえているというのはどういう障害でしょうか。両手両足なえているというのとはちがう、その障害の意味とは。両手両足がなえているというならば、何もすることができない。なんでも人にやってもらうしかない。そういう生活をせざるを得ません。誰が見ても障害者です。しかし、片手がなえているということは、一見すると、なんともないように見えます。腕が隠れてしまう着物をまとえば、健常者となんらかわりません。だから、本人もそれを人に悟られまいとするような、そういう障害でしょう。けれども、実際には人と同じように仕事ができるかといえば、そうではありません。スポーツをしようというとどうにもなりません。日本でいえば、小さな時から、友達に「いっしょに鉄棒しよう」などといわれるまえに、隅のほうにうずくまっている。そういう消極的な生き方が習い性になってしまった、そういう人生をたどってきたのでしょうね。

 「立って、真ん中に出なさい」。主イエスのこのことばは、この人目につかない会堂の片隅にいたこの男の耳にはなんと響いたでしょうか。恥ずかしいと思ったでしょう。驚いたでしょう。しかし、彼は主イエスのことばに力を感じて、気が付くともう彼は立ち上がって、衆人環視のなかを歩いておずおずの主イエスの前に出てきます。自分でも意外なこと、いつもならできないようなことでした。しかし、「立って、真ん中にでなさい」とおっしゃる主イエスのことばには逆らい難い力がありました。主イエスのおことばは、無から万物を造りだした力あることばなのです。

 片手がなえ、いつも人目につかない隅の方に自分の居場所を求める人。必ずしも、からだに障害がなくても、この男のような人生をたどっている人がいます。そういう人は、なにかあると「どうせ自分には無理・・・」とつぶやくことが習慣となってしまっているのです。消極的で否定的な人生を生きているのです。

 しかし、そんな人に向かって「立って、真ん中にでなさい」と主イエスはお命じになります。そして主の命令には、人を動かす力です。どんな消極的な人生をたどってきたとしても、主イエスの命令をたましいの底に受け止めるならば、その人生は変えられます。

 信州安曇野の1人の女性牧師とその夫君から興味深い話を聞いたことがあります。彼女は一度天国に行って帰ってきたという(夢を見たという)のです。ある朝、夫君がいつものように出勤して、彼女は庭仕事をしていると、急にひどく頭痛がしたので家にもどったのですが玄関の廊下で意識を失い倒れてしまいました。脳出血でした。夕方五時をまわって、ご主人がもどってこられたのですが、家に明かりが灯っていません。ご主人は不思議に思いながら、暗い玄関に入って奥さんを見つけて、脳の病院に救急搬送しました。医者には、「状況から見て、倒れてから相当時間がたっているので生命が助かる見込みは少なく、幸い生命をとりとめたとしても、相当の重い障害が残ることを覚悟してください。」と言われてしまいました。ご主人はとにかく一生懸命に主に祈りました。

 その間、奥さんは、天国に入っていた夢を見ていたそうです。天国には虹がかかっていて、川が流れていたそうです。彼女のおっしゃるところでは、「都会で華々しく伝道をしていらっしゃる先生方と自分を引き比べて、自分は劣等感を抱いていました。天国に入れてもらえたときには、自分はきっとその隅のほうで小さくなっていなければならないのだろうなあ。」と思っていたそうです。ところが、天国に行ってみると、驚いたことに彼女は主イエスの足元に置かれていたのです。彼女は嬉しくて、「ばんざい。ばんざい。」と子どものようにはねました。そして周囲を見てみると一抱えもあるような、さまざまの宝石があり、自分自身もそういう宝石の一つであることに気づいたというのです。「片隅にいることはない。わたしの目の前に出ておいで。わたしの目にあなたは高価で尊い。」と、主が自分にもおっしゃっていることが彼女にわかりました。

 数日の意識不明の後、彼女は目がさめ、奇跡的な回復をとげて障害も残らずに退院し、天国の希望を語る使命が自分たち夫婦に与えられたことを確信して、あちらこちらでこの不思議な経験を証言してまわっていらっしゃるのです。

 「隅にいることはない。立って、わたしの前に出ていらっしゃい。君が、そこにいることばすばらしいことなんだから。」こうおっしゃる主イエスの御声を聞くならば、人はいきいきと生きることができます。

 

3 安息日にすべきこと

 

 さて、パリサイ人たちは、安息日なので当然、会堂に集っていました。しかし、彼らは神を賛美し、みことばに耳を傾けて礼拝することも忘れて、ひたすらイエスのあらさがしをしていたのです。「じっと見ていた」とあるでしょう。もちろん、主イエスが「安息日にしてはならない」こととして彼らが作り出した1521個の「仕事」と見なされる禁止条項に反することをやるならば、すぐに摘発してやろうと、監視していたのです。

ところが、主イエスは、片手のなえた人を会堂の真ん中に呼び出し、みなの目の前で彼の手をいやされました。そして、イエスはぐるりと見回して質問します。

安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか。それとも殺すことなのか。」

しかし、パリサイ人たちはきょとんとしています。なぜでしょう?恐らく彼らにはわからなかったのです。そんなこと考えたこともなかったから。パリサイ人たちにとって、安息日に肝心なことは、ただひたすらに「仕事」と見なされることを「しないこと」だったから、今まで「安息日にしてよいこと」については考えたこともなかったのです。

 パリサイ人とイエスの着眼点のちがいはなんでしょう?それは、パリサイ人たちは「してはならないこと」ばかりを追求していたのに対し、主イエスは「すべきことはなにか?」とおっしゃったことです。安息日の本来の目的に立ち返るということが大事です。安息日、それは先週学んだとおり、霊とまことをもって礼拝をささげることによって神を愛し、隣人を自分自身のように愛するという目的のために設けられた日です。その目的を果たすためにこそ、通常の仕事も娯楽もやめて過ごすのです。

 とするならば、主イエスがこの暗い人生を世間の片隅にうずくまるように過ごしてきた人の片手だけでなく、その人生そのものをいやされたということは、安息日にすることとしてもっともふさわしいことでした。

 

<適用> 安息日にかぎらず、私たちが生活している社会にはいろんな習慣、いろんなルールがあります。ルールや習慣は、もともとその社会が円滑に動くために作られたものです。たとえば交通ルールがなければ、車社会は機能しないでしょうからルールは大事なものです。

ところが、ルールがいつのまにか人を縛って、お互い不自由をしているということがあります。信州で開拓伝道をして驚いたのは、葬式の習慣でした。葬式のあと、「はいよせ」と呼ばれる大規模な200人も300人も集めて行う会食をしなければならないという習慣があるのです。そのために何百万円もの葬式費用がかかってしまうのです。みんなたいへんだたいへんだと思いながらも、それをしないと「けちだ」と呼ばれるので、遺族は借金をしてでも「はいよせ」をするのです。かりに働き手を失った遺族であれば、彼らに借金をさせるなどということは、本当に愛に欠けたことです。

人間社会のルールのすべては、本来的には、神を愛し、神がくださった隣人を愛するためにあるものです。信号機の「赤は止まれ」「青は進め」というルールも、横断歩道で赤信号ならば、神様がくださった自分の命と隣人の命の安全のために、通常停まるべきです。仮に車が来ていなくても、それを見ている子どもがいたなら、その子が赤信号では停まらないといけないという習慣を身につけるためにも、停まるべきです。

しかし、人命にかかわる一分一秒を争う緊急事態では、左右の安全をしっかりと確かめたうえで赤信号でも前進することが正しいのです。ですから、救急車は赤信号であっても、人の生命を救うために、注意深く赤信号を無視して行くでしょう。すべての生活ルールは、神を愛し、神のくださった隣人を愛するためにあるのです。この観点から、私たちはときどき見直すべきルールは見直すことが賢明です。それも、この世に遣わされたクリスチャンの地の塩としての役割のひとつです。

 

3.パリサイ人の矛盾・・・安息日に人殺しの相談

 

 しかし、ルール中毒(律法主義)に陥っていたパリサイ人たちには、主イエスがおっしゃる大事な真理がわかりませんでした。彼らは安息日に「病の癒し」という仕事をしたイエスが決してゆるせませんでした。安息日ルールを公然と破るとは何事だと怒り、憎しみに燃えました。自分たちの民衆に対する面子は丸つぶれにされたと怒ったのです。彼らはなにをしたでしょう。

 3:6 そこでパリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちといっしょになって、イエスをどのようにして葬り去ろうかと相談を始めた。

 「安息日を憶えてこれを聖なる日とせよ」という律法を死ぬほど大事にしていた彼らは、なんとその聖なる日に、人殺しの相談を始めたのです。彼らが編み出した安息日にしてはならない仕事、千数百のリストの中に「人殺しの相談」は入っていなかったのでしょうか。これほどの皮肉・矛盾はありません。

しかも、彼らは日ごろはけがれた連中だと軽蔑し、話をすることも避けているヘロデ党の連中とその相談をしたというのです。ヘロデ党の連中を使えば、権力者ヘロデを動かして、イエスを逮捕させ処刑できることができると踏んだのです。

 

結び 本日は二点、心に留めておきましょう。第一点は、神様はあなたのことを高価な宝石のように見ていらっしゃるという事実です。自分のようなものは・・・などと片隅にうずくまっていることはありません。主の慈しみは、あなたにも注がれています。

 

第二点は、ルールについての考え方です。三浦綾子さんの小学校代用教員をしていた頃の自伝に『石ころの歌』というのがあります。その中に、毎日のように遅刻してくる男の子が登場します。遅刻をしてはいけない。時間を守るということは、集団生活をするための基本的ルールとして大事なことです。ところが、その子が毎日のように遅刻をするので、熱血先生である綾子さんは厳しく指導するのですが、遅刻するのです。ところが、ある日、その男の子の家を訪問したところ、お母さんが病身であり、お母さんに代わってその子が家事をしてから出てくるので、どうしても朝の学校の時間に間に合わないのだということを綾子さんは知りました。そして、彼女は自らを恥じました。私たちの人生の究極の目的は神への愛と隣人愛の実現であり、ルールはその手段ですから、時に手段が適切でないときには柔軟な扱いをする必要があります。また、手段であるルールが目的である、神への愛と隣人への愛に相応しくないときには、改良したり廃止したりすべきです。

  「安息日の主」

MK2:23-28                                                 

                        

2016年7月3日 苫小牧主日朝礼拝

 

2:23 ある安息日のこと、イエスは麦畑の中を通って行かれた。すると、弟子たちが道々穂を摘み始めた。

 2:24 すると、パリサイ人たちがイエスに言った。「ご覧なさい。なぜ彼らは、安息日なのに、してはならないことをするのですか。」

 2:25 イエスは彼らに言われた。「ダビデとその連れの者たちが、食物がなくてひもじかったとき、ダビデが何をしたか、読まなかったのですか。

 2:26 アビヤタルが大祭司のころ、ダビデは神の家に入って、祭司以外の者が食べてはならない供えのパンを、自分も食べ、またともにいた者たちにも与えたではありませんか。」

 2:27 また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。

 2:28 人の子は安息日にも主です。」

 序 

 あるクリスチャンホームのこどもが、母親に「ねえどうして、僕達は七日にいっぺん必ず教会に行くの?イエスさまは教会に礼拝に言ったの?」と質問したそうです。母親はハタと困ってしまったそうです。けれども、なにも困ることはありません。主イエスも弟子たちも、忠実な公同礼拝のメンバーでした。当時の安息日は週の終わりの日であり、主イエスの復活の後は週の第一日が安息日に移されたという違いはありますが、確かに、イエスと弟子たちは、忠実な安息日の公同礼拝のレギュラー・メンバーでした。

 さて、本日の聖書箇所は、主イエスと弟子たちが、ある安息日に礼拝堂に向かわれる道での出来事と、礼拝堂での出来事を記録しています。このところから私たちは、安息日の意義とその守り方を学びます。また、安息日は「聖日」とも呼ばれます。聖書に「安息日を覚えてこれを聖なる日とせよ」とあるからです。聖なるものとは、神の所有されるもの、聖日とは、神の所有される日という意味です。

 ここには、当時のパリサイ人たちの安息日律法の誤解と対照して、安息日の正しい目的と守り方が明かにされていますが、私たち異邦人が聖なるものについてバランスよく理解するためには、もうひとつのコントラストを知らねばなりません。それはヘロデのパン種とのコントラストです。イエス様は、ほかの日に「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種に注意せよ」と言われました。パン種とは、ほんの少しでも全体に腐敗をもたらすものという意味です。主イエスが「パリサイ人のパン種と、ヘロデのパン種に気を付けなさい」と言われるのは、これらのパン種によって、私たちの信仰生活と教会全体にカビが生えてしまうからです。 パリサイ人のパン種とは律法主義のことであり、ヘロデのパン種とは逆に世俗主義のことです。私たちは、このふたつのパン種に注意して、安息日、聖なるものの扱いを学ばねばなりません。

 

1 パリサイ人の形式主義

 

 ある安息日、主と弟子一行は礼拝堂に向かう途中、麦畑を通りました。麦の実りはイスラエルの五月です。見渡せば、黄金色の穂が、薫風にさわさわとなびいているという景色です。天の父の、地上に生きる者たちへの慈しみを深く思わせる景色です。弟子たちは、麦畑のかおりに誘われて、「ひもじくなったので」畑のなかに入って、穂を摘んで食べ始めました。口に含んで食べるとほのかに甘さが広がります。イエス様も、弟子たちのそうした様子を、慈しみ深いまなざしで見ておられます。

 ユダヤ安息日は喜びの日とされていましたから、多くの人々はごちそうを前日に作ってお祝いをするものだそうですが、イエスと貧しい弟子たちにはそれもかなわないことであったのでしょう。グーグーとおなかがなって、ひもじくてならなかったのです。そこで、天の父は彼らに黄金の麦を朝食として恵んでくださったのです。

 ところが、そこに、パリサイ人たちがイエスに言いました。「ご覧なさい。なぜ彼らは、安息日なのに、してはならないことをするのですか。」(2:24)パリサイ人は、弟子たちが他人の畑で麦を拝借したということを責めているのではありません。申命記にはこうあるからです。「隣人の畑の中に入ったとき、あなたは穂を手で摘んでも良い。しかし、隣人の麦畑でかまを使ってはならない。」(申命記23:25)貧しい人々にとっては、実にあわれみに満ちた律法ではありませんか。こうしたあわれみ深い神の律法によって、イスラエルでは、どれほど多くの貧しい人々が飢えをしのいだでしょう。ルツとナオミも、こうした神のあわれみの律法によって、生きのびることが出来ました。 パリサイ人たちは、律法の専門家ですから、もちろん、申命記の定めは知っていました。では、なにを責めているのでしょう。それは、<弟子たちが安息日に労働をした>と言って責めているのです。確かに、安息日には通常許されている労働から自分もはなれ、使用人にも離れさせ休ませなさいというのが、十戒の第四番目、安息日の戒めにあります。では、弟子たちがこの時どんな労働をしたというのでしょう。それは、「刈り入れ」と「脱穀」という労働です。まず、手で穂を摘んだということが刈り入れ。そして、それを手でこすって穂の中の実を出したことが脱穀であるというのです。

 私たちから見ると、屁理屈みたいで滑稽ですが、彼らユダヤ人律法学者はまじめにそう考えていたのです。パリサイ人たちの欠陥は総じて、神の律法の根本精神やその目的を見失って、外に現われる行動、形にのみ着目することです。本質を見失った形式主義です。

 

2 安息日律法の二つの目的

 

 まず、安息日の律法そのものに立ち返って見ましょう。申命記5章12-15節。

「5:12 安息日を守って、これを聖なる日とせよ。あなたの神、【主】が命じられたとおりに。

 5:13 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。

 5:14 しかし七日目は、あなたの神、【主】の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。──あなたも、あなたの息子、娘も、あなたの男奴隷や女奴隷も、あなたの牛、ろばも、あなたのどんな家畜も、またあなたの町囲みのうちにいる在留異国人も──そうすれば、あなたの男奴隷も、女奴隷も、あなたと同じように休むことができる。

 5:15 あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、【主】が力強い御手と伸べられた腕とをもって、あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、【主】は、安息日を守るよう、あなたに命じられたのである。」

 

この箇所から安息日には二つの目的があることが分かります。

 一つは、「6:5 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。」という命令に応答してまことの神を礼拝することです。そのために、「安息日を聖なる日と」するのです。「聖とする」とは、分ける、区別するという意味のことばです。神の所有として、別に取っておくという意味です。つまり、安息日を「神が特別に所有しておられる日として、取り分けよ」ということです。ですから、旧約聖書レビ記のなかで安息日を破った者に対する罰とこれを贖ういけにえは、窃盗罪に適用される場合と同じでした。つまり、神が所有しておられるものを盗んだからです。旧約聖書には、安息日をあなどったかどで罰せられた例が七つあります。荷物を負わせたこと、薪を運んだこと、商売をしたこと、刈り入れをしたことなどです。これらの仕事を離れてる目的は、神を愛する愛の表現として礼拝をすることです。

安息日のもう一つの目的は、「あなたの隣人を自分自身のように愛せよ」という命令に答えることです。つまり、隣人にあわれみのわざを実践することです。14、15節に、子どもも奴隷も家畜も安息日には休ませてやりなさいと命じられています。古代オリエント社会においては、奴隷に休日を与えるなどということは、ほかの国々では考えられませんでした。しかし、神はイスラエルが奴隷であった時に、彼らにあわれみを示して下さいました。だから、安息日には自分が神からあわれみを受けたことを覚えて、自分の隣人にもあわれみを示しなさいというのです。

  つまり、本来、神が聖書に定められた安息日は、神が私たちを愛してくださったその愛を覚えて、神への愛の表現として礼拝をささげ、かつ、隣人に愛を表わすという目的のためにもうけられました。この目的のために、通常は許されている仕事や娯楽から離れる日なのです。旧約聖書に記録されている、安息日を破ったために神の怒りを買った七つばかりの例は、神礼拝をあなどり、隣人愛をおろそかにしたことに対する神の怒りの現われでした。

 

 けれども、パリサイ人たちは、その安息日の精神と目的を忘れて、とにかく「どんな仕事もしてはならない」ということばに着目して、「仕事」の定義を立てて、してはならないことをこと細かく定めました。律法の精神を忘れて、表面の行動だけに執着するというのがパリサイ的な聖書解釈の欠陥でした。そこで、まず三十九の禁止条項を作り、これを親としてさらにそれぞれの三十九の子の禁止条項を作って、合計三十九掛ける三十九、つまり、千五百二十一個の禁止条項としての「仕事」をリストアップしました。こうして彼らは、安息日を窒息日としたのです。こういうわけで、彼らによれば、主イエスの弟子たちは、三十九の親の第一の禁止条項に属する刈り入れと脱穀という労働をしたと責めたのです。なんとバカげた議論でしょう。

 

3 主イエスの応答

 

 イエス様の答えは神のことば旧約聖書に根ざしていて、鋭く、パリサイ人たちを沈黙させます。イエス様の反論の方法は、聖書そのものの根本精神に立ち返って、正しくその意味を示すことでした。イエスは律法を廃棄するためではなく、成就するために来られたのだからです。

 第一に主イエスが取り上げたのは、ダビデの記事でした。第一サムエル21章1節から6節。

「21:1 ダビデはノブの祭司アヒメレクのところに行った。アヒメレクはダビデを迎え、恐る恐る彼に言った。「なぜ、おひとりで、だれもお供がいないのですか。」

 21:2 ダビデは祭司アヒメレクに言った。「王は、ある事を命じて、『おまえを遣わし、おまえに命じた事については、何事も人に知らせてはならない』と私に言われました。若い者たちとは、しかじかの場所で落ち合うことにしています。

 21:3 ところで、今、お手もとに何かあったら、五つのパンでも、何か、ある物を私に下さい。」

 21:4 祭司はダビデに答えて言った。「普通のパンは手もとにありません。ですが、もし若い者たちが女から遠ざかっているなら、聖別されたパンがあります。」

 21:5 ダビデは祭司に答えて言った。「確かにこれまでのように、私が出かけて以来、私たちは女を遠ざけています。それで若い者たちは汚れていません。普通の旅でもそうですから、ましてきょうは確かに汚れていません。」

 21:6 そこで祭司は彼に聖別されたパンを与えた。そこには、その日、あたたかいパンと置きかえられて、【主】の前から取り下げられた供えのパンしかなかったからである。」

イスラエル初代の王サウルは初めは良い王であったのですが、後に神をないがしろにしましたから、神は彼を王位から退けて、代わりにダビデを王として立てることにしました。サウルはそのことを知って、ダビデのいのちを狙うようになりました。そこで、ダビデは取るものの取りあえず宮廷を逃げ出すのです。ダビデの後には、彼の部下たちが付いてきました。けれども、彼らは食料もありません、武器もありません。そこで、ダビデは宮に身を寄せました。

 祭司はダビデと部下たちを気の毒に思って何か食べ物をあげたいと思いましたが、あいにくありません。そこで、主の前にささげてさげたばかりのパン12個があったので、これをダビデたちに与えました。ところで、主の前にささげたパンは、祭司と祭司の子ども以外は食べてはならないとレビ記24章5-9節に定められています。

「これはアロンとその子らのものとなり、彼らはこれを聖なる所で食べる。これは最も聖なるものであり、主への日による捧げ物の内から、彼の受け取る永遠の分け前である。」

ところが祭司アヒメレクは、この供え物のパンを食べるようにダビデに与えました。これは確かに祭司の行動の表面だけ見れば、律法違反です。しかし、神はダビデや部下、また祭司を罰するようなことはなさいませんでした。「パリサイ人たちよ、これはどういうわけですか。」とイエスは問い返されたのです。パリサイ人たちは、ぐうの音も出ませんでした。

 どうして神は、一見すると神聖な儀式の律法を破ったように見える、ダビデたちを罰しなかったのでしょうか。もし、祭司が、神をあなどるような安易な気持で、ほかに食べ物があるのに、祭司のほか食べてはならない供えのパンをダビデに提供したならば、神は間違いなく祭司を罰したに違いありません。旧約聖書には、聖なるものをあなどった祭司や王が、神の怒りをかって火に焼かれたり(アロンの子供)、神に打たれたり(ウザ)、らいびょうに犯されたり(ウジヤ)したという例があります。しかし、ダビデは窮地に陥り飢えている部下を見て、ただ神のあわれみにすがりついたのであり、祭司アヒメレクもそのことを受け留めて、行動したのでした。ですから、神はダビデとその一行を哀れんでくださったのです。

 イエス様は、ご自分をダビデになぞらえ、弟子たちを部下になぞらえておられます。神は、ダビデとその部下たちがよりによって祭司しか食べてはならないとされた供えのパンを食べることさえ、その飢えている者たちをあわれんでよしとされたのです。ましてや、福音のために労して食べるものがない主イエスの弟子たちが、畑の麦の穂を二つ三つつまんで脱穀しすりつぶしたからということでどうして、罪とされるでしょう。

 

4 適用

 

  これを私たちに適用しましょう。ここには聖別されたものについての教えがあります。

「ヘロデのパン種に気を付けなさい。」世俗主義は言います。富にせよ時間にせよ、すべては、自分の所有なのだから、自分の都合で好きなように使えば良いじゃないか。私たちはこのようなヘロデのパン種に気を付けなければなりません。聖書は言います。神に聖別されたものとは、神の所有物です。これに手を付けることは神からの盗みです。聖書は、安息日にせよ、十分の一の捧げ物にせよ、聖なるもの、つまり、神の所有に手を付けることは、盗みであり、そのような罪に対しては神の呪いがあると言います。反対に、聖なるものを尊ぶ者は、神を尊ぶものであるから、そのような信者には神からの祝福と喜びがあるとされています。たとえば、マラキ三章八から一二節を参照。

 

 他方、聖なるものについて、パリサイ人のパン種があります。彼らは言います。「安息日に大事なことは、どんな仕事もしないことによって、神の前の善行を積むことである。たとい道端に病人が倒れていても、わき目もふらずに礼拝堂に来ることが大切である。あなたがたは、子どもを飢死させても、十分の一はささげなければならない。」

 聖なるものを尊ぶことは大切です。しかし、主イエスは神のあわれみゆえの例外があることを教えられました。例えば、本当に困窮して食べるものがないという時に、神のあわれみにすがって神への捧げ物から、頂き物をするということは許されるのです。そのような飢えている子供に、父なる神は喜んでご自分のものから、わけて下さいます。

 

 安息日の意味を明かにされてから、イエスは、このように教える自分がどのようなお方であるかを明かにされます。

 礼拝のあり方、安息日の守り方を定めるのは、イエスご自身です。「人の子は、安息日の主です。」主イエスは、宮より偉大な者であり、安息日律法をも正しく意義付ける権威をもたれるおかたです。パリサイ人たちが、なんと言おうと宮よりも偉大である方が、安息日の本来のあり方守り方を、明かにされたのです。

 安息日の意味、目的、その守り方を決定する権威を持つお方とは誰でしょう。いうまでもなく、安息日を定めた神ご自身にほかなりません。ここでも、主イエスはご自分を父なる神と等しい権威を持つ者として、明らかにされたのです。

 

 

結び)本日は、主イエス安息日をどのように守られたかというところから、聖なるものをどのように理解し、私たちがどのように聖日や捧げ物を用いるべきかを学びました。二千年の時代を隔てても、今日まで共通しているサタンの誘惑は、パリサイ人の律法主義というパン種と、ヘロデの世俗主義というパン種です。私たちは、神を恐れ愛しつつ、安息日にせよ十分の一捧げ物にせよ、聖なるものを尊びましょう。しかし、律法主義からでなく、そこに神のあわれみへの感謝の実として、礼拝と隣人への愛を豊かに表わして参りたいと願います。                                                                  

 

 

福音的ライフスタイル

マルコ2:18-22

2016年6月26日 苫小牧福音教会主日

2:18 ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは断食をしていた。そして、イエスのもとに来て言った。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食するのに、あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか。」 2:19 イエスは彼らに言われた。「花婿が自分たちといっしょにいる間、花婿につき添う友だちが断食できるでしょうか。花婿といっしょにいる時は、断食できないのです。

 2:20 しかし、花婿が彼らから取り去られる時が来ます。その日には断食します。

 2:21 だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、新しい継ぎ切れは古い着物を引き裂き、破れはもっとひどくなります。

 2:22 また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。」

  

1 ヨハネの弟子とパリサイ人

 

 今日の箇所には、断食をめぐって三つのグループが出てきます。一つはヨハネの弟子たち、一つはパリサイ人たち、一つは、主イエスの弟子たちです。まず、ヨハネの弟子とパリサイ派の人々は断食を定期的にしているのに、イエス様の弟子たちは断食をせず楽しそうにしているのが、彼らには気に食わなかった。不真面目に見えたのでした。そこで、彼らはイエス様に質問をしにきたのです。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食するのに、あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか。」

 ヨハネの弟子たちと、パリサイ人はともに断食しましたが、その意味は違うので、まずそのことを説明しましょう。

 

(1)ヨハネの弟子たち・・・悔い改めの断食

 ヨハネの弟子たちの師はバプテスマのヨハネです。荒野でいなごと野蜜を食べ物として、らくだの毛衣を着て、民に「悔い改めよ」と叫んだヨハネは、旧約時代最後の預言者でした。彼は律法を正しく理解していました。

旧約時代の宗教とは、一言で言えば「悔い改めとメシヤ待望」ということです。旧約聖書には、神が与えた十戒をはじめとする律法が記されています。その律法に誠実に向き合うならば、人は己の罪を認めざるを得ません。律法はいっさいの偶像礼拝を禁じ、主の御名をみだりに唱えることを禁じ、安息日をまもることを求め、父母を敬え、殺してはならない、姦淫してはならない、盗んではならない、偽証してはならない、隣人のものを欲しがってはならないと命じています。・・・律法の命じることは、ごく当たり前のことですが、その当たり前のことすら実行できないのが人間の現実です。その惨めな自分の罪の現実を認めて、神の前に罪を告白して「罪深い私をゆるしてください。」と悔い改めるのです。律法は人を罪に定め、悔い改めへと導き、メシヤを待望させます。旧約の宗教とは、悔い改めとメシア待望の宗教です。

そこでバプテスマのヨハネヨルダン川で「悔い改めなさい。メシヤが来られる。」と告げたのです。ヨハネと彼の弟子たちにとって、断食とは、己の罪を深く悲しむ表現としてのものでした。実は、旧約の律法のなかには断食についての定めはありません。しかし、己の罪を嘆き悲しんで、断食したという記事はあちらこちらにあります。ヨハネの弟子団の中では、断食が習慣化されていたようです。

 

(2)パリサイ人・・・自己義認・虚栄の断食

 次に、パリサイ人たちはどういう人々であったのでしょうか。彼らは、自分たちこそ旧約の預言者たちの正しい継承者だと自負していたようです。しかし、イエス様の目から見ると、パリサイ人たちは旧約の律法、その宗教を根本的に誤解した人々でした。

 パリサイ人たちは、律法を守ることに一生懸命で、その律法の行いによって、神の前に自分の義を立てることができると教えていたようです。たとえば、審判のとき、神の前には天秤があって、律法にしたがって善を行うと右の皿に分銅が一つ載せられ、律法に背く悪をなすと左のお皿に分銅が一つ載せられます。そして、生涯を終えたとき、天秤の右の皿が下がっていたらその人は祝福に入れられ、左の皿が下がっていたらのろいを受けることになるというのです。

 律法をまもることに熱心なのはよいことですが、それを点数稼ぎのように考えて神の前に自分の義を立てて、神の法廷で勝利を得られるというのは、大きな誤解です。

 

神様はそもそも律法をお与えになったとき、人間にはこれを完全には守れないことをご存知でしたから、道徳律法と同時に罪の償いとしていけにえの儀式も同時にお定めになっていたのです。つまり、神がイスラエルに律法を与えた本来の意図は、①神の前にきよい生活をいとなむ基準を示すこと。②神の前の罪を自覚させ、悔い改めて神の前のいけにえ(キリスト)を待望させることだったのです。

パリサイ人は、律法の役目を根本的にとりちがえていました。その結果、パリサイ人の宗教は悔い改めの宗教でなく、自己義認の偽善の宗教になっていました。彼らも断食をしていましたが、それは己の罪を悔いる悲しみの表現としての断食ではなく、「私はこれほど敬虔な人間なのですよ」と誇るための偽善的な行いになってしまっていたようです。

私も断食してみた経験があるのですが、心の中にムラムラと、「実は、今断食して祈っていることがあるんです。」と自己宣伝したいという衝動にかられました。

 

こういうわけで、ヨハネの弟子たちは悔い改めの断食をし、パリサイ人たちは自己義認・偽善の断食というふうに、両者の動機はまるでさかさまでした。しかし、少なくとも断食をするという点では共通していました。ところが、主イエスの弟子たちは、なんだか全然雰囲気が異なっていて、なんだかやたら楽しそうで、驚いたことに取税人や遊女までいっしょにわいわいとご飯を食べているのです。彼らの目には、主イエスの弟子たちの生活ぶりは、不謹慎に映ったのでした。そこで、彼らはイエスに質問をしにやってきたのでした。

2:18 ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは断食をしていた。そして、イエスのもとに来て言った。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食するのに、あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか。」

 

2 主イエスの弟子たち・・・福音的ライフスタイル

 

(1)旧約との連続性

まず、主イエスヨハネの連続性とついて説明します。主イエスとその弟子たちは、バプテスマのヨハネと同じように旧約の預言者の伝統を正しく引いていました。つまり、主イエスはご自分の弟子たちに対して、パリサイ派たちのような自力主義でなく偽善でなく、誠実に神の戒めを守って生きることを要求なさいました。いや、ヨハネが求めた以上に誠実であることを求められました。

マタイ5:20 「まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。」

パリサイ人が「殺すな」と命じるならば、主イエスは、「君たちは兄弟に向かってばか者というだけでもいけない」というのです。パリサイ人が「姦淫するな」というなら、主イエスは「情欲をもって女を見るだけでも姦淫だ」というのです。パリサイ人が「同胞は愛し、ローマ人は憎め」というのなら、主イエスは「君たちは敵をも愛しなさい。」というのです。

「律法というものは、表に出た行動面だけ守ればよいわけではない。律法の根本精神は、神への愛と隣人への愛なのだ」というのが新約時代の主イエスの弟子の生きる道です。これは、旧約の預言者以来の教えであり、それをさらに徹底した教えでした。

 

(2)旧約に対する新しさ

けれども、主イエスがもたらされた信仰には、旧約時代に属するヨハネの教えに対して、新しい点があります。それは、今日の箇所でいうならば、主イエスの弟子の生き方には、喜びと自由があり柔軟だという点です。旧約の預言者ヨハネは、悔い改めと悲しみを基調として堅苦しいところがありましたが、主イエスのもたらした福音の世界には、悔い改めと同時に喜びと自由が満ちているのです。

なぜでしょうか。それは、ついに預言が成就して待ちに待ったメシヤが現に来られたからです。旧約の預言者たちは、メシヤを待望する者でしたが、メシヤにある新約時代の救いの喜びを得たわけではありませんでした。これに対して、主イエスの弟子たちは、現に、メシヤつまりキリストにある救いの喜びを与えられたのです。この喜びを、主イエスは、ご自分を花婿にたとえ、弟子たちを花婿の友人にたとえて表現なさいました。

2:19 イエスは彼らに言われた。「花婿が自分たちといっしょにいる間、花婿につき添う友だちが断食できるでしょうか。花婿といっしょにいる時は、断食できないのです。

 これは当時のユダヤにおける結婚式の祝いの習慣を背景としたことばです。当時の結婚式ではそのお祝いは数日間続いて、その間中は、通常の断食もしてはならないことになっていたそうです。結婚というのは、それほど喜ばしい出来事だからです。結婚は、メシヤと神の民との愛の交流の型であるからです。そんなめでたいときに、悲しみの表現である断食はふさわしくないものです。今で言えば、結婚式に黒いネクタイを締めて参加するほど失礼にあたります。

 今、神の遣わされたメシヤつまりキリストがこの世の来られたのですから、その弟子たちがキリストと交わっている最中に悲しみの断食をすることは、ふさわしいことではないのだということになります。

 

 しかし、主イエスは闇雲に断食を否定したのではありません。

 2:20 しかし、花婿が彼らから取り去られる時が来ます。その日には断食します。

エス様が敵に逮捕され、十字架にかけられるときには、弟子たちは悲しみのあまり食事がのどを通らないようになって、断食をすることになるのだというのです。つまり、新約の時代においては、断食という行為は、形式化したものではなく、神の御前における内なる悲しみの発露としてのものであるというのです。

主イエスの十字架の死は、私たちの神の前における罪の罰を背負うための死でした。私たちの罪ののろいを身代わりに受けて、私たちを救うための死だったのです。そうして三日目に主イエスは、私たちの罪ののろいを引き受け終わったことの証として死者のなかからよみがえってくださいました。

ですから、神の前における自分の罪を認め、主イエスを救い主として信じて受け入れる人は一人残らず、神の前に罪を赦していただくことができます。そればかりか、その心のうちに聖霊の注ぎをいただいて、神を愛し隣人を愛するという本来の人間としての目的にかなった素晴らしい人生を歩みだすことができるのです。クリスチャンの人生は、①御子キリストの贖いのゆえに神との間に与えられた平和のなかで、②神を愛し隣人を愛することも人生の目的として生きていくことが許された人生なのです。かつては良心の呵責に悩まされ、神を見失い、何のために生きているのかさっぱりわからず、「ああ、なんと人生はむなしいのだろう」とつぶやいていた人が、神を愛し、隣人を愛するという目的のうちに歩んで生きて行けるようになったのです。これほど素晴らしいことはありません。

 

3 新しいぶどう酒は新しい皮袋に

2:21 だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、新しい継ぎ切れは古い着物を引き裂き、破れはもっとひどくなります。

 2:22 また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。」

 イスラエルでは水やぶどう酒などを保管するのに、羊のような動物の皮を用いました。新しい葡萄液は発酵して旺盛に炭酸ガスを発生させますから、それを入れた皮袋は内側からパンパンに膨らみます。皮袋が古くて硬いとはじけてぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。新しい生命力あるぶどう酒は、新しい柔軟な皮袋に入れれば、ちゃんと保管することができます。

 主イエスが来られてもたらされた新約時代のキリストの弟子の生き方は、キリストがもたらされた救いにふさわしいものであるべきだとおっしゃるわけです。では、新約の時代は旧約の時代の信者たちとどのような点で違っているでしょう。旧約時代の人々は、繰り返しいけにえをささげましたが、罪を赦されきよめられませんでしたが、新約の時代は神の御子がいけにえとなられたので神に罪を赦されたという確信と平安をもつことが許されているのです。

 また、新約の時代のもう一つの大いなる特徴は、よみがえられた御子が天の父のもとに行かれて、父のもとから聖霊をすべての信者に注いでくださったことです。かつて石の板に刻まれた戒めは、今は心の板にしるされましたから、私たちは内側から自発的に主を喜び従う者です。御霊は子とする御霊です。私たちは、主イエスを兄とし、神を「おとうさん」と呼んで、恐怖でなく、愛と喜びをもって神に仕えます。そこには、御霊の自由があるのです。 罪赦された確信をもち、御霊の自由の中で、私たちはキリストにあって神に愛されている子どもたちとして、愛に生きることが許されているのです。使徒パウロは旧約と新約のライフスタイルの違いを端的にこう言いました。

 「他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。 13:9 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということばの中に要約されているからです。 13:10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。」(ローマ13:8b-10)

 「これはしてはいけないだろうか?」と消極的に考えるのでなく、むしろ積極的に、これは愛することだろうかと祈り考えて、そうだと思えるならば実行する。ただ私たちの会いは肉的になりがちなので、キルケゴールのことばをガイドにしています。「人を愛するとは、その人が神を愛することができるように助けることであり、愛されるとはそのように助けられることである」。そういう積極的な愛の生き方が、新しいぶどう酒にふさわしい新しい皮袋、福音の時代の新しいライフスタイルなのです。

病人には医者が

マルコ2:13-17

2016年6月12日 苫小牧主日礼拝

 

2:13 イエスはまた湖のほとりに出て行かれた。すると群衆がみな、みもとにやって来たので、彼らに教えられた。

 2:14 イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。

  2:15 それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである。

 2:16 パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちといっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」

 2:17 イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

 

 

 

1.主の召しのことばの力・・・無から光を創造されたことばのように

2:14 イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。

取税人が・・・売国奴かつ守銭奴

 今日の個所に登場するアルパヨの子レビとは、このマタイの福音書を記した人マタイその人です。彼は収税所に座っていました。税務署の役人というのは、現代の日本でもけむたがられがちな職業かもしれませんが、ちゃんとした職業です。しかし、イエス様の当時のユダヤ人の間では格別の意味で、人々から嫌われ、軽蔑までもされていた職業でした。

 当時、イスラエルの国はローマ帝国の属州という立場にありました。属州はある程度の自治は認められていましたから、サンヒドリンというユダヤ人の議会もありました。けれども、その上にはローマの傀儡政権であるヘロデ王家があり、さらに最高権力者としてローマから派遣された総督がおりました。当然、ユダヤ人たちは彼らローマ政府を憎んでいたわけです。自分たちがローマ帝国支配下に置かれているということを実感させられるのは、ローマ政府に対して税金を搾り取られるということです。

ローマの都の繁栄は、植民地人・属州民からしぼりとられた税収によることであり、イスラエルの人々は税金を取られるたびに、ローマに対する憎しみを深くしたわけです。日本人として日本政府に取られた税金が無駄遣いされているのでも腹立たしいのですから、まして宗主国のために税を払うのは腹が立ったでしょうね。

 ローマ人は賢くて、そういう属州民からの憎しみをそらし、かつ、経費をかけないで徴税をするために、取税人を現地人による請負制としました。ローマ人の徴税役人を現地に派遣すれば、税務署の運営に費用がかさみますから、現地人から取税人を募集したのです。しかも、彼らの収入はローマに納税しなければならない額にそれぞれ上乗せした分をピンはねすることによって得るという仕組みであったそうです。

 そんなわけで、当時のイスラエルでは、ローマの犬になって同胞から金を搾り取る取税人というものは、カネのために魂を売った守銭奴かつ売国奴とみなされていたわけです。イスラエル人としての誇りをもっている人であれば、取税人という職業をあえて選ぼうとすることはなかったはずです。『はだしのゲン』というマンガに、原爆症の出た人たちに甘言もちいて、原爆症調査委員会ABCCに送り込む仕事をしていた日本人が登場します。彼らはハゲタカと呼ばれ軽蔑されるのです。ABCCは治療はいっさいせず、ただ放射能障害の調査をして、次の核戦争に米軍が備えるためのデータ集めをしていました。ハゲタカ、ちょうどイスラエルにおける取税人はそういう仕事でした。

 レビは取税人でした。どういう事情があったのかはわかりませんが、彼が「俺は、神様の前に恥ずべき罪人である」と思っていたことは間違いありません。

 

(2)「わたしについて来なさい」

 そういう取税人をあからさまに軽蔑し、罵倒したのは、ラビと呼ばれる律法の先生たちでした。とくにパリサイ派の先生たちは反ローマ的な国粋主義者でしたから、神の民イスラエルローマ帝国に税金を納めること自体が罪にあたるという教説を唱えたりもしていましたので、ローマの徴税の手伝いをする取税人などというものは、唾棄すべき職業であり、神ののろいを受け滅ぶべき守銭奴であるとみなしていました。

 レビが収税所に座っておりますと、イエス様と弟子たちがそこを通りかかりました。取税人レビは、『ああ、また律法の先生がやってきた。どんないやみを言われるだろう。憎憎しげににらまれるだろう。侮辱されるだろう。』と心につぶやいて、目を合わせないようにうつむいていたことでしょう。『さっさと通り過ぎて行ってくれ』という思いにちがいありません。

 ところが、その人は、レビの前に通りかかると、ぴたっと立ち止まったのです。「あ~いやだなあ。この方は、俺になにをいうのだろう。」とレビは思いました。ところが、彼の耳にびっくりする言葉が飛び込んできました。

「わたしについて来なさい!」

これは、「君をわたしの弟子に取り立てよう。」という意味の当時の表現でした。

 このことばを聞いたとたん、取税人レビの内側に何か新しい出来事が起こりました。そして、彼はいきなり「はい!」と立ち上がって、イエスに従うことにしたのです。不思議な光景です。そこにいた弟子たちも、取税人仲間も、他の人々もほんとうにびっくり仰天しました。これはレビの心のうちに、主イエスのことばと御霊が起こした新生の奇跡でした。神学用語でいう有効召命です。創世記一章に、神が闇に向かって「光よあれ」とおっしゃると、そこに光があったとあるように、主のことばは闇のなかに光を創造なさる力があるのです。罪意識と劣等感との分厚い壁に閉じ込められていたレビの心のなかに、「わたしについて来なさい」という主イエスのことばは新しい光といのちと喜びと、主に従っていくという決断とを創造したのです。

  

2.変えられた取税人

 

 レビは新しく生まれました。そして、これからは弟子として地の果てまでもイエスさまについていくという決心をしたのです。この門出にあたって、彼は仲間を集めて宴席を設けました。仲間たちというのは、取税人仲間、ごろつき、遊女といった人たち、つまり、当時の社会で罪人として軽蔑されていた人たちです。そこに、イエス様と弟子たちも招かれて食卓をいっしょに囲んでいます。

2:15 それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである。

 

 ご馳走が振舞われて、わいわいがやがやと楽しげな宴席です。「やあ、驚いたね、取税人が、これからはイエスさんの弟子になろうとはねえ。」と、その話題で当然もちきりです。宴もたけなわというときに、レビは立ち上がって、自分がイエス様に出会ったこと、イエス様の声が耳に届いたとたんに、彼のうちに突然起こった心境の変化、これからはイエス様にどこまでもついていく所存であることなどを、証したことでしょう。いつもは神様のことばを聞く機会もない罪人たちですが、今日は、しんとなって聞いているわけです。

 その話を聞いて、取税人仲間のひとりは、

 「確かにレビは変わったなあ。目がちがうものね。・・・俺のようなはぐれ者、嫌われ者でも、神は愛してくださるんだろうかねえ。」と言ったり、貧しさから遊女に身を落としていた女のひとりは

「そんなこと、思いもしなかったわ。律法の先生たちは、あたいらみたいなのは地獄行きだといつも言っているものねえ。」

 イエス様はにこにことしていていらっしゃいます。取税人たちと食事などいっしょにすることなどありえないこととしてきた弟子たちは、最初は抵抗を感じてどきどきしていたのでしょうが、イエス様といっしょに彼らの宴席に連なっていると、内側から湧き上がる神の国の食卓の喜びを感じていました。イエス様がそこにいらっしゃるならば、罪人が集まった食卓も、おのずときよくなって、暗闇も光となってしまうのです。

 宗教改革者も指摘するように、これは聖餐式のひとつの型です。

 

3.罪人を招くために

 

 しかし、この喜びの宴席に水を差す人々が彼らをチェックしていたのです。最近話題になっているイエス様の周辺をかぎまわっていたパリサイ人たちです。彼らは、イエス様と弟子たちが取税人マタイの家にはいったのを目ざとくチェックしていました。そうして、窓の外からでしょうか、中庭の入り口からでしょうか、とにかく宴会の様子を見ていました。そして、次のようにいいました。

  2:16 パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちといっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」

 当時、神の民であるユダヤ人たちは外国人と食事をしてはならない、取税人罪人といっしょに食事をしてはならないとされていました。それが常識でした。まして、聖書の教師である者が、取税人たちと食事をともにするなどもってのほかとされていたのです。ところが、イエス様はレビに招かれると、弟子たちまでつれてすたすたとその屋敷に入っていき、食卓をいっしょに囲んでいたわけです。そして、宴会はいかにも楽しげで、イエス様も弟子たちも取税人もごろつきも遊女たちも、一緒に飲み食いしているのです。けれども、「私たちも仲間に入れてくれ」とパリサイ人たちは思いませんでした。逆に、とんでもないことだと怒ったのです。

 

 するとイエス様は、実に見事に彼らにお答えになります。

2:17 イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

 聞いてみれば、まったく道理にかなったおことばでス。「医者を必要とするのは確かに健康な人でなく病人です。」イエス様は医者として罪の病の中にある取税人、罪人たちを癒すためにやってきているのは当然のことです。

 イエス様の時代も同じく、祭司たち、律法学者パリサイ人たちは、神様のことばを厳密・厳格に守っているつもりの人たちでした。けれども、さまざまな経済事情から取税人とか遊女に身を落とした人たちは切って捨ててしまいました。・・・当時の道徳的に厳格なユダヤ社会のなかで、誰が好き好んで取税人や遊女になるでしょう。きっと、どうしようもない、貧困のどん底、家族の事情があって取税人になってしまったり、飢えて一家もろとも死んでしまうよりはと親が泣く泣く娘を女郎に出したりしたということでしょう。そういうかわいそうな境遇から罪の道を歩んでいる彼らに、神の憐れみを伝えもせずに切り捨てて、自分たちは立派に宗教生活を送っていますという君たちは、主のみこころから遠く離れているんだ、」とイエス様は嘆かれるのです。そして彼らが大事にしている聖書から「わたしはあわれみは好むがいけにえは好まない」という言葉を学んで出直してきなさい、というわけです。

 そして、主イエスはおっしゃいます。「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」。

 

むすび

 私は19歳でイエス様を受け入れて20歳で洗礼を受けました。父は次の歳に母とともに洗礼を受けました。父は50歳でした。洗礼準備会をしているとき、父が言いました。

「もう少しクリスチャンらしくなってから受けたほうが、ええんとちゃうかなあ」

父は月曜から土曜の自分の世俗の生活と、日曜日の自分のギャップを恥じていました。

「じゃあ、いつになったらクリスチャンらしくなるの?」と私は聞きました。

父は、「そうやな。やっぱり、洗礼受ける。」と言って洗礼を受けたのでした。

健康な人に医者はいりません。病人に医者が必要です。正しい人に救い主はいりません。主は罪人を救うために来られました。

 

あなたの罪は赦された

マルコ2:1-12

 

2016年5月29日 苫小牧福音教会朝礼拝

 

2:1 数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。

 2:2 それで多くの人が集まったため、戸口のところまですきまもないほどになった。この人たちに、イエスはみことばを話しておられた。

  2:3 そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。

 2:4 群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。

 2:5 イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。

  2:6 ところが、その場に律法学者が数人すわっていて、心の中で理屈を言った。

 2:7 「この人は、なぜ、あんなことを言うのか。神をけがしているのだ。神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう。」

 2:8 彼らが心の中でこのように理屈を言っているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて、こう言われた。「なぜ、あなたがたは心の中でそんな理屈を言っているのか。

 2:9 中風の人に、『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。

 2:10 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言ってから、中風の人に、

 2:11 「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。

 2:12 すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った。それでみなの者がすっかり驚いて、「こういうことは、かつて見たことがない」と言って神をあがめた。

 

 

1 みことばを

 

 主イエスが再びカペナウムに戻られました。すでに主の癒しや悪霊を追い出す働きの評判は高くなっていて、ペテロの家だと思われますが、ここに来られると人々は玄関口までいっぱいにむせ返るようです。多くの人々は、主イエスの奇跡を見たいということで集まっていたのでしょう。しかし、イエス様がなさっていたことは、みことばを福音を語ることでした(2節)。

2:1 数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。

 2:2 それで多くの人が集まったため、戸口のところまですきまもないほどになった。この人たちに、エスはみことばを話しておられた

 そうです。福音宣教のためにこそ、主イエスは立ち上がられたのです。神の前の罪を赦し、永遠のいのちと神の御国をもたらす福音のために、主はこの世に来られたのです。

 

2 彼らの信仰を見て

 

 さて、そこに一人の中風の男が友人四人に連れられてきました。中風というのは働き盛りの血圧の高い人を襲う脳溢血の後遺症です。男は歳の頃は五十代か六十代。半身不随、あるいは全身不随になってしまったのです。昨日までは網を引いたたくましい腕がきょうは箸一本もてません。舟を操作することは愚か、歩くことすらできないのです。かつての一家の大黒柱が、今は家族のお荷物をなってしまいました。彼は、自分ではイエス様のところにもやって来る事もできませんでしたが、四人の友達が彼を戸板に載せて連れてきました。

 ところがペテロの家にやってくると、戸口まで人でいっぱいです。窓から覗き込めば、確かに主イエスが中にいて、なにやら話をしていらっしゃる。しかし、四人は決してあきらめませんでした。彼らは屋上に上がりまして、屋根に穴をあけて病人を釣り降ろしたのです。日本の家屋を思い浮かべたら、そんなことできないと思うでしょう。しかし、イスラエルではそうではありません。当時の家は屋根が平らで、しかも屋上にものを置くよう平らに構造になっていて、家のわきには屋上に続く階段がありました。屋根は梁を渡したあとに葦などを渡してその上に泥を塗るといった至って簡単な造りでしたから、穴もあけられたわけです。

まあ、それにしても人の家の屋根に穴をあけてしまう、そこまでしてこの友達をイエス様のところに連れていってやりたい、この熱意、その友情はどうでしょう。ここまでして主イエスのもとにあの人を連れてきたい、イエス様ならきっと治してくれる、そういう熱意と信仰が目に見えるようです

2:4 群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。

 一方、家のなかでは屋根の上でガタガタを音がするので、何事かと皆が天井を見上げていると、穴が開いてわらや泥が落ちてきておおさわぎです。イエス様のお話は妨害されて中断してしまいました。見ていると、ちょうど泥とわらにまみれたイエス様の真上から男が釣り降ろされてきます。

エス様はことの次第がみな分かりました。そして、注目しましょう。5節。

2:5 イエス彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。

エス様はこの四人の男の無作法極まりないやりかたに対して、「わたしが大切な話をしている最中に、なんということだ!」とお怒りになりませんでした。イエス様の目は、この四人の男たちの行動、その姿に「彼らの信仰を見た」とあります。たとえ、やることが無作法であったり、人生が失敗だらけであったとしても、私たちがほんとうにイエス様を信じているならば、イエス様は私たちの信仰をみて喜んで下さいます。

 ここでひとつ不思議なことは、主イエスが中風で倒れて身動きができない男のことではなく、「彼らの」信仰を見て、彼の罪をゆるすと宣言してくださったということです。もちろん中風の人本人の信仰がなかったというわけではありません。ここで聖書が私たちに教えようとすることは、友に家族に救われて欲しいと願う私たちの信仰の熱心を主イエスはちゃんと見ていてくださるという事実です。私たちは心の中であの人を教会に誘いたいなと思いながら、なかなか勇気がなくて言い出せないことがあります。「私をへんなものに誘わないでちょうだいとか言われたらどうしよう」とか、何も言われない先から心配してしまうのです。でも、神様に祈って、「まず私にあの人を誘う勇気と信仰をください」とお祈りして、そうして、主のもとにお連れしましょう。主イエスはあなたの信仰を見ていてくださいます。

 

3 子よ あなたの罪は赦された

 

 さて、イエス様はこの五十あるいは六十歳のこの中風の男に宣言なさいました。「子よ。あなたの罪はゆるされた。」と。恐らく周囲の多くの人たちにとっては、期待はずれだったでしょう。人々は今、目の前で行われる奇跡を期待していたからです。しかし、思うにイエス様はこの男がほんとうに心の底に求めていた、渇き求めていたものを与えたのです。それは罪の赦しです

 働き盛りの男を襲う突然の病。今までは一家の大黒柱であったのに、一夜にして、一家のお荷物になってしまったという衝撃。そして、そんな経験をなさったらわかることですが、私たちは病気になると二つのことを意識するものです。

一つには、死です。ポール・トゥルニエという医師で牧師であった人は、「すべての病気は死のしるしなのです。」と言っています。「先生、悪いでしょうか?」と患者が医者に聞くとき、患者は「この病は死にいたる病でしょうか?」と聞いているのだと。

そしてもう一つはです。「なにか俺は神様から罰を当てられるようなことをしただろうか。」突然の病に倒れて、天井の節穴を数えるような生活をしていると、しぜんと男五十年の人生を振り返ってしまいます。そうすると、確かに神様のまえに顔も上げられないようなことの一つや二つ、妻や子にも告白できないようなことの二つや三つはあったでしょう。病気をすると、自分の罪を意識する。そして死を意識する。死の向こうの神様の厳しい裁きを意識するのです。毎日毎日天井の節穴を数えるような生活をしながら、男は神の御前の己の罪を意識しないではいられなかったのでしょう。詩篇51:1-7

 あなたの豊かなあわれみによって、

  私のそむきの罪をぬぐい去ってください。

 51:2 どうか私の咎を、私から全く洗い去り、

  私の罪から、私をきよめてください。

 51:3 まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。

  私の罪は、いつも私の目の前にあります。

 51:4 私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、

  あなたの御目に悪であることを行いました。

  それゆえ、

  あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、

  さばかれるとき、あなたはきよくあられます。

 51:5 ああ、私は咎ある者として生まれ、

  罪ある者として母は私をみごもりました。

 51:6 ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。

  それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。

 51:7 ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。

  そうすれば、私はきよくなりましょう。

  私を洗ってください。

  そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。

 主イエスは、彼に宣言されました。「子よ。あなたの罪は赦された。」

 

4 主イエスの神としての権威

 

 しかし、この場に主イエスの言葉に難癖をつける人々がいました。立錐の余地なくみんな立ちんぼうにしているのに、そこに席をあてがわれて座っていた律法学者の偉い先生たちです。彼らは最近ガリラヤ地方に登場したナザレのイエスが何を教えているかを調査して、異端審問にかけようとしていたのです。そして、心の中でぶつぶつと言いました7節。

「こいつは、なぜ、あんなことを言うのか。神をけがしているのだ。神おひとりのほか、だれが罪をゆるすことができよう。」

これもっともな神学的議論です。本庄さんと寺沢さんがいて、本庄さんが以前になにか角丸さんにえらいめいわくをかけてしまっていたとします。本庄さんが、「あやまらなくちゃなあ」と思っているとします。すると、そこに佐藤さんが来て、「本庄さん、あなたの罪はゆるされました」と宣言したら、角丸さんはいうでしょう。「おいおい、佐藤さん、赦すのは俺だよ。どういう資格があって、佐藤さんが本庄さんを赦すんだい?佐藤さん神様じゃないだろう。」

そうです、イエス様が「あなたの罪は赦された」とおっしゃった宣言は、神様にしかできない宣言なのです。赦すということは、通常、被害者が頭を下げてきた加害者に対してすることです。それ以外の人が、加害者を赦してあげますとはいえないのです。言えるとしたら、さばき主である神だけなのです。さすがに律法学者さんで、彼らの理屈は筋が通っています。彼らは、「お前は何を言っているんだ。神でないお前が、この中風の男に罪の赦しを宣言したって、なんの効果もありはしない。もし本当だというなら、しるしを見せてみろ」といいたいわけです。

 彼らはもう一歩先の驚くべき真理を悟りませんでした。自分たちの心の中のつぶやきまでも逐一知っている、このイエスという男が、人として来られた神であるという事実を。この罪にうちひしがれている男に、罪のゆるしを宣言なさった、このイエスこそ神なのです。

 

 ところで、当時のユダヤ人はしるしとしての「しるし」としての奇跡を求めていました。ここでいえば、主イエスが「あなたの罪はゆるされた」という宣言が本当だというならば、その証拠としての奇跡を見せてみろというわけです。そこで、主イエスは、かたくなな彼らのために「しるし」としての奇跡を行われますが、先立って、こうおっしゃったのです。

2:9 中風の人に、『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。

 2:10 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」

 いうまでもなく、「起きて、寝床をたたんで歩け」というほうが、「あなたの罪は赦された」というよりも簡単なことです。病者を起きて歩かせるというようなことは、癒しの賜物がある人ならばできることですが、後者は「あなたの罪は赦された」というのは神の権威をもってしなければならないからです。「おきて歩け」がかりに10キログラム持ち上げることに譬えるとすると、「あなたの罪は赦された」は1億トン持ち上げることです。10キログラム持ち上げられても、1億トン持ち上げられる証拠にはなりませんから、「しるし」として奇跡を求めることはナンセンスなことです。ナンセンスではありますが、律法学者があまりにかたくななので、主イエスは彼らに歩調を合わせてやったのです。

こう言ってから、中風の人に、

 2:11 「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。

 2:12 すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った。それでみなの者がすっかり驚いて、「こういうことは、かつて見たことがない」と言って神をあがめた。

 

むすび

 二点、学んだことを確認しておきましょう。

第一に、「子よ。あなたの罪は赦された。」という主イエスのことばです。主は何よりも罪のゆるしを宣言なさりたかったのです。体の病気のことは二の次でした。もしそこにけちを付ける律法学者がいなかったら、彼の病のいやしをする必要はありませんでした。からだの病気は肉体は滅ぼしてもその人を永遠の地獄に陥れることはないからです。しかし、罪は人の魂を永遠の地獄の炎の池に陥れてしまいます。

私たちは、友や己の肉体の癒しを求めて祈るのはよいことです。けれども、それ以上にその人の救いのために祈りましょう。

第二に、あの四人の男たちの友への熱意、信仰に学びましょう。なんとかして彼をイエス様の所に連れて行ってやりたい、連れて行ってやるぞという信仰の熱意です。行動です。祈りにおいて、教会に友を連れてくることにおいて私たちも同じことができます。 たとえ私たちが失敗したり無作法したりしても、イエス様は私たちの行動に信仰を認めて喜んで下さいます。失敗を恐れず大胆に主に近づこうではありませんか。