水草牧師の説教庫

聖書からのメッセージの倉庫です

義のために迫害される

マタイ5:10-12

10**,義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。

11**,わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。**

12**,喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。

 

1 義のためにとは

 

 「義のために」とあります。どういう意味でしょう。10節と11節が併行関係にあることを見れば、「義のために」とはすなわち「わたし(キリスト)のために」という意味であることがわかります。つまり、「義のために」とは「キリストのために」、少し古臭いことばを用いれば、「キリストへの忠義をまもるために」ということにほかなりません。主イエスにしたがって福音をあかししたがゆえに、主イエスにしたがって神のみこころに従って生きているがゆえに、この世の人々と衝突し、誤解され、侮辱され、社会的地位を失い、あるいは投獄されるという場合があるとしたら、あなたがたは幸いだということです。

「わたしに従うならば、迫害もあるのだということをあらかじめ覚悟しておきなさいよ」と主イエスはおっしゃるのです。主イエスは甘い言葉ばかりいわない、誠実な方です。「信じたら、商売違繁盛だよ」「信じたら、大学に合格するよ」「信じたら病気が治るよ」という宣伝をなさらないのです。キリストの福音はその辺の成功哲学の類とはちがうのです。

それにしても、悪いことをしていて罰を受けるのならば当たり前だけれど、イエス様にしたがって生きる時、どうして迫害されるようなことがあるのでしょうか。つまり、神を愛し、隣人を自分自身のように愛しているときに、どうして迫害に遭わないといけないのでしょうか?理不尽ではありませんか?なぜでしょうか?

それは、「この世」が神様の御心に背いているからです。2千年前、イエス様が人としてこの世に来られたときイスラエルは祭司長や律法学者たちによって指導される神政政治が行われていました。今日の日本が世俗的で不道徳なことに比べれば、とても宗教的で道徳的な社会でした。常に神のことが語られ、安息日が厳格に守られる社会でした。祭司や学者たちはモーセの律法を教え、やがてメシヤが到来することさえも教えていました。けれども、実際にメシヤとして神様の御子が来られると、彼らは御子を憎み、迫害して、殺してしまったのです。表面的には、宗教的で道徳的でありながら、実は世は神にひどく背いていたことを、主イエスが指摘したからです。偽善を暴かれたからです。

「そのさばきとは、光が世に来ているのに、自分の行いが悪いために、人々が光よりも闇を愛したことである。悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない。」(ヨハネ3:19,20)とあるとおりです。

エス様が、貧しい人々・軽蔑されていた取税人・罪人に神の愛を語り、あわれみを実践し、神の真実を告げて回られた結果、イエス様はこの世の人々に憎まれて迫害されて挙句の果て十字架にかけられたのです。世俗的で、異教的あるいは無神論的な世の中が神に背いているというのはわかりやすいのですが、神の律法に基づく神政政治が生真面目に行われていた世界が決定的に悪魔の影響下にあり、人間の罪という闇が人々の目を閉ざしていて、真理が見えなくなって、神の御子を迫害し最後は殺してしまったというのは、あまりにも皮肉で、かえって人間の罪は底知れないものなのだということを示しています。

 

 そして、弟子たちは、イエス様が復活して天に帰られた後、その復活をのべ伝え、悔い改めてイエスを信じるようにと伝道した結果、迫害を受けることになりました。エルサレムユダヤ教当局は弟子たちをむち打った上、伝道を禁止したのです。そのとき、彼らはどうしたでしょうか。おじけづいて伝道を止めましたか。いいえ。使徒たちは大喜び、さらに伝道を続けたのでした。

使徒たちは、御名のために辱められるに値する者とされたことを喜びながら、最高法院から出て行った。そして毎日、宮や家々でイエスがキリストであると教え、宣べ伝えることをやめなかった。」使徒5:41,42

 私たちが生きている現代の日本は自由でイエス様を信じていることのゆえに、殺されることなどない社会です。先の戦争の時代には、日本政府は黙示録13章の獣のようになってしまい、天皇を神として拝まない者を警察が取り締まるという恐ろしい状況に陥っていました。ホーリネス教会の牧師たち、その再臨を強調する信仰が治安維持法違反の容疑をかけられて投獄され、拷問の末命を落とした牧師たちもいます。朝鮮半島では、神社参拝を拒否した二百名の牧師、長老たちが主のために命をささげました。過去のことではありません。今現在、隣の中国では、兄弟姉妹たちは主イエスを信じていることのゆえに、迫害に遭っています。特に現政権になってから、その教会弾圧は非常に厳しくなっています。

 しかし、兄弟姉妹たちはその迫害の中で確かに喜びながら、雄々しくキリストのために生きています。

 かつて、私は中国の兄弟姉妹たちに会いに行ったことがあります。彼らの深いところからあふれる喜びの姿に感銘を受けました。もし私たちも主の御名のゆえに辱めや不利益を受けることがあったら、それイエス様の弟子として扱われたことなのですから、光栄なことです。喜び踊りながらさらにイエス様にしたがい、イエス様の福音をあかしして行きたいものです。

 

2 天の御国、天の報い

 

 イエス様が、義のために迫害されるようなことがあったなら「大いに喜びなさい」とおっしゃったわけはなんでしょうか。それは、「天の御国はあなたがたのものだから」ということです。これは、8つの祝福の第一番目の場合と同じです。第一番目にイエス様はおっしゃいました。 5:3 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」

心の貧しい者というのは、「私は神様の前でほんとうに罪人です。この罪人のわたしを哀れんでください。」と神様の前に祈り求めることができる人のことです。「私は正しい者です、神様にすがるなどという恥ずかしいことはできません」という人はわざわいです。その人は天の御国に入れませんから。つまり、天の御国は神様からの恵み、すなわち贈りものです。それは、修行によって買うものではありません。ただ、神様のご好意にすがって、感謝していただくものです。

このことから分かるように、この第八番目にいわれていることは、「迫害を受けることによって義とされる」、迫害義認ということではありません。迫害を受けることが功績となって、神様はあなたを天国に入れてあげましょうと言ってくださるのだということではないのです。

そうではなくて、神様の恵みによって、イエス様の贖いのゆえに、罪人である自分が罪人のまま赦されたことがわかったとき、人は、イエス様に感謝として、イエス様の御名のゆえに辱めや迫害をものともせずに生きていく者となるということです。そうして、イエス様のゆえに辱められたり、苦しみを味わうときに、イエス様がこのわたしのために忍んでくださった苦しみがどれほどのものかということを、少しでも悟ることができ、イエス様の愛の深さをしみじみと悟るものとなるのです。そうして、イエス様をますます愛する者、イエス様にますます従うものとなるです。そうして、イエス様のいらっしゃる天の御国がますます慕わしいものとなります。使徒たちは、主の御名のゆえに迫害されるに値するものとされたことを喜んだ、とあります。

以前、中国の奥のほうの初めて家の教会に聖書を持っていったときのことです。私は「中国では迫害下にあるクリスチャンたちは、どれほど苦闘して暗く暮らしているだろうか、どんなふうに慰めることができるのだろうか」と思って出かけたのです。ところが、実際に、家の教会の兄弟姉妹に会った時、そこに見たのは、ほかの中国人たちとは明らかにちがう輝かしい笑顔でした。大きな声で賛美することも許されないような状況の中で、ある家で一人の男性と3人の姉妹に会ったのですが、イエス様を知ったことのゆえに彼らの顔はほんとうに天使のように輝いていたのです。エルサレム初代教会の執事ステパノの顔が天使のように輝いていたとありますが、こういうことかと思いました。

主イエスの御名のゆえに辱められ、迫害を受け、時には命を捧げなければならない状況に置かれることは、この日本の北海道では少ないでしょう。本州の農村部では厳しい状況はあり、親戚づきあいを断たれることはありますが、殺されることはありません。けれども、そういうことに追い込まれるときには、逃げない、ごまかさないで、イエス様のことをあかししましょう。「私はクリスチャンです。」と。そのとき、あなたも天国の民としての喜びを味わうことができるでしょう。イエス様は、そう約束し、祝福してくださいます。

 

3 前にいた預言者たちと

 

 このように、イエス様を信じ、従うことゆえの迫害について話されて、弟子たちはどんな顔をしていたのでしょうね。気の弱い弟子は「怖いなあ」という表情をし、ペテロなどは「よし、やるぞ」とまなじりを決した表情をしていたでしょう。そういう弟子たちに、イエス様は、さらにおっしゃいます。

「喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。」

 預言者たちというのは、炎の預言者エリヤや、その後継者エリシャ。あるいは王国が偶像崇拝に陥って、神のさばきを目前にした時代のイザヤ、あるいはイスラエルの国が神のさばきに会う真っ最中の涙の預言者エレミヤのような偉大な主のしもべたちのことです。今イエス様の目の前にいる弟子たちにとっては、子どもの頃から聞かされていた信仰の勇者たちです。イエス様のお言葉を聞いて、偉大な神の預言者たちのことが急に身近な存在として、彼らに迫って来たにちがいありません。 

「君たちは、光栄にも、あのエリヤやイザヤやエレミヤと同じように、神からみことばのしもべとしての召しを受けた者たちなのだ。だから彼ら同じく、神からの栄誉とともに、神からの苦難にもあずかることになる。これは、素晴らしいことではないか。光栄なことではないか。これは喜ぶべきこと、喜び踊るべきことだ」と主イエスは弟子たちを激励するのです。

 使徒たちは、実際、それぞれに主の御名のために迫害され、殉教して行きました。最初の殉教者やヤコブでした。彼はエルサレムに福音をのべ伝えていった結果、ヘロデに捕まって処刑されました。ペテロはローマ皇帝ネロの迫害下、ローマで逆さの十字架にはりつけにされて殉教しました。トマスはインドに伝道に行き、その地で盛んに伝道してキリスト信徒のコミュニティを築くまでになりましたが、殉教しました。使徒ヨハネは弟子たちの中でもっとも長生きしたようですが、パトモス島に島流しにされました。そこで神の啓示を受けて黙示録を書き記しました。

 どの使徒たちも、あの丘で八つの祝福を受けた者として、天の御国の望みに喜び踊りながら、主にいのちをささげたのでした。

 

適用:日本同盟キリスト教団の始まり

1891年明治24年11月22日、横浜本牧埠頭に15名のスカンジナビア・アライアンス・ミッションの青年宣教師たちを乗せた船が到着しました。1891年とは、わが国では明治前半の欧化主義の振り子が今度は逆に右にふれて、急速に天皇国家主義が台頭してきた時代でした。前年明治23年に、天皇を中心とした神の国の精神的背骨となる「教育勅語」が発布され、明治24年内村鑑三不敬事件が起こります。一高の教員であった内村は、教育勅語の末尾にしるされたいわゆる天皇直筆の御名御璽に対する最敬礼は偶像礼拝にあたるのではないかと疑問を感じ、最敬礼をしなかったことで、非難の的となり一高を追放され、全国的に非難の的とされるのです。

そんな時代に、米国スカンジナビア同盟宣教団の15名の宣教師たちは横浜に上陸したのでした。年齢は18歳から35歳。15名のうち按手を受けた教職は3名のみで12名は信徒伝道者でした。最年少の18歳のメリー・エングストロームは、天然痘にかかった他団体の患者を看病するうちに、自分が天然痘に罹患し、到着の翌年2月に世を去ることになります。彼女の葬式の日、宣教師たちは全国の各地へと伝道に立っていきました。千葉の未伝道地、飛騨高山、伊豆の山奥、北海道アイヌといった福音の未伝道地へと。

飛騨の古川にはいったのはベルグストローム宣教師でした。飛騨の地はよい木材が取れることから江戸幕府の直轄領とされていたこともあり、仏教王国として名高い地であり、人々の生活は仏教寺院に厳しく管理されていました。そこに大男の赤鬼のようなベルグストローム先生が来ると、人々は鼻をつまんで逃げたといいます。けれども、塙旅館の主人は男気のある人物で、ベルグストロームを泊まらせてくれたのです。ですが、このことを聞きつけた古川の寺の坊さんは怒り狂い、酒に酔っ払って日本刀をひっさげて塙旅館の玄関に立ち、大音声に叫びました。

「ここにヤソ坊主がおるか。出て来い。たたっ斬ってやる。」

塙旅館の主人は、そうはさせじと宣教師を湯をはらった風呂の湯船に隠してふたをして、家捜しをする坊主の凶刃から宣教師をまもりました。主人は坊主が帰ると、ベルグストロームに言いました。

「先生の志は立派だが、これではいのちを落とすことになる。とにかく今は、いったん、この地を去りなさい」

と夜陰にまぎれてベルグストローム宣教師を古川の町から逃れさせるのです。ところが、ベルグストローム師が古川の町を去ろうとし、山の中腹から振り返ったとき、古川の町に火の手があがっていたのです。火事です。古川の町は家と家がつながっている長屋作りになっているので、火の手はあっというまにひろがりました。ベルグストローム師は、きびすを返して町の人々といっしょに消火につとめました。大男の先生は獅子奮迅の大活躍をして、町の人々にたいそう喜ばれ、尊敬もされました。実は、この名高い古川大火の火元はあの酔っ払いの坊さんの寺でありました。

こんなことがあって、ベルグストローム先生は町の人々からの尊敬と愛を受けることとなり、町の中に土地も提供されて会堂を建てることができるにいたったのでした。こうして仏教王国飛騨に、福音宣教の橋頭堡が築かれたのでした。

 

私たちの先輩たちは、このようにして基督の福音を、闇にとざされた日本の地、格別、福音のまだ伝わっていない地に伝えて行き、教会を各地に形成していったのでした。現在、同盟教団は北海道から沖縄まで258の教会があります。その多くは小さな群れ群れです。私たちも、この苫小牧、胆振地区にさらにキリストの福音、この神様からのよい愛のしらせ、十字架のことばをこの地の方たちにのべつたえてまいりましょう。キリストの御名のゆえに、もし辱めにあい、苦しみにあうことがあったならば、それは光栄なこととして喜びながら。

 私たちは歴史上まれにみる自由な世の中に過ごしています。基督を信じているということのゆえに、鞭打たれることもなければ、まして殺されることはありません。けれども、それでもイエス様を信じていることのゆえに、不利益をこうむったり、恐れを感じさせられたり、ゆえなき悪口を言われることもあるでしょう。そのとき、イエス様の御名のゆえに辱められたことを光栄なことです。喜びましょう。天の御国はあなたのものです。