水草牧師の説教庫

聖書からのメッセージの倉庫です

しかし、今はーー小事と大事

ローマ15:22-33

 

2019年2月10日 苫小牧主日礼拝

 

15:22 そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、

 15:23 今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行く場合は、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していましたので

 15:24 ──というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです、──

 

 15:25 ですが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。

 15:26 それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。

 

 15:27 彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。

 15:28 それで、私はこのことを済ませ、彼らにこの実を確かに渡してから、あなたがたのところを通ってイスパニヤに行くことにします。

 15:29 あなたがたのところに行くときは、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと信じています。

  15:30 兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。

 15:31 私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように。

 15:32 その結果として、神のみこころにより、喜びをもってあなたがたのところへ行き、あなたがたの中で、ともにいこいを得ることができますように。

 15:33 どうか、平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。

 

 

                                                                               

1 使徒パウロのビジョンエルサレム→ローマ→イスパニア

 

 使徒パウロは、今、小アジアのエペソという町にいて、このローマ教会への手紙を書いています。彼は「異邦人への使徒」という任務をイエス様から受けていました。

 パウロが抱いていた宣教のビジョンは、遠くイスパニアつまりスペイン、大陸の西の果てにまで福音を伝えに行くということでした。パウロの同労者であった医者ルカが書いた使徒の働きの1章にあり「地の果てにまでわたしの証人となります」という主イエスのことばの「地の果て」を、パウロは具体的に「イスパニアまで」と思い定めていたわけです。その向こうは大西洋です。はるかイスパニアにまで福音をあかしするという、胸ふくらむような遠大なビジョンです。彼は「異邦人の使徒」として召された自分の使命を、地の果てイスパニアにまで福音をもたらすことであると自覚していたわけです。その途上にローマに寄りたいと思っていたのです。22ー24節

15:22 そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、

 15:23 今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行く場合は、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していましたので

 15:24 ──というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです、──

   パウロは西へのキリストの福音をもたらそうとしていたわけですが、他の使徒や伝道者たちはどうしていたのかお話しておきます。南のアフリカに福音をもたらしたのは、伝道者ピリポであったと使徒の働きにあります。彼はエジプトからやってきた王の宦官に、イザヤ書53章からキリストの福音を伝えたのでした。エチオピアの王室にはそうしてキリストの福音が入り、以後、今日にいたるまでエチオピアではキリスト教がさかんです。

  東は古代のインドにまで福音を伝えたのは使徒トマスでした。それは単なる伝説であろうと長年にわたって思い込まれていたのですが、二十世紀になってインド西岸に古代のキリスト教礼拝堂とコミュニティがあったことが確認されました。

   ペテロ、トマスの関係でシリヤ、アッシリヤ方面から、さらにシルクロードを介して中国にまで宣教していった伝道者たちもいました。私は数年前にスウェーデンに教団の用事で出かけたことがありましたが、そこにアッシリア教会というのがありました。アッシリアに福音をもたらした教会はペテロの流れでした。

   そこから、さらに中国へとアブラハムという名の宣教師が遣わされました。彼が中国に入って皇帝に会ったのは唐の二代目の太宗皇帝(626-649)のときでした。中国側の記録では阿羅本といいます。

 しかし、数年前のニュースで中国では1世紀終わりころから2世紀のキリスト教徒の墓が見つかったと言っていましたから、もっと早い時代にキリスト教は伝わっていたようです。  それぞれに宣教のビジョンにしたがって、いのちをかけて福音のために出かけて行ったのでした。

 

2 ですが今は

 

 ローマ書に戻ります。彼の胸には壮大なビジョンがありましたが、使徒パウロには、その前に成し遂げなければならないことがありました。それは、イスパニア行きに比べれば、地味な使命です。しかし、非常な危険をともなう使命です。それはエルサレムの教会に奉仕をしに行くということでした。

「ですが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために據金することにしたからです。」

 

 エルサレム教会に據金をとどけることには二つの理由がありました。

 

(1)弾圧下にあった

 

 第一は、エルサレム教会がユダヤ当局から激しい迫害の下にあって、経済的にも困窮していたからです。弾圧が始まって以来、多くの信徒たちは信仰をまっとうするためにエルサレムを逃れて、ほかの町町に暮らすようになっていましたが、ペテロたち使徒たちをはじめ少数のユダヤ人クリスチャンたちはあえてエルサレムにとどまって、その地で教会を守っていたのです。エルサレム教会は、当時の地中海ではセンターチャーチの位置にありましたから、これを文字通り死守しようと考えて地下教会として歩んでいました。

 当時のユダヤ社会においてキリスト教信仰を持つ者になったということは、けっして並大抵のことではありません。彼らは会堂から追放されました。会堂から追放されるということは、単にユダヤ教礼拝に加われなくなるということではなく、日本風にいえば村八分にされる、市民権を奪われるということを意味していたのです。国家の保護の外に置かれることです。当然、職業を持つことも並大抵ではなくなり、生活も当然困窮しました。しかし、エルサレムの教会にあえて踏みとどまろうとしたのは、エルサレム教会は当時としてはいわゆる総本山としての教会であったからです。福音はエルサレムから始まって、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで宣べ伝えられるというのに、神の都エルサレムにある教会を失うということは考えられなかったのです。

 現状を知り、エルサレムの兄弟姉妹のいのちがけの覚悟を知ったマケドニア地方、アカヤの教会は、エルサレム教会へ醵金(コイノニア)をして届けることにしたのです。拠金とはコイノニアと言います。具体的に、エルサレム教会に経済的支援をしようとしたのでした。同じ主にある兄弟姉妹たちが生活困窮しているのに、自分たちだけ安全と幸福を満喫しているわけには行かないと感じて、彼らは喜んでこの醵金に加わったのです。

 教会における「コイノニア」(交わり)とは、「共有」を意味しています。主にある兄弟姉妹の貧しさを私の貧しさとしても分かち、私の持っているいくばくかの富をも分かとうとするのです。喜ぶ者とともに喜び、悲しむ者とともに悲しむ。それが教会のコイノニアであります。教会は単なる公民館のサークルのような集いではありません。運命共同体、キリストのからだなのです。

 また教会とは単に一つの地域にある教会だけではなく、地域を越えた諸教会全体をも意味しているのです。マケドニアの教会の兄弟姉妹は、まだ一度もエルサレムの教会の兄弟姉妹の顔を見たことなどはないのです。けれども、たがいにキリストの一つのからだに属する兄弟姉妹であるといういきいきとした意識を、聖霊様によっていただいていたのでした。

 

(2)パウロの宣教の正統性を確認するため

 

 パウロエルサレム教会にぜひとも行き、據金を届けねばならなかった第二の理由は、パウロが今日まで命がけでアジヤやマケドニアに伝道して設立してきた諸教会が、正統のキリストの教会の交わりのうちにあるものだということを確認するためでした。

 というのは、エルサレムユダヤ人教会の中の一部にはいまだにユダヤ主義者がいて、彼らは異邦人も旧約聖書にある割礼をはじめとするもろもろの儀式を守らなければ、救われることはできないと考え、パウロが福音を宣べ伝えるのを妨害さえもしていたのです。そして、どうやらパウロの働きについて、根も葉もない悪い噂をエルサレムのセンター教会に告げ口している連中もいるらしいのです。パウロはイエスを信じたら、罪を犯しても平気だと教えているなどという福音の曲解を伝えていたようです。

 そこでパウロはローマに行き、はるかイスパニアに伝道をしに行く前になんとしても、今日までのアジア、マケドニアの諸教会における福音の働きがまっとうなキリストの働きであり、設立された諸教会はキリストの正統な教会であることをエルサレムの総本山の使徒ペテロたち確認させる必要があったのです。そこでアジア、マケドニアの教会からの醵金の奉仕も受け取ってもらわねばなりませんでした。もっとも、『使徒の働き』を読むと、パウロが心配したことは杞憂であったことがわかります。使徒ペテロたちはパウロが勧めた福音のわざを喜んで認めたからです。

 こうして集めた據金をエルサレムパウロは届けようとしていました。

 

3 小事と大事

 

 けれども、使徒パウロエルサレムへ行くということには、実はたいへんな危険をともなっていたのです。ユダヤ当局が、彼らからいえば、憎むべき裏切者であるパウロを逮捕しようとしていたからです。ユダヤ当局は、パウロはかつてキリスト教会迫害の急先鋒であり、もともと自分たちの仲間であったくせに、自分立ちを裏切って異邦人にまことの神による救いを宣べ伝えているとんでもない男でした。使徒の働き20:22-24をごらんください。 

 「20:22 いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。

 20:23 ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。

 20:24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」

 ここにはエルサレム途上のパウロの記事が書いてあります。使徒はエペソの長老たちに決別説教をしています。使徒は死を覚悟していました。ですから、使徒パウロはローマ教会の兄弟姉妹に、まず、エルサレムでのこの困難な奉仕がまっとうできるように熱心にとりなし祈ってほしいと切望しているのです。

「兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈って下さい。私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように。」(30、31節)

 ローマに行くには、そして、その向こうのイスパニアに福音を宣べ伝えるというビジョンの実現には大きな難関がパウロの目の前にあったのです。しかし、パウロは、まず今目の前にあるエルサレム行きを回避せず、それをなんとしてもなし遂げてから、その先の使命を果たそうとしていたのです。かりにエルサレム行きのために死んでもいいと覚悟していたのです。実際、パウロは56年にエルサレムに行き、任務を果たした後、パウロは逮捕され、獄に投じられて裁判にかけられ、その後、船でローマに護送されてローマ着は3年後のことになり、イスパニア行きは実現したかどうかは不明ですが、67年にネロの迫害下でローマで殉教したということです。

 

<まとめ>

きょうは、特に神の御心の実現と私たちの格闘、奮闘、との関係について学んでおきたい。

 

(1)小事と大事

 エルサレムを通らないでは、ローマにもイスパニアにも行くことはできないということです。神がくださった大きなはるかなビジョンというものがある。しかし、今、主のために果たさなければならないことは、そのビジョンの実現には妨げになるように思われる場合がある。そうしたときエルサレムには行かないでさっさとイスパニアに行ってしまいたいと思いがちかもしれません。

 大事のためには、小事はスルーしてしまうということが世間ではよく言われることだと思います。しかし、それはパウロの取った行動とは違うようです。大事のためには小事を犠牲にするのはやむを得ないという考え方は、人間の目には合理的です。もちろん小事というのはやたらと細かいことにこだわりなさいというわけではありません。エルサレムの貧しい兄弟姉妹に義援金を届けるための愛のわざ、しかし、いのちの危険をともなうわざでした。使徒パウロは、たとえ、エルサレムでの奉仕のために死んでも良いという覚悟で、これに取り組みました。

 主イエスは小事に忠実な者は、大事にも忠実であるとおっしゃいました。今という時の小事(小さなこと)に忠実な者は、後の日の大事、大きなことにも忠実である。小さなことに忠実な者に、主は大きなことをも任せて下さるのです。

 

(2)熱心な祈り

 もう一つは、主のための働きをしようとするとき、他の兄弟姉妹たちに祈ってくださいと率直に頼むことが大事だということです。ときどき、どういうわけか、兄弟姉妹に祈ってくださいと依頼することに躊躇する人がいます。たしかに、あまりにも個人的なことであり、自分の利害にだけ関係があることの場合には、そういう気持ちになることは理解できます。しかし、主の働きのため、主のご栄光のために自分が何事かをなそうとしているならば、祈ってくださいとせつに求めることは大事なことです。私たちは兄弟姉妹の祈りの支えなしに、どんな主のわざをすることもできないからです。

15:30 兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。

  祈りによる同労者を募ることが大事なのだと教えられました。

 ですから、私も兄弟姉妹に3つの祈りをお願いします。

 第一は、土曜日の夜には、忘れることなく、必ず牧師が明日は聖霊に満たされて説教をすることが出来るようにせつに祈ってください。

 第二は、牧師がウィークデーの歩みの中で、主の福音をまだ知らない方たちに、福音を毎日あかしするチャンスを得ることができるように、せつに祈ってください。

 第三は、今厳しい迫害下にある隣国の主にある兄弟姉妹のために、祈ってください。