水草牧師の説教庫

聖書からのメッセージの倉庫です

神を畏れて生きよ

出エジプト記1章1-22節

 

1.へブル人の危機

 

 本日から出エジプト記を味わいます。アブラハムがおよそ紀元前2000年の人で、その息子イサク、孫ヤコブと続き、ヤコブの時代に一族はエジプトへと下ります。それが1800年頃のことです。その時代からおよそ400年後が、本日から読み始める出エジプト記の出来事です。イスラエルの民のエジプト脱出の時期は、紀元前15世紀または14世紀の出来事でした。まず、出エジプト記は、モーセ誕生という出来事の歴史的背景を、1章1節から22節はていねいに記しています。

 「さて、ヤコブといっしょに、それぞれ自分の家族を連れて、エジプトへ行ったイスラエルの子たちの名は次のとおりである。ルベン、シメオン、レビ、ユダ。 1:3 イッサカル、ゼブルンと、ベニヤミン。ダンとナフタリ。ガドとアシェル。 1:5 ヤコブから生まれた者の総数は七十人であった。ヨセフはすでにエジプトにいた。」(1:1-5)

 アブラハムの孫ヤコブが、紀元前1800年頃一族を連れてエジプトの地にくだったのは、数年にわたって彼らが住んでいたカナンの地が雨が一滴もふらない飢饉のゆえでした。そんなときにも、エジプトにはアフリカの奥地のジャングルに降る雨水を集めた大ナイル川があり、水が確保されていました。それに、ヨセフが不思議な導きでヤコブの12人の息子のうち下から二番目の息子ヨセフがエジプトの宰相となってエジプト国内に莫大な食料を蓄えていて、父ヤコブと兄弟たちを迎えたてくれたからです。

 ヨセフがエジプトに連れられて行った時、エジプトの王は第16王朝のアペピ2世だったと考えられています。この王は1800年頃、第16王朝というのはヒクソス人というセム騎馬民族征服王朝で、エジプト土着の人々の王朝ではありませんでした。自分の右腕としてエジプト統治を助けてくれるヨセフ、そして、ヤコブ一族はセム系ですから親近感もあったのでしょう。王はイスラエルを厚遇したのです。それでしばらくの間イスラエル人たちは、エジプトに安住していました。やがて、「そしてヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々もみな死」んでいきます(6節)。そして、「その子孫たちは、多産だったので、おびただしくふえ、すこぶる強くなり、その地は彼らで満ちた」のです(7節)。

 

 ところが、時代がくだって社会情勢が変化してきます。「ヨセフを知らない新しい王がエジプトに起こった」(8節)とあるとおりです。王朝が交代したのです。それは、エジプトに昔から住んでいた民族が異民族のヒクソク人たちを追い出して、自分たちの王朝を復興したのです。これをエジプト新王国時代といいます。このエジプト新王国時代、エジプトは領土を拡張して世界帝国にした好戦的な王たちが起こりました。新王国時代は、異民族を追放したという民族主義的な王朝でしたから、かつてヒクソス王朝に優遇されていたイスラエルの民は、冷遇・弾圧されることになります。モーセが生まれたのは、このエジプト新王国時代、寄留するイスラエルにとっては苦難の時代のことだったのです。

 出エジプト記1章に出てくる王は、考古学者によればラメセス2世かトゥトメス3世という二つの説があり、それぞれに相当の根拠はあるのですが、私は総合的に判断してトゥトメス3世(1500BC)とするのが適切であろうと思います。王はイスラエルの民は労働力として生かしておかねばならないが、強くなりすぎると王朝にとっては危険であると考えました。とくにイスラエル人は人口が急激に増えていましたので、王の目には脅威として映ったのでした。

 「彼は民に言った。「見よ。イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い。さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。」

 そこで、彼らを苦役で苦しめるために、彼らの上に労務の係長を置き、パロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。しかし苦しめれば苦しめるほど、この民はますますふえ広がったので、人々はイスラエル人を恐れた。それでエジプトはイスラエル人に過酷な労働を課し、 1:14 粘土やれんがの激しい労働や、畑のあらゆる労働など、すべて、彼らに課する過酷な労働で、彼らの生活を苦しめた。」(1:9-13)

 

 2 神を畏れる女たち

  しかし、このような暴君の時代にも勇気ある人たちがいました。しかも、それは屈強な男たちではなく、ヘブル人の名もなき女性たちでした。彼女たちは、神がこの世に生まれさせようとするいのちを産ませることこそ自分たちの使命であると認識していました。生まれてくる赤ん坊のいのちを奪い取ることは神に背く恐るべき罪であると認識していましたので、絶対君主の命令に背いてまでもヘブル人の赤ん坊を取り上げたのでした。

 「また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに言った。そのひとりの名はシフラ、もうひとりの名はプアであった。

  彼は言った。「ヘブル人の女に分娩させるとき、産み台の上を見て、もしも男の子なら、それを殺さなければならない。女の子なら、生かしておくのだ。」

  しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておいた。

  そこで、エジプトの王はその助産婦たちを呼び寄せて言った。「なぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか。」

   助産婦たちはパロに答えた。「ヘブル人の女はエジプト人の女と違って活力があるので、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」

   神はこの助産婦たちによくしてくださった。それで、イスラエルの民はふえ、非常に強くなった。 助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。」(1:15-21)

 業を煮やした王は、エジプト人たちに命令しました。「生まれた男の子はみな、ナイルに投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。」(22節)実に鬼のような王です。

 先ほど、私は「名もなきヘブル人の女性たち」と申し上げましたが、神様はエジプトのファラオの名は伏せておいて、産婆さんたちの名をここに特筆して残させました。「シフラとプア」という名でした。シフラは日本風に言えば好ましい子と書いて、好子さん、プアは語源不明です。歴史家の目には特段価値のない名でしょうが、神の御目には特段価値ある名なのです。

 

3 『生ましめんかな』

 

 この二人の産婆さんの記事を読むと、私は必ず栗原貞子さんの詩を思い出します。

 

「生ましめんかな」

こわれたビルディングの地下室の夜だった。

原子爆弾の負傷者たちは

ローソク1本ない暗い地下室を

うずめて、いっぱいだった。

生ぐさい血の匂い、死臭。

汗くさい人いきれ、うめきごえ

その中から不思議な声が聞こえて来た。

「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。

この地獄の底のような地下室で

今、若い女が産気づいているのだ。

 

マッチ1本ないくらがりで

どうしたらいいのだろう

人々は自分の痛みを忘れて気づかった。

と、「私が産婆です。私が生ませましょう」

と言ったのは

さっきまでうめいていた重傷者だ。

かくてくらがりの地獄の底で

新しい生命は生まれた。

かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。

生ましめんかな

生ましめんかな

己が命捨つとも

 

 

 最初の女性の名をエバ、すべていのちあるものの母という名でした。女性は、男よりもいのちを尊ぶ性質があるのです。子を産むこと、育てること、家族のいのちを守る食事を用意すること。こうしたことに必要な、いのちを大切にしたいという性質を神様は女性にお与えになったのでしょう。己が命を捨てても、子どものいのちを守りたいという情熱を神は女性に授けられました。

 

結び

 歴史家たちが注目する、歴史の表舞台に立ち、歴史に名を残すのはたいてい男であり、モーセはそういう英雄の一人です。けれども、モーセが歴史の舞台に立つためには、その蔭でこのような神を畏れる勇気ある二人の産婆さんがいたのです。名もない産婆さんです。でも、神様は彼女たちの名前が聖書に残ることを望まれました。シフラそしてプアという産婆です。

 面白いことに、出エジプト記には当時の世界の最高権力者エジプトのファラオの名は記録せず、二人の産婆さんの名が記録されているのです。歴史家たちが目を付けるところと、神が目を止められるところは違うのですね。

 モーセを歴史に登場させ、イスラエルを救出し、旧約の啓示を与えるのは確かに神様のご計画でした。しかし、神のご計画はどのようにして実現していくのか。神は、ご自分の計画を遂行されるにあたって、神を畏れる者に期待し、お用いになるのです。神の計画は、それは神を信じる者たちの、信仰の行動によって実現していくものなのでした。それも神の摂理の御手のなかにあることなのです。私たちは歴史に名を残すような大きな者ではなく、小さな道端の石ころのようなものかもしれません。けれども、そんな路傍の石ころでも神を信じる勇気をもって生きるなら、神はその名を憶えていてくださいます。