水草牧師の説教庫

聖書からのメッセージの倉庫です

地の塩、世の光

マタイ5:13-16

2019年1月12日 苫小牧

13**,あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気をつけるのでしょうか。もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです。**

14**,あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。**

15**,また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。**

16**,このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。

 

 

1.地の塩、世の

 

 主イエスは信じ従う私たちに8つの祝福をお与えになりました。今朝も、「心の貧しい者」「悲しむ者」「柔和な者」「義に飢え渇く者」「あわれみ深い者」「心のきよい者」「平和をつくる者」「義のために迫害されている者」としての、私たちへの祝福です。それは、新約の時代の神の国の民に与えられた祝福でした。祝福を受けた者として、神の民はこれからどういう生き方をしていくのかを、イエス様は教えてくださるのです。神の祝福をまず受けたので、その恵みにどのように答えて生きていくかという、この順番が大事なことです。

 私たちの世にあっての存在と働きを、イエス様は、地の塩、世の光と表現されました。 

スーパーにいくと「天塩」という銘柄の塩が売られていますが、天の塩でなく、地の塩だとおっしゃるのです。その意味は、主イエスの弟子というものは、確かに「私たちの国籍は天にあります」という者なのですが、その天の御国に住んでいるわけでなく、地に遣わされたものであるという意味です。イエス様はあるとき、父なる神に向かってこう祈られました。「真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。」(ヨハネ17:17,18)

またイエス様は、「あなたがたは天の光です」とはおっしゃらないで、「あなたがたは世の光です」とおっしゃいました。これも同じことです。「真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。」(ヨハネ17:17,18)とおっしゃるとおり、私たちは天國を照らす光ではなく、天国から暗いこの世に遣わされて世を照らす光なのです。天国には神様が住んでいらっしゃるから、私たちが照らす必要はありません。照らす必要があるのは、この世です。ここに天国の光をもっていきともす者として、私たちキリスト者はこの世に派遣されました。

エス様に信じ従う者は、天の御国の国民ですが、その御国から、この世に派遣されている者です。あなたは、自分がそれぞれの家庭や地域や職場や学校に、またこの現代日本と言う国にイエス様によって派遣されているのだという自覚を持っているでしょうか。この自覚がまず大事なことです。

私たちは天国人ですから、第一の忠誠は神さまに対するものでなければなりません。日本人である前に天国人なのです。この世と調子を合わせてはいけません。この世の価値観に流されてはいけません。神様と調子を合わせて生きていきます。しかし、イエス様によって、この世に証人として遣わされていることを忘れて、まるで世捨て人のように、この世は没交渉にして生きていてはいけません。遣わされた地域、職場の人々の中に入って行って、神の栄光をあらわす生き方をする必要があります。つまり、世から聖別されたという意識と、世へと派遣されたという意識の両方がたいせつです。聖別意識と派遣意識です。

実は去年の忘年会の終わりの締めの係をしてくださいと言われました。万歳とか一本締めとかなんかそういうのがありますよね。でも、参加者は「キリスト教式でどうぞ」と仰るので、一年間の感謝と、それぞれのお店の祝福、健康の祝福をお祈りしました。先週木曜日は理事会があり、そのとき肉の青山さんは、牧師室にかけてあった「みことば三十一日」をくださいとおっしゃるので差し上げました。少しずつですけれど、この地域の人たちにイエス様を証できればと願っています。

 

 地の塩

 

)うまみを引き出す

塩の働きのひとつはうまみを引き立て、うまみを引き出すことです。ほんの一つまみの塩で、たとえば味気ないおかゆがおいしい甘味を感じさせるようになります。お汁粉を作るにも、お砂糖に比べたらほんの何十分の一に過ぎない一つまみの塩で、甘味が増すのです。塩というのは、とっても素晴らしい力をもって、料理やお菓子の甘味やうまみを引き出すのです。

「あなたがたは、地の塩です」とイエス様はおっしゃいました。この世は味気ない世界です。イエス様が、終わりの時代、「愛が冷えてしまうので不法がはびこります」とおっしゃったように、この世はますます味気ない世界になっていくなあと感じないでしょうか。味気ない世界、それは愛の冷えた世界です。

世界を味気なくしてしまう現代社会の原因はなんでしょうか?そのひとつは、イエス様がおっしゃったように、カネがすべてだという拝金主義とか効率主義です。<すべてのものは金銭に換算して価値が量られる>といった見方が、この世を味気なくしてしまっています。マモニズムといえばいつも私はイスカリオテ・ユダを思い出します。イエス様がいよいよ十字架にかかるためにエルサレムに行こうとされるとき、ベタニヤのマリヤがイエス様に惜しげもなく注いだ香油について、イスカリオテ・ユダが「これは300デナリもするじゃないか。もったいない。」と値積りしました。彼にはマリアの十字架に向かおうとするイエス様への愛がわかりませんでした。ただ300デナリという金銭に換算しただけです。なんでもかんでもカネに換算する人は、すでに拝金主義の偶像崇拝者です。

「あなた変わりはないですか。日ごと寒さがつのります~♪」と恋人が一生懸命に夜なべをして手編みのセーターを作ってくれたら、「なんだこんなのシマムラに行けば、1000円もしないでもっといいの売ってるよ。」などと言う男がいたら、なんと味気ない男でしょう。こんな愚劣な男は、誰が作ったかしれないブランド物の何万円のセーターなら満足するのでしょう。カネがすべてなのです。

 イエス様は私たちキリスト者に「あなたがたは地の塩です」とおっしゃいました。日本にクリスチャンは1パーセントと言われます。でも、塩の働きということを考えると、私たちは自分が少数派であることを恥じることはありません。お汁粉に一つまみの塩で、うんと甘さが増します。少数派のクリスチャンであっても、ちゃんと祈り、ちゃんと考え、ちゃんと働くならば、無味乾燥なこの社会に味わいを引き出すことができます。神様のために素晴らしい働きができるのです。私たちが、イエス様のくださった御霊の働きによって、この世にあってイエス様のみことばにしたがって、神様の愛に生きていくとき、私たちは塩として味のある世界を作り出すことができます。効率がすべて、金儲けがすべてといった無意味で味気ないこの世界を、味のある世界とされるのです。

 

)防腐効果

 塩の働きはまた、ものを腐らせないことです。漬物を塩で漬けるのは、うまみを引き出すと同時に保存が利くようにするためです。

 世の光放送のラジオ牧師羽鳥明先生が御自分をクリスチャンへと導いた同級生について、こんな証しをなさっていました。羽鳥先生が旧制中学生のときは日本は戦時下にありました。各学校には、配属将校が置かれていました。ある将校が来ると、教壇に立って言い放ちました。「ヤソはわが国体に反する、アメリカの宗教じゃ。ここにヤソはおるか。名乗ってみろ。俺がどうにかしてやる。」すると、一人の同級生がすくっと立ち上がって言いました。「私はクリスチャンです。イエス・キリストがわたしの罪のために、十字架で死んでよみがえられたことを信じています。」そして静かに座りました。その男は、いつも柔和でにこやかでした。そして、彼の周りには汚れたものがなく、周囲の人々をきよめる不思議な力をもっていたのです。」

 「あなたがたは地の塩です。」と主イエスはおっしゃいました。この世界は、神様に背を向けて、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢で汚れがますますひどくなってゆこうとしています。世と世の欲は滅びます。その中にクリスチャンは派遣されて、イエス様のみことばを信じてしたがって行けば、周囲が不思議にきよめられていきます。イエス様の清さが、クリスチャンを通して周りに浸透して行き、この世がソドムとゴモラのように腐りきって滅びてしまうのを防止することになります。あのとき、神様はもしソドムの町に10人の正しい人がいれば、この町を亡ぼさないとおっしゃいました。実際には10人もいなかったので、滅ぼされてしまいましたが。しかし、わずかな人数であっても神を恐れてきよく歩む者がいるならば、神はその地を滅ぼさないのです。ですから、世の人たちは何も知りませんが、クリスチャンであるあなたは、この日本の国を、

苫小牧の町を神の恐るべきさばきから守っているのです。

「あなたがたは地の塩です」と主はおっしゃいました。私たちは、味気ない世界に、うまみを引き出し味をつけ、腐りつつある世界をきよくして腐らせず、神のさばきから守るという大切な役割をになっているのです。

 

 世の光

 

 また、主イエスは私たちにおっしゃいます。

14**,あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。**

15**,また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。**

16**,このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。

 

 塩も光もともにこの地上、この世界で、イエス様の弟子たちの果たす役割を表しています。両者は、どうちがうのでしょう。たぶん、塩が地味な目立たないところ、周囲に溶け込み浸透して行って働くのに対して、光の方は一目に立つ働きであるということを意味するのでしょう。塩は、見えないかたちで浸透して行って、味気ない世界に味を付けたり、腐りそうなものの腐敗を防いだりしますが、光は見えるかたちでの神の証しを意味するということができましょう。

 人目に立つために偽善的な良いわざについてイエス様は言われました。「あなたの右手のしていることを、左手に知らせるな。」けれども、人目に立つことを恐れるあまり、なすべき良いわざを行なわないとしたら、それはおかしなことになります。たとえば電車の中に空き缶が転がっているのを見つけたけれど、だれも拾おうとしない。けれど、ほうって置けば、誰かがそれを踏んで転んで大怪我をするかもしれません。そんなとき、『右の手のしていることを左の手に知らせるなとイエス様がおっしゃったから、人目に立つよいことをするのはやめよう』などと思っているうちに、誰かが空き缶を踏んで転んで大けがしたら何にもなりません。人目についても、つかなくても、善いことはするのです。

 電車でおばあさんがふらふらしていたら、さっと立ち上がって席を譲ると目立つから「右の手のしていることを左の手にしらせない」ためだと、寝たふりをしてはいけません。さっと立ち上がって、席を譲るとおばあさんも助かるし、そういうことが社会であたりまえのことになれば、もっとこの社会はお互い住みやすくなります。

 

 ところで、光というものはどれだけ大切なことでしょう。2018年9月6日、胆振東部地震で北海道全部が大停電になって、私たちは夜を暗闇の中でしばらく過ごしました。光がないというのは、まことに不便なものだと改めて知りました。光があってこそ、暗い夜も生活することができます。

また、植物は太陽から注がれる光を受けて、光合成を行ない、小さな種から大きな作物となって行きます。直径一ミリほどの種が、大きな白菜になったり、大根になったりします。降り注ぐ光の力です。光はエネルギーであって、そのエネルギーがいのちをはぐくむのですね。光がなければ、私たち地球で生きるものたちはみな食べ物を得ることができず餓死してしまいます。

 「あなたがたは世界の光です」と主イエスはおっしゃいました。イエス様が光そのものですが、私たちもまたイエス様の光を映してこの世を照らす光としての役割をになっています。光はエネルギーであって、いのちを育む力です。元気を失っている人、希望を失って悲しんでいる人のそばに寄り添って、静かに話を聞くことによって、イエス様のいのちのエネルギーをお分かちできるとしたら、そのとき、あなたも世の光です。喜ぶ者とともに喜び、なく者とともに泣くならば、あなたも世の光です。そういう共感をしてくれる人がいたら、と思っている人は今の世界にはとても多いのですね。

  「あなたがたは世の光です」と主イエスは私たちにおっしゃいます。暗闇の海の中で難破している舟のような人生を漂っている人たちにとって、クリスチャンは真理といのちに導く灯台の光です。私も、高校時代、そういう友人に出会って、牧師のもとへ、教会へ、イエス様へと導かれたのでした。ほとんどの皆さんにとっても、ご自分の人生にとって灯台の役割をしてくれた人がいたのではありませんか。小野君枝姉によってイエス様のもとへ、教会へと導かれた方たちが何人もいるとうかがいました。

「あなたがたは世界の光です」。だから、自分がキリスト者であることを隠してはいけません。人生の暗闇に迷い、沈没しそうな難破船のような状態に陥っている人が、あなたのそばにいるかもしれません。あなたという光がなければ、その人は本当に人生に絶望して沈没してしまうかもしれないのです。だから、私はクリスチャンですと、旗印を鮮明にして生きて行きましょう。

「私はクリスチャンです。私はわたしの罪のために十字架にかかって死に、よみがえってくださったイエス・キリストを信じています。」いつでも、どこでも、もし問われたならば、このようにあなたの中にある信仰と希望を告白することにしましょう。

 

結び

地の塩として人々の中に浸透して、地道に生きること。

世の光として、「私はクリスチャンです。イエス様こそ希望です。」と恥ずかしがらずに証して生きること。これらのことを大切にしてまいりましょう。

クリスチャンはとても貴重な存在なのです。