水草牧師の説教庫

聖書からのメッセージの倉庫です

結婚・姦淫  (第七戒)

出エジプト20章14節 姦淫してはならない。

 

1.姦淫の罪

 

 結婚制度は、神がお定めになった大切な制度であり、家庭は社会を構成する基本的単位であり、将来社会を担う子供たちを育てる場ですから、これを破壊してしまう姦淫の罪は重大です。ハイデルベルク信仰問答は次のように教えています。

 

問108 第七の戒めは何を求めていますか。
答  神様は、すべてのみだらなことを呪っておられます。
  それゆえ、わたしたちはこれを心から憎み、
   聖なる結婚生活においても、それ以外の場合にも、
  清く、また慎み深く生きなければならない、ということです。

 

 姦淫の罪とは、既婚者が結婚関係の外にある者と性的関係を持つことを意味しています。旧約聖書の律法の基準でいえば、石打ちによる死刑という最高刑に値する罪です。

レビ記20:10**,人が他人の妻と姦淫したなら、すなわち自分の隣人の妻と姦淫したなら、その姦淫した男も女も必ず殺されなければならない。

 イエス様によれば、離婚の正当な理由として申し立てることができるのは、唯一姦淫の罪だけです。姦淫はどうして、それほど重い罪なのでしょうか。

 第一に、姦淫は不品行ポルネイアという罪を含みます。私たちのからだは聖霊の宮ですから、これを罪でけがしてはいけないのです。(1コリント6:19)

 第二に、それだけでなく、姦淫は結婚の契りと家庭を破壊する行為ですから、大変重いのです。夫婦関係が破壊され、家庭が破壊されると、その子供たちの人格の形成にも影響が及びます。その子どもの将来にも影響があり、そしてその子供たちが担う社会にも、その子どもが将来結婚して営む家庭にも影響があるわけです。

 第三に、そればかりか、結婚はエペソ書5:32によれば、キリストと花嫁の地上的予型としての務めを果たすべきものなのですが、それを破壊してしまうことなので、とんでもなく大きな罪なのです。

 

 2 きっぱりとした態度

 

主イエスは山上の説教で次のように新約の時代の基準を語られました。

マタイ5章

27**,『姦淫してはならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。**

28**,しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。**

29**,もし右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに投げ込まれないほうがよいのです。**

30**,もし右の手があなたをつまずかせるなら、切って捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに落ちないほうがよいのです。

 目をえぐりだせとか、手を切って捨てろとか強烈な表現は、もちろん文字通りとるべきでなく、文学的誇張表現です。目をえぐりだし、手を切っても、また人間は罪を犯すでしょう。おっしゃる意味は、この種の誘惑になるものには、私たちは最初から近づかず、きっぱりとした態度を取れということです。ヨセフがエジプトにいたとき、彼が執事をしていた家の奥方が彼を誘惑してきました。その時、彼は社会的地位を失ってしまうという犠牲を払っても、きっぱりとした態度を取ることで、姦淫の罪から守られました。

 具体的生活の中では、たとえば車の隣のシートには妻以外の女性は乗せないとか、配偶者以外の女性と二人きりになる機会を避けることです。君子危うきに近づかずです。

  

3.結婚とは

 

 十戒は禁止命令が多く、車で言えばブレーキ的であると先にも申し上げました。ブレーキは大事ですが、ブレーキだけで車は走りません。アクセルが必要です。姦淫するなという禁止に対して、積極的な命令は二つの面からいうことができます。

一つは真実な結婚についてわきまえを持つことです。

もう一つは、自分の体が聖霊の宮とされたことをわきまえることです。

 

「姦淫するな」という戒めを正しく理解するためには、まず、結婚について正しく理解しなければなりません。

創世記2章

15**,神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。**

16**,神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。**

17**,しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

18**,また、神である主は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」**

19**,神である主は、その土地の土で、あらゆる野の獣とあらゆる空の鳥を形造って、人のところに連れて来られた。人がそれを何と呼ぶかをご覧になるためであった。人がそれを呼ぶと、何であれ、それがその生き物の名となった。**

20**,人はすべての家畜、空の鳥、すべての野の獣に名をつけた。しかし、アダムには、ふさわしい助け手が見つからなかった。**

21**,神である主は、深い眠りを人に下された。それで、人は眠った。主は彼のあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。**

22**,神である主は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた。**

23**,人は言った。「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。男から取られたのだから。」**

24**,それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。**

25**,そのとき、人とその妻はふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。

 

 結婚という制度は人間が自分たちの都合で定めたものではなく、神が定めたものであるから、結婚を破壊する姦淫の罪は神に対する反逆です。

 

 結婚の目的は、

①神が大地を人間に神の代理としてこれを「耕し、守る」務めを与え、そのために子孫が増えるために結婚制度があります。現代ではソドムやゴモラのように同性婚が取りざたされていますが、同性婚は子どもが生まれる可能性がないのですから、神のみここにに沿っていません。

 

②男女の結婚で、子どもがなかったとしても、神のかたちとして造られた夫と妻の愛の人格的交わりのため。夫婦の愛の交わりはキリストと教会のまじわりと結婚の予型として、御国の完成をあかしする使命があります。その証拠に、御国が完成した日にはめとることもとつぐこともありません。キリストが教会を愛したように夫は妻を愛し、教会がキリストに従うように妻は夫にしたがうのです。

 

③もう一つ、結婚は不品行を防止するための制度でもあります。配偶者の性的な求めに応える必要があります。1コリント7:2-5

 こうした大切な目的のために、神は結婚制度をお定めになったのです。

  

むすび 真実な結婚をわきまえて、主のご栄光をあらわす結婚生活をしましょう。