水草牧師の説教庫

聖書からのメッセージの倉庫です

真の王を迎える時

マタイ2:1-12

 

1 ヘロデ大王の恐怖

 

 砂漠を越え、大川を越えて東からやってきた博士たちは、ユダヤ人の王としてお生まれになった方をさがしてエルサレムにやってきました。彼らが、やってきたのは当然、王宮でした。ところが、この宮殿にメシヤはいませんでした。

 当時、王座を占めていたのはヘロデ大王です。紀元前37年から紀元前4年、イスラエルの王でした。当時イスラエルローマ帝国支配下の属州の一部とされていて、ヘロデ大王は帝国が建てた政権で、ローマ総督と共同で統治したのです。 ヘロデ大王は、イスラエル人でなく、イドマヤ人です。イドマヤ人とはヤコブの兄エサウの子孫たちです。ヤコブからイスラエル民族が出て、エサウからイドマヤ人が出たというわけで、この二つの民族は遠い親戚ですが、近親憎悪といった関係でした。ローマ帝国はそういうイドマヤ家のヘロデを利用して、イスラエルを支配させました。ローマ総督だけで直接統治すれば、ユダヤ人のローマに対する反感が強くなることは目に見えています。イドマヤ人の王であれば、イスラエルの民と一致して独立を企てることもないであろうと見たわけです。ローマ帝国の属州支配は、このように狡猾・巧妙で、近代の大英帝国の植民地支配などのモデルとなりました。

 ヘロデ大王は、自分がユダヤ人たちに憎まれていることをよく知っていましたから、一方では巨大な神殿というを造ってやって彼らのご機嫌をとりつつ自分の力を誇示しました。そして、強権的な権力者にありがちなことですが、ヘロデ大王はいつ王座を奪われるかということをいつも恐れていました。ヘロデは権力の亡者でした。ヘロデには政略結婚を繰り返して得た10人の妻と15人の子どもがいましたが、そうした妻の中に唯一、本当に愛したのはマリアンメのみでした。ところが、ある日ヘロデはマリアンメに関する中傷を聞くのです。そして、ヘロデはマリアンメを処刑してしまいます。後に、その中傷が嘘であったことを知ったヘロデ大王はたいへん後悔して、マリアンメの二人の遺児を溺愛します。しかし、この二人の王子についても、ある日ヘロデは讒言を聞きます。「二人の王子は王様のいのちと玉座をねらっていらっしゃいます」と。ヘロデは、この二人の実の息子も処刑してしまうのです。そして、その処刑後5日目、ヘロデは国民からも近親からも恐怖の的となり、猜疑心と病の激痛のなかで惨めに死ぬのです。78歳でした。紀元前4年のことです。

 イエス様はこのヘロデ大王の最晩年にベツレヘムにお生まれになりました。ずいぶん危険なとき、危険な場所にイエス様はお生まれになったわけです。

 

2.エルサレムの人々、祭司長・学者たちの恐怖

 

 エルサレムの人々は、東の博士たちがやって来て、イスラエルの王となるべきお方、メシヤがユダヤのどこかで生まれたという知らせを聞いて恐れました。ローマ帝国の圧制にあえぐ民衆にとって、メシヤの到来は本来喜ばしいことですが。それは、ヘロデ大王が血の雨を降らせることになると察したからです。実際、このあとこの地域の2歳以下のいたいけな子どもたちが、剣の犠牲となりました。

 ヘロデ大王は、博士たちからメシヤ到来の知らせを聞いて、そのメシヤはどこに生まれたのかと考え、旧約聖書に精通している専門家、祭司長・学者たちに問い合わせました。神政政治が行われたイスラエルでは、祭司長・学者というのは単なる宗教家ではなく、ユダヤの最高議会サンヒドリンの議員でもありました。当時のイスラエルには三つ政府があって、一つはローマ総督府、一つはヘロデ大王宮廷、もう一つはイスラエルの最高議会でした。

 大王の質問に、彼らはたちどころに答えます。

2:5「ユダヤベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。

 2:6 『ユダの地、ベツレヘム

   あなたはユダを治める者たちの中で、

   決して一番小さくはない。

   わたしの民イスラエルを治める支配者が、

   あなたから出るのだから。』」

 見事な答えです。けれども、この祭司長・学者たちはなぜ、こんなに重大なことをペラペラと答えてしまうのでしょうか? 不思議ではありませんか? 無論、彼らは、ヘロデ大王がが生まれたばかりのメシヤを殺してしまおうと考えていたことを知っていました。それなのに、預言者ミカの預言を引用して、「それはユダヤベツレヘムです」と答えてしまいました。 メシヤを待望している人であれば、そのメシヤをとり殺そうとしているヘロデ大王に、むざむざメシヤ誕生の地を告げるでしょうか? 祭司長・学者たちは旧約聖書によって、神がメシヤを遣わしてくださることを知っており、また、民に教えてもいた教師たちです。それなのになぜでしょう?

 リチャード・ボウカムというすぐれた聖書学者が書いた『イエス入門』という本に、次のようにあります。「帝国はなによりもローマ人と彼らを支える属州のエリートたちの繁栄のために存在していた。ローマはたいてい地方のエリート支配者たちと共同で属州を統治した。したがって、ローマがユダヤ地方で大祭司とその議会の協力を求めたのは自然ななりゆきだった。」(p39) ヘロデ大王と祭司長・学者たちはボウカムのいう「地方のエリート支配者階級」でした。ローマ帝国政府は、彼らを利用し共同でイスラエルを統治したのです。だから、彼らはイスラエル国民でなく、むしろローマ帝国政府の顔色をうかがいながら、イスラエルを治めたのです。

 (戦後の日本でいえば、GHQ~ワシントンが総督府にあたり、ヘロデ大王と最高議会は天皇自民党政府・官僚にあたります。戦後、岸信介は米国から莫大な資金を得て、自民党を立ち上げたという事実があります。沖縄県民は辺野古基地建設に反対の意志を示していますが、自民党政府官僚は米軍の意向を優先しているのは、そういう構造です。)

 イスラエルの庶民はローマ帝国の重税に苦しんでいて、熱烈にメシヤを待望していました。けれども、けれどもエリートである祭司長や学者たちは、メシヤに来てもらっては困るのです。メシヤが来て、体制がひっくり返ったら、自分たちの特権が失われるからです。彼らは宗教的政治的な権威をもつ者として律法を民に教え、メシヤの約束も教えていましたが、実際にメシヤが来ると、保身のためにメシヤを抹殺してしまおうとしたのです。彼らもヘロデ大王と同じです。要するに、保身のために、彼らはキリスト、メシヤの到来を喜ばなかったのです。

 

3 東方の博士たちの喜び

 

☆キリストを見出した喜び

 さて、一方、東方の博士たちです。「東方」というのは、イラクペルシャ、インド、そしてもしかしたら中国といった文明圏を意味しているのでしょう。いずれにせよ異邦人たちです。皮肉なことですが、神の民を自負する祭司長・律法学者はメシヤを礼拝には行かず、かえって大王に殺させようとし、神の民でない異邦人がメシヤを礼拝に行ったのでした。イエス様は世界のあらゆる民族の救い主として来られたのです。

なぜ東方の博士たちはメシヤ、ユダヤ人の王の誕生を知ったのでしょうか。おそらくは、当時、ヘレニズム世界はインドの北にまで広がっていて、ユダヤ人たちは捕囚の目に遭ってあちこちに散らされ旧約聖書が広がっていましたから、聖書の預言と星の出現からメシヤの誕生を知ったのではないかと思います。

 2:1 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。

 2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

 彼らは旧約の預言を研究していたのでしょうし、不思議な星にも導かれたのですが、エルサレムの学者たちほどの聖書の専門家ではありません。そこで、メシヤの生まれた場所を特定するまでの知識がありませんでしたから質問をしたのです。そうしたら、ベツレヘムであるという答えを得ました。エルサレムの南に10キロメートルほどのところにある町です。

 博士たちにはヘロデ大王の意図はわからなかったので、星の出現の時間を聞きだされてしまいます。その答えを聞いてヘロデは、メシヤは二歳ほどになっている可能性もあると考えたようです。そして心にもないことを言いました。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」

 博士たちはベツレヘムを目指して出かけました。東方で見たあの超自然的な星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、なんの変哲もない小さな家の上にとどまったのでした。

 2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。

 博士たちの喜びは、メシヤ到来を恐れていたヘロデ大王や祭司長・学者たちと対照的です。彼らは保身も損得もなく、ひたすら真の王にお目にかかりたかったのです。当時の旅は命がけです。家族にも別れを告げ、博士たちはキリストをさがし求めて砂漠を越える旅をしてきて、ついにメシヤがいるベツレヘムのひとつの家の前に来ました。博士たちはこの上もない喜びに満たされたのでした。キリストに会えるという喜びと感謝に、彼らは喜び踊ったのです。

 

  • キリストにひれ伏す喜び

博士たちは、扉をたたき家に入れてもらい、母マリヤとともにいる幼子を見て、そこにひれ伏し礼拝をささげました。さまざまな危険を乗り越えて、ようやく出会うことのできたイエス・キリスト様でしたから、感激はひとしおでした。ひれ伏した彼らの目からポタポタと涙が落ちて床をぬらしました。そうして、それぞれに用意して来た宝物をイエス様のまえにささげひれ伏したのです。

 2:11 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。

  黄金は貴金属の王なので、王なるキリストにふさわしいささげもの、乳香は大祭司が用いた者、そして没薬は癒し主にふさわしいものと言われます。いずれも高価なものでした。ささげる喜びをここで知ることになったのでした

 今日もみことばのうちにご臨在くださるイエス・キリスト様との出会いを経験するとき、私たちは東の博士たちのように、喜びと感謝から自らをささげないではいられないのですね。キリストと出会って新しいいのちを得たならば、私たちは内側から感謝と喜びがあふれて、自分を主にささげないではいられないものとなるのです。

 

結び

エス様は王として私たちの人生を訪れます。ここで人は二つに分かれます。片方はヘロデ大王や祭司長学者のように、保身のために、恐れて拒否するのか、欲も得もなくただ真の王を真剣に探し求めて礼拝して、この上ない喜びを経験するかです。

 

エス様をお迎えするにはあなたの人生の王座をイエス様に明け渡さなければなりませんヘロデ大王はそれを恐れました。祭司長学者たちもそれを恐れました。そして、イエスを抹殺しようとしました。あなたが、イエスを迎えるならあなたはもはやあなたの人生の王であり続けることはできません。あなたの人生は、あなたのためのものではなく、王なるキリストのご栄光をあらわすためのものです。あなたの仕事も家庭も趣味も、王なるキリストにお委ねするのです。栄光の舞台とするのです。

 

また、イエスをあなたの王として迎えようとすれば、とりあえずの平和、偽りの安定を放棄する必要があることもあります。イエス様は、ある時、ご自分に従って来ようとする人々に向かって、「わたしが平和をもたらすために来たと思ってはいけない。わたしは火のなかに剣を投げ込むために来たのです」と仰いました。キリストにある本物の平安を得るために、ひとたびは家族や親族との軋轢も覚悟しなければならないということもあるのです。

 

 東の博士たちは、欲も得もなく、ひたすらにまことの王なるキリストの誕生を祝うために長い旅をしました。そして、出会うと王なるイエス様にひれ伏して、この上もない喜びを経験したのです。

この喜びは、イエス様を、心の王座、人生の王座に迎える人にだけ、与えられるものです。