水草牧師の説教庫

聖書からのメッセージの倉庫です

唯一の神 (十戒序文と第一戒)

出エジプト20章1-3節

 

1**,それから神は次のすべてのことばを告げられた。**

2**,「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。**

3**,あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。**

 

 

1 区切りなど

 

 エジプトで奴隷、また異民族として弾圧されていたイスラエルの民は、指導者モーセにホレブ山の麓に導かれてきました。そして、主はモーセをホレブ山の頂に呼んで、そこで律法をお与えになりました。その要約にあたるものが十戒で、出エジプト記20章2節から17節です。

 

区切りについて

まず、どこで十に区切られるのかをまずお話しておきます。

 

序文 2**,「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。

 第一戒 3**,あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。**

 第二戒 4**,あなたは自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。5**,それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたみの神。わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、6**,わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。**

 第三戒 7**,あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。主は、主の名をみだりに口にする者を罰せずにはおかない。**

 第四戒 8**,安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。9**,六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。**10**,七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。**11**,それは主が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。

 第五戒 12**,あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。

 第六戒 13**,殺してはならない。

 第七戒 14**,姦淫してはならない。

 第八戒 15**,盗んではならない。

 第九戒 16**,あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。

 第十戒 17**,あなたの隣人の家を欲してはならない。あなたの隣人の妻、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを欲してはならない。」

 

 第一から第四の戒めは、神様に対する愛に背くもろもろの罪を戒めています。そして、後半第五から第十の戒めは、隣人に対する愛に背くさまざまな罪を戒めています。十戒はどちらかといえば、消極的な積極的に言いかえればば、全身全霊をもって神を愛しなさいということと、隣人を自分自身のように愛しなさいということが十戒の内容なのです。

 自動車が安全に走るためには、アクセルとブレーキが必要です。神様を愛しなさい、隣人を愛しなさいというのがアクセルだとしたら、十戒に表現されたさまざまな戒めは神様を愛し隣人を愛するということを具体化した場合のブレーキにあたります。ブレーキの壊れた自動車に乗りたい人はいないでしょう。アクセルと共にブレーキはとても大切なのです。

 

 十戒以降啓示されるさまざまな律法は、内容から三つに分類されます。一つは社会的律法で、これは古代イスラエル社会におけるさまざまな法律なので、そのまま現代に適用できるものではありません。第二は祭儀律法で、旧約時代に独特のいけにえの律法です。これは、新約の時代にはイエス様の十字架によってすべて成就しましたから、今日では適用すべきものではありません。そして、第三は道徳的律法です。これは、十戒に関しては安息日が七日目から第一日目に移されるという変化はあるものの、基本的にどの時代にもどの地域にも適用されるものです。

 本日は、序文と第一戒を学びます。

 

2 序文 「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。

 

(1)神の民

 十戒を理解する上で、まずとても大事なのは、この序文です。2つのことが教えられています。一つ目は、神とこれを聞いている民との関係です。神様は、「わたしは、あなたの神、主である」と自己紹介なさっています。

 神様の人間に対する契約は、創世記1章から黙示録の最後の章まで一貫する主題があります。「わたしはあなたの神となり、あなたはわたしの民となる」というのが、その主題です。人間は、アダムにあって堕落してしまって以来、糸の切れた凧のようになって、創造主であるまことの神さまから離れて飛んで行ってしまいました。あるいは、お父さんのもとから飛び出して、まるでみなしごのようになってしまいました。所属不明のものとなってしまったのです。以来、人間とはいったい何者なのか?ということがわからなくなりました。少しものを考える人は、「自分はいったいどこから来て、どこへ行くものなのだろう?」と悩むようになりました。

 そういう所属不明になってしまった人間に、「わたしはあなたの神、主だよ」、「あなたはわたしの民だよ」と神様がおっしゃるのです。「あなたはもうみなしごではない。あなたはわたしのものだ。私の作品だ。わたしのしもべだ。」と神様はおっしゃるのです。

 (2)救いと律法の順序

 もう一つ大事なことは救いと律法の関係、順番です。これは何度か申し上げましたが、大事なことなので、もう一度説明します。神様は、まずイスラエルをエジプトから救い出して、それから、彼らに律法をお与えになりました。彼らが、エジプトにいる間に律法を与えて、「これらの律法を守ったらエジプトから救ってやろう」とおっしゃったのではありません。彼らの先祖アブラハムに対して結んだ契約に約束したことなので、まずは救い出してやり、「救い出してやったから、これからこの十戒を守って生きていくのだよ。これが正しく、幸せな生き方なのだから」とおっしゃるのです。 

 まず、罪の奴隷の世界から恵みによって救い出してくださり、その後、このように生きるのだとおっしゃるのが、聖書のいう順番なのです。これは新約時代においても同じです。イエス様の例え話でも、放蕩息子は父親に背を向けて家を飛び出し、湯水のように財産を使い果たしてさんざん悪いことをして生活をしてから、我に返ってお父さんのもとに戻ってきました。その時、お父さんは「どの面を下げて帰って来た。立派に更正したという証拠を見せたら、家に入っていいぞ」とは言いませんでした。お父さんは、乞食のようななりをした息子がとぼとぼ帰ってくるのを遠くから見つけると、バーッと駆け寄って、彼を抱きしめて接吻し、その指に息子の印としての指輪をはめたとあります。まず、恵みによって迎えてくださるというのが、神様の救いです。迎えてくれて、愛する息子としての記しを与えて、それから「あなたを光の子にした。光の子なのだから、これからは光の子らしく歩め」とおっしゃるのです。

 

(3)あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。

 

 さて、第一の戒めは、「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。」です。第二の戒め「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。」はまことの神を礼拝するにあたって偶像を用いてはいけないという意味ですが、第一の戒めは、偽りの神々を拝んではいけないという意味です。イスラエルの民は、エジプトにいたとき、さまざまな偽りの神々に囲まれて生活をしていました。エジプトでは、ナイル川は神、山犬も神、コブラも神、カエルも神、牛も神、太陽も神、そしてファラオも神・・・・となんでもかんでも神々として拝まれていました。多神教の世界です。

 けれども、まことの神はただ一人、天地万物を創造したおかたです。他の者はみな被造物にすぎません。ナイル川も、山犬も、コブラもカエルも、牛も、太陽も、ファラオもみな神が作ったもの、被造物にすぎません。だから、これらを礼拝してはいけないということです。日本でいえば、天照大神(太陽)とか、人間を神格化した諸宗教とか、その他もろもろの被造物崇拝は決してしてはいけません。

 真の神は唯一の神の創造主であり、それ以外のありとあらゆるものは被造物です。礼拝すべきお方は、創造主である真の神だけです。神さまを神様とすること、それが礼拝をすることです。あらゆる罪の中で、真の神だけを神としないことが根本的な罪です。このことはどのように説明できるでしょう?
 一つには、聖書では神を私たちの関係をお父さんと息子の関係に譬えます。お父さんと息子がいて、息子が父親に「わたしは、あなただけをお父さんとは認めませんよ。隣の人も、あちらの人もお父さんです」というようなものです。こんなに失礼なことばはありません。唯一の神だけを、神として礼拝しなければ、それは大きな罪です。

 また、聖書においては、神と神の民との関係は、夫と妻との関係にも譬えられます。妻が「私はあなただけでなく、あの人にも、この人にも、身を任せます」と言ったら、とんでもないことでしょう。旧約時代ならば死刑です。そのように、キリスト者である私たちは、決して他の神仏に心を寄せたり、拝んだりしてはならないのです。

 

「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。」神はねたむような、情熱的な愛で、あなたを愛しています。