水草牧師の説教庫

聖書からのメッセージの倉庫です

わがたましいよ 主をほめたたえよ

詩篇103篇 

序 

1**,わがたましいよ主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ聖なる御名をほめたたえよ。**

 河兄の祈りにありましたように、私たちは日常の祈りの中で、自分の願い事を並べ立ててばかりいることが多いものではないでしょうか。「誰それさんの病気を治してください。」「何々が必要です。」「良い就職口を与えてください。」・・・

 神さまに願い事をすることは良いことです。神様になんの願い事もしないのは、神様が死んだ神だと思っているか、自分の力で生きていると思い上がっているかだからですから。もし子どもが親から「何かほしいものはないの?」と聞かれて「ぼくは、お父さんにはなにも期待していません。」と答えたら、親はどれほど悲しいでしょう。親が子供が何もおねだりをしないでいると物足りないように、神様も私たちが何もお願いしないでいると、物足りないのです。

 けれども、「願い事しかしない」というのは問題です。神様を自動販売機のように思っているみたいです。実家に手紙をよこすときは、「金頼む」の一言しかない学生みたいなものです。詩篇103篇は、感謝と賛美の詩篇です。

 

1 主の良くしてくださったことのゆえに・・・あれこれ感謝から始める

 

 詩人はまず、「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」と具体的に主がしてくださったことを思い出し、数え上げることから始めよ、と自分の魂に命じます。私は何度もみなさんにお勧めしますが、夜床に着いたら、両手を出して、十個、今日、神様がくださった恵みを数え上げましょう。

 詩人は、こんなふうに思い出しました。

2**,わがたましいよ主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。**

3**,主はあなたのすべての咎を赦しあなたのすべての病を癒やし**

4**,あなたのいのちを穴から贖われる。主はあなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ**

5**,あなたの一生を良いもので満ち足らせる。あなたの若さは鷲のように新しくなる。

 

 まず、健康が守られた、とか、仕事が順調だったとかいうことではなく、いの一番に「咎をゆるし」が一番目に来るところ、さすが神を恐れる詩人です。神様の前に罪咎をゆるされたということこそ、罪ある人間にとって一番ありがたいことです。罪がゆるされなくては、神様との交わりは回復せず、胸の内はうずき続けて不安であり続けなければなりません。イエス様の十字架の血潮のゆえに、復活のゆえに、私の罪は赦された!という根本的な事実が、私たちにとってなによりもありがたいことです。究極的には、神の前に罪をゆるされているならば、いつ、お迎えがきても安心ですからね。

 すべての咎のゆるしに続くのは、病をいやすこと、いのちを墓穴から贖うこと、若々しくすることです。おしゃかさんが言った老病死という人間がだれしも経験する苦しみのリストでもあります。おしゃかさんは老病死は、生まれてきた以上必然だから諦めなさいと教えましたが、神様はそうではないのです。もちろん私たちも老病死を経験しますが、あきらめるのでなく、主に癒しと、若々しさと、死からの救いを積極的に願えばいいのです。恵みとあわれみで私たちを扱ってくださいます。・・・それでも年取って病気になってやがて死にますが、それはイエス様のみもとというもっと素晴らしい家に引っ越すことであり、かつ、究極的には三位一体の神が住まわれる新しい天と地への復活の約束が与えられているのがクリスチャンの素晴らしい人生です。

 

2 主の正義とあわれみのゆえに・・・主のあわれみ深い摂理を振り返って

 

 詩人ダビデは、続いて、イスラエルの歴史における神様の摂理、導きを振り返ります

 6**,主は義とさばきをすべての虐げられている人々のために行われる。**

7**,主はご自分の道をモーセにそのみわざをイスラエルの子らに知らされた方。

 

 詩人はイスラエルの歴史の原点ともいうべきエジプト脱出の出来事を思い起こすのです。ふえすぎたイスラエルの民の力を削ぐために、生まれてきた男子を皆殺し、ジェノサイドを企てるエジプト王。この王の奴隷として虐げられていたイスラエルの民を、主は先祖アブラハムと結ばれた契約に対する御自身の真実にかけて解放してくださいました。紀元前14世紀のことです。主はその正義とさばきの御手を動かして、世界最強の権力者ファラオの魔手から彼らを解放してくださったのです。

 しかし、エジプト脱出後、荒野でのイスラエルの歩みは神様に対する不平と不信に満ちていました。水がないと言っては、モーセと主を非難して、岩から水を出してもらいました。腹が減ると「エジプトですき焼き食べていたほうがよかった」とわめきちらすと、神は完全栄養食品マナを降らせてくださいました。しかし、しばらくすると、もうマナは飽き飽きだと不平を鳴らしました。そして、モーセがホレブ山に律法を受け取りにいったまましばらく戻らないと、なんと彼らは金の子牛の偶像を拝むことさえしたのです。

 なんという忘恩の民。主はついに怒りを燃やされて、ひとたびはこの頑ななイスラエルの民を荒野で滅ぼしてしまうとさえおっしゃいました。しかし、モーセのとりなしの言葉を受けて、主は彼らを赦してくださいました。主は、正義とさばきの神ですが、憐れみと情けに満ちたお方でもあります。詩人の思いは過去のイスラエルのことから、「私たち」への主のお取り扱いに移って次のように歌います。

8**,主はあわれみ深く情け深い。怒るのに遅く恵み豊かである。**

9**,主はいつまでも争ってはおられない。とこしえに怒ってはおられない。**

10**,私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず私たちの咎にしたがって私たちに報いをされることもない。**

 

 主は実に憐れみ深く、情け深く、怒るのにおそく、恵み豊かなお方でした。忘恩のイスラエルを忍耐に忍耐を重ねて約束の地まで導いてくださいました。

 

3 主の恵みのもとに生きる

 

 私たち自身もまた日々、こころの思いと、ことばと、行いにおいて罪ある者です。もし私たちの罪にしたがって私たちを扱われるならば、私たちもまた、とおの昔に滅ぼされてしまったでしょう。しかし、正義の神は同時にあわれみ深いお方なのでした。そうして、主を恐れる者を哀れんでくださいます。私たちの罪を、キリストの贖いのゆえに忘れてくださるのです。

 11**,天が地上はるかに高いように御恵みは主を恐れる者の上に大きい。**

12**,東が西から遠く離れているように主は私たちの背きの罪を私たちから遠く離される。**

13**,父がその子をあわれむように主はご自分を恐れる者をあわれまれる。**

 

主なる神様は、私たちがどれほどもろく壊れやすい者かということをよくご存知です。また、正しく生きようと願っていても、どれほどサタンの誘惑に対して弱いものであるあかをご存知です。所詮、人は土から造られたちりです。

 14**,主は私たちの成り立ちを知り私たちが土のちりにすぎないことを心に留めてくださる。**

15**,人その一生は草のよう。人は咲く。野の花のように。**

16**,風がそこを過ぎるとそれはもはやない。その場所さえもそれを知らない。

  人をヘブライ語でアダムといいます。アダムとは土アーダマーからできた名です。私たちはまことに塵にすぎません。水分60%、たんぱく質18%、脂肪18%、鉱物質3.5%、炭水化物0.5%です。死んで焼かれてしまえば、文字どおり火葬場ではほとんどは二酸化炭素と窒素の煙になり、残りは塵取りにかき集められる存在です。

 しかし、三位一体の神は、物質的にいえば塵にすぎない私たちを第二位格、御子イエスに似た者として造ってくださいました。それゆえに、人は尊い存在です。キリストは人としてこの世にお生まれになり、貧しさも、痛みも、悲しみも、空腹も、経験してくださいました。そして、私たちの罪を一身に背負って、十字架にかかってくださいました。三日目にはよみがえって天の御座についている王なるイエス・キリストに信頼し、イエスキリストの契約のうちに生きる者に、恵みをとこしえからとこしえまで、注いでくださるのです。

17**,しかし主の恵みはとこしえからとこしえまで主を恐れる者の上にあり主の義はその子らの子たちに及ぶ。**

18**,主の契約を守る者主の戒めに心を留めて行う者に。

19**,主は天にご自分の王座を堅く立てその王国はすべてを統べ治める。

  

4 主をほめたたえよ・・・・感謝を超えて主をほめたたえる

 

 主は、キリストにある契約のゆえに私たちの咎を赦してくださいました。また、主は私たちの病を癒し、私たちを永遠の滅びから救ってくださいました。 主は正義と公正をおこなわれる神です。そして、わたしたち主を恐れて、その契約のうちに生きる者には、格別のあわれみを注いで、その人生に恵みを注いでくださるお方です。

これらの恵みを数え上げて感謝しました。感謝というのは、自分にとって益があったから主に申し上げることですが、それでは不十分です。ただ主が主であるがゆえに、主をたたえてこそ賛美です。願いから始まり、感謝をとおり抜けて、ついに賛美にまで到達したいものです。詩人は、地上からの讃美だけでは十分ではないとばかり、天使にもさあ、いっしょに主を褒め称えようと呼びかけるのです。

20**,主をほめたたえよ主の御使いたちよ。みことばの声に聞き従いみことばを行う力ある勇士たちよ。**

21**,主をほめたたえよ主のすべての軍勢よ。主のみこころを行い主に仕える者たちよ。

 

そして、あらゆる被造物に詩人は呼びかけます。神の作品として、人間や天使ばかりでなく、牛も馬も羊も犬も、象もライオンも、巨木も海の魚たちも、ミミズもオケラも、みな主をほめたたえよ、と呼びかけるのです。主は全被造物の贖いを約束していてくださいます。

 22**,主をほめたたえよすべて造られたものたちよ。主が治められるすべてのところで。

 

そして、結論として、もう一度詩人は叫びます。

「わがたましいよ主をほめたたえよ。」

 

  今日は詩篇歌103篇をもって主に感謝し、主を賛美しましょう。