水草牧師の説教庫

聖書からのメッセージの倉庫です

神のご計画とその実現

Ex3:15-22

2019年2月10日 苫小牧夕礼拝

 

3:15 神はさらにモーセに仰せられた。「イスラエル人に言え。

  あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、【主】が、私をあなたがたのところに遣わされた、と言え。

  これが永遠にわたしの名、これが代々にわたってわたしの呼び名である。

 3:16 行って、イスラエルの長老たちを集めて、彼らに言え。

  あなたがたの父祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神、【主】が、私に現れて仰せられた。『わたしはあなたがたのこと、またエジプトであなたがたがどういうしうちを受けているかを確かに心に留めた。

 3:17 それで、わたしはあなたがたをエジプトでの悩みから救い出し、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の地、乳と蜜の流れる地へ上らせると言ったのである。』

 3:18 彼らはあなたの声に聞き従おう。あなたはイスラエルの長老たちといっしょにエジプトの王のところに行き、彼に『ヘブル人の神、【主】が私たちとお会いになりました。どうか今、私たちに荒野へ三日の道のりの旅をさせ、私たちの神、【主】にいけにえをささげさせてください』と言え。

 3:19 しかし、エジプトの王は強いられなければ、あなたがたを行かせないのを、わたしはよく知っている。

 3:20 わたしはこの手を伸ばし、エジプトのただ中で行うあらゆる不思議で、エジプトを打とう。こうしたあとで、彼はあなたがたを去らせよう。

 3:21 わたしは、エジプトがこの民に好意を持つようにする。あなたがたは出て行くとき、何も持たずに出て行ってはならない。

 3:22 女はみな、隣の女、自分の家に宿っている女に銀の飾り、金の飾り、それに着物を求め、あなたがたはそれを自分の息子や娘の身に着けなければならない。あなたがたは、エジプトからはぎ取らなければならない。」

 

 

1 約束のものを手に入れるために

 

 神様はモーセに対する使命をここできちんと話されます。16、17節。

 3:16 行って、イスラエルの長老たちを集めて、彼らに言え。

  あなたがたの父祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神、【主】が、私に現れて仰せられた。『わたしはあなたがたのこと、またエジプトであなたがたがどういうしうちを受けているかを確かに心に留めた。

 3:17 それで、わたしはあなたがたをエジプトでの悩みから救い出し、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の地、乳と蜜の流れる地へ上らせると言ったのである。』

  次に、エジプトの王パロのもとに行って告げるべきメッセージを話されます。18節。

3:18 彼らはあなたの声に聞き従おう。あなたはイスラエルの長老たちといっしょにエジプトの王のところに行き、彼に『ヘブル人の神、【主】が私たちとお会いになりました。どうか今、私たちに荒野へ三日の道のりの旅をさせ、私たちの神、【主】にいけにえをささげさせてください』と言え。

 それだけではなく、エジプトの王との交渉が難航すること、パロが心をかたくなにすること、しかし、それにもかかわらず神様がその力強い御手をもってエジプトを打ち、彼らはついにエジプトを去ることができるという見通しというか、約束をモーセにお与えになるのです。

 3:19 しかし、エジプトの王は強いられなければ、あなたがたを行かせないのを、わたしはよく知っている。

 3:20 わたしはこの手を伸ばし、エジプトのただ中で行うあらゆる不思議で、エジプトを打とう。こうしたあとで、彼はあなたがたを去らせよう。

  このあと、主のお言葉通りにモーセがしたがい、パロとの交渉が始まりますが、途中で何度もモーセは挫折しそうになったり、イスラエル人たちが不平を言ったりしますが、結局は,神様のおことばどおりにことは成っていくわけです。

 へブル書10:36「あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは、(       )です。」というみことばがあります。(      )にはどういう言葉がはいるでしょうか?・・・・・・・答えは忍耐です。

 神様は約束をくださる。その約束に到達するためには、神のみこころを行なわなければなりません。その向こうに約束の成就があります。そこに到達するまでに、さまざまな試練があるでしょう。挫折もあるかもしれない。しかし、約束のものを手に入れるまでには、忍耐が必要です。

 私は1958年生まれなのですが、この年、世界的な発明がなされました。それはチキンラーメンです。世界初の即席ラーメンです。お湯をかけ2分待てば、ラーメンが食べられるのです。これを発明した安藤百福さんは本当に偉い、忍耐の人ですが、チキンラーメンは現代の人間中心の急ぎ足の文明の象徴のように思えます。機械文明は人間の都合、会社の都合にしたがって、ベルトコンベアを早回しすることによって、待たないですむようになっています。

 けれども、いのちあるものの成長に必須なのは忍耐ではないでしょうか。野菜やお米を作ればわかることです。子供を育てればわかることです。そこには、なすべきことをなし、時を忍耐、待つことが必要です。おぎゃあと生まれてお湯をかけて2分待ったら成人式というわけには決して行きません。

 同様に、忍耐ということ。待つということは、神様が私たちの神のしもべ、神の子どもとしてのいのちが成長のために必須であるということを聖書は教えているのではないでしょうか。私たちの霊的な成長のためにも、忍耐が必要です。

 

2 文化と福音

 

 21節、22節に興味深いことが書かれています。本日の二つ目のメッセージです。

3:21 わたしは、エジプトがこの民に好意を持つようにする。あなたがたは出て行くとき、何も持たずに出て行ってはならない。

 3:22 女はみな、隣の女、自分の家に宿っている女に銀の飾り、金の飾り、それに着物を求め、あなたがたはそれを自分の息子や娘の身に着けなければならない。あなたがたは、エジプトからはぎ取らなければならない。」

  パロはイスラエルの民を迫害します。しかし、エジプトの民は彼らに好意を持つようになります。そうして、はなむけとしていろいろな飾りをくれるのです。出エジプト11:2,3

 この飾りは何に用いられるのでしょうか。まず、彼らはモーセが山に登っている間に不安になって、これでアロンに金の子牛の像を作らせてこれを拝んでたいへん大きな罪を犯しました。出るエジプト32:1-4

しかし、その後,神様の怒りを受けたあと、許されて,今度は神様の幕屋の調度品を造るためにみんな溶かしての材料とされたのです。35:20-21

 

 このことは私たちに文化についてたいせつなことを教えています。私たちは異教の文化のなかに生きています。その文化をむげに否定してしまうことはない。けれども、それをもとの形のまま安易に受け容れて妥協すると異教化してしまって、金の子牛事件のように偶像崇拝の罪に陥る。混合宗教、シンクレティズムです。

 そうではなく、それらをとり入れ、完全に溶かしてしまって、キリストの福音の鋳型に流し込み、神様の御心にかなう文化を作り上げるということがもう一つの道です。恐らくクリスマスは、そうした成功例でしょう。イエス様の誕生の時、羊飼いたちが荒野で羊を飼っていました。それはおそらく5月か6月であったことを意味しています。では、教会はキリスト降誕の記念を12月25日としています。それはヨーロッパ世界に福音が広がっていったときに、ケルト人やゲルマン人が行っていた冬至の祭りを換骨奪胎したものだと言われています。暗く長い夜が、この日を境に短くなり、日の光が日々強くなっていくことと、暗闇のこの世にいのち光、義の太陽であるキリストが来られたことを重ねて、当時の祭りに伴っていた異教的習俗をすっかり中身を取り去ってしまって、キリストの祭りとしたのでした。

 すでに行われている日本の教会の実践例は、1月1日の元旦礼拝、11月の子ども祝福式でしょう。ほかにも可能性があることでしょう。