勇敢な女たち(考古学シリーズ3)
出エジプト1:22-2:10
2018年8月19日 苫小牧福音教会
本日は、旧約聖書という書物が、どれほど歴史に根差した、不思議な神様のおことばであるかということをまず学びます。神が展開される歴史の中で、人はどのように用いられていくのでしょうか。私たちもまた、同じ神様にこの世でいのちを与えられた者として、どのように生きていくのでしょうか。
1 歴史的背景
聖書を開いたことがない人でも、モーセの十戒という名前は聞いたことがあるでしょう。紀元前15世紀、イスラエル人たちはエジプトで奴隷として苦しめられていましたが、彼らをエジプトの縄目から救い出し、約束の地に連れて行った指導者がモーセです。また、モーセが旧約聖書の主要部分モーセ五書を記しました。本日の箇所は、そのモーセの誕生に関する記事です。
時代背景を簡単に復習します。ヤコブの一族は、エジプトで総理大臣となったヨセフを頼ってエジプトにくだりました。移住の当時、エジプト王国はヒクソス朝というセム民族による侵略王朝でしたから、ヤコブの一族は、エジプトで厚遇されました。しかし、やがてヒクソス王朝は倒されて、エジプト人たちによる新王国時代が始まります。これが、1章8節で「さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。」と書かれていることの意味です。
異民族セム人の王朝を倒して成立した新王国(1570-1070BC)の王たちは、当然、民族主義的で、前王朝ゆかりのイスラエル民族を弾圧するようになります。それでも、イスラエル人がどんどん人口が増えるので、王は不安になり、出エジプト記1章の王は生まれた男児を皆殺しにしようとさえ考えて、ナイル川に捨てよと命令をくだしました。
この残忍な王が誰であったかについて、学者はトトメス3世とラメセス2世で意見は割れていますが、私はいろいろな状況証拠からトトメス3世だったと考えています。このトトメス3世は「古代エジプトのナポレオン」と呼ばれる人で、対外的には侵略戦争を17回もして、北はユーフラテス川の上流域、シリア、パレスチナ、南はエチオピアまで支配下に収め、国内においては異民族であるイスラエルを弾圧したのでした。ジェノザイド、民族浄化政策です。
しかし、このような暴君の時代にも勇気ある人たちがいました。しかも、それは屈強な男ではなくヘブル人の助産婦さんでした。彼女たちは、神がこの世に生まれさせようとするいのちを産ませることこそ自分たちの使命であると認識していました。いのちを奪い取ることは神に背くことであると認識していましたので、王命に背いてまでもヘブル人の赤ん坊を取り上げたのでした。
「また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに言った。そのひとりの名はシフラ、もうひとりの名はプアであった。 彼は言った。「ヘブル人の女に分娩させるとき、産み台の上を見て、もしも男の子なら、それを殺さなければならない。女の子なら、生かしておくのだ。」
しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておいた。そこで、エジプトの王はその助産婦たちを呼び寄せて言った。「なぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか。」
助産婦たちはパロに答えた。「ヘブル人の女はエジプト人の女と違って活力があるので、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」
神はこの助産婦たちによくしてくださった。それで、イスラエルの民はふえ、非常に強くなった。 助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。」(1:15-21)
思い出すのは、「生ましめんかな」という広島の詩人栗原貞子さんの詩です。
こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク1本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ1本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも
神様は女性たちに、男よりも命の尊さを尊ぶ性質を恵んでくださいました。
2.ハトシェプスト・・・パロの娘
さらに、神に用いられた勇敢な女は、権力者の側にもいたことが2章に記録されています。「パロの娘」と呼ばれる女性が登場して、赤ん坊のモーセを助けます。そんなことがありえるのだろうか?おとぎ話みたいだなあと感じる人々も多いかもしれません。しかし、エジプト第18王朝の系図をよく調べると、これには背景があったことがわかります。
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正妃―――――③トトメス1世―――側室
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⑤正妃ハトシェプスト――④トトメス2世―――側室
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正妃―――――⑥トトメス3世
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⑦アメンホテプ2世
当時エジプトでは、正室から生まれた王はアメンホテプを名乗り、側室から生まれた子はトトメスを名乗らねばなりませんでした。側室から生まれた男児は、正妃から生まれた血統証付の皇女と結婚することで、王となれるのでしたから、嫁さんに対して頭が上がりません。
また、古代エジプトでは王は男子がなるものと決められていました。ところが、トトメス1世は正妃からは娘ハトシェプストが生まれましたが、側室から男子を得ました。そこで生まれた男子は血統賞付きの異母姉ハトシェプストと結婚してトトメス2世となりました。
ところが、トトメス2世も正妃ハトシェプストとの間には男子をなせず、側室との間に男子を得ました。これが後のトトメス3世です。彼は実母を早く失い、ハトシェプストが継母となります。しかし、父トトメス2世も息子3世が6歳のときに死んでしまいます。父トトメス2世は息子が王となるようにと遺言して死んだのですが、6歳で政治をとれないので、ハトシェプストが女王として実権を持ち長く国を治めました。彼女は公の場には男装をして臨んだそうです。その間、ハトシェプストは対外的な戦争はひとつも行わない平和外交を展開しました。
他方、トトメス3世が大人になると、継母であるハトシェプストを「目のうえのたんこぶ」のように感じて、深く恨むようになったようです。ハトシェプストのルクソール葬祭宮殿にあった彼女の名とレリーフを削り取られており、また、ハトシェプストの死後、彼女のミイラを王のミイラを安置すべき場所から他に隠してしまい、ずっと行方不明になっていました。
ハトシェプストの写真
ところが、2007年6月に考古学上の大発見がありました。ハトシェプストのミイラが発見されたのです。エジプト新王国第18王朝の王たちのミイラは、きちんと残されてきたのに、実はハトシェプストのミイラだけは所在が分からなくなっていました。それは彼女を恨んだトトメス3世がハトシェプストの葬祭殿の銘文や肖像を削り取ったと同時にしたことです。ところが、2007年になって、それまで名のわからなかったあるミイラがそれであるということがDNA鑑定によって判明しました。彼女は身長165センチ、小太りの50歳くらいの人でした。歯周病、糖尿病、腰骨に達する悪性腫瘍があったそうです。歯周病で抜歯したことで菌が入って、それで亡くなったということまでわかっています。
トトメス3世は、やがて長じると継母ハトシェプストから実権を奪います。そして彼はハトシェプストとは正反対に、対外遠征を在位中に17度も行い、エジプトの勢力をユーフラテス川上流からエチオピア方面にまで拡張しました。そして、国内では異民族イスラエルの民を弾圧しました。前王であり温和な政策をとったハトシェプストがそういうトトメス3世の政策に心を痛めていたことは想像に難くありません。出エジプト記1章後半から2章の出来事には、そういう背景があったと考えられます。
こうしたことを考えると、出エジプト2章に登場する「パロの娘」と呼ばれている女性は、ハトシェプストその人であったと考えるべきでしょう。系図をごらんください。私たちは「パロの娘」という呼び名から、うら若い女性を想像してしまいがちですが、前前王の正妃の娘として王位継承権をもつ正しい血統を受け継いだ女性をさす称号として「パロの娘」と呼ばれていると理解すべきでしょう。側室から生まれたのではなく、唯一の正統的な「パロの御姫様」という意味です。年齢は四十代半ば、王としての実権はトトメス3世に移っていたころに、彼女は赤ん坊のモーセを救出しました。彼女は紀元前1483年に死んでいます。
3 モーセの母と姉と王女
イスラエルに生まれた男児を虐殺させようとして、助産婦に命令したパロでしたが、彼女たちの知恵ある抵抗にあって、あての外れたパロは、今度は、男の赤ん坊はナイル川に捨てよという命令をくだします(1:22)。
こうした危機的な状況のもとで、エジプト脱出の指導者となるモーセは生まれてきたのでした。
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2:1 さて、レビの家のひとりの人がレビ人の娘をめとった。 2:2 女はみごもって、男の子を産んだが、そのかわいいのを見て、三か月の間その子を隠しておいた。 2:3 しかしもう隠しきれなくなったので、パピルス製のかごを手に入れ、それに瀝青と樹脂とを塗って、その子を中に入れ、ナイルの岸の葦の茂みの中に置いた。
2:4 その子の姉が、その子がどうなるかを知ろうとして、遠く離れて立っていたとき、
2:5 パロの娘が水浴びをしようとナイルに降りて来た。彼女の侍女たちはナイルの川辺を歩いていた。彼女は葦の茂みにかごがあるのを見、はしためをやって、それを取って来させた。 2:6 それをあけると、子どもがいた。なんと、それは男の子で、泣いていた。彼女はその子をあわれに思い、「これはきっとヘブル人の子どもです」と言った。
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赤ん坊が産まれたけれど、ナイル川に捨てることができなかった親は、三ヶ月は隠したのですが、泣き声は大きくなってもう隠し切れなくなりました。母親は祈りました。祈るうちにひらめくものがありました。それは、この赤ん坊を、前のやさしいハトシェプスト女王様の手にゆだねてはどうだろうかということです。母は、女王様がいつも水浴びに来られる場所を知っていました。そこで、決して、水が入ってこないように防水処理をした葦のかごに赤ちゃんを入れて、ナイルの川べりの葦の茂みに置くことにしたのです。
そしてどういうことになるかを娘のミリヤムに監視させたのです。見ていると、はたして、先の女王さまハトシェプストがいつもの場所に水浴びに来られました。そして、侍女たちが葦の茂みの中のかごの中から赤ん坊の声を聞きました。かごを開いてみるとかわいい生後三ヶ月ばかりの男の子。ハトシェプストは、かわいそうに思いこれはヘブル人の子どもだと察知しました。自分が育てたトトメス3世のヘブル人に対する民族浄化政策に対して以前からハトシェプストは心痛めていました。ですから、彼女はヘブル人の赤ん坊を救いだし、養子として育てたのです。恐ろしい暴君の命令に背いて、ヘブル人の子どもを救いだし育てることができたのは、彼女はパロの継母であり前王であったからこそのことです。
そして、彼女が赤ん坊を見つけて抱き上げるようすを見ると、隠れて赤ん坊を見守っていた赤ん坊の姉ミリヤムはお母さんに言われていたとおりに飛び出して、言いました。
2:7「あなたに代わって、その子に乳を飲ませるため、私が行って、ヘブル女のうばを呼んでまいりましょうか。」
その様子を見て、王女はすべてを悟って言いました。2:8 「そうしておくれ」。賢明な「王の娘」ハトシェプストはこの赤ん坊がヘブル人の男の子であり、この娘がその姉であり、これから連れて来ようとしている「ヘブル人のうば」というのは、この子たちの母親にちがいないと悟ったのです。悟りましたが口に出さないところが、賢いところです。
こうして赤ん坊の母親が連れて来られました。王女は彼女に養育費まで払って赤ん坊を返してやるのです。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私があなたの賃金を払いましょう。」やがて赤ん坊は大きくなって王女の息子モーセとなって、エジプトの最高の学問を授けられて、遠い将来、エジプト脱出という難事業を成し遂げるために必要な知恵・訓練を授けられることになります。
モーセの母と姉とエジプトの王女が口には出しませんが、お互いの目を見てすべてを理解し合って、このひとつの命を何とかして救い出そうとして協力して、そして成し遂げたのだと解されます。身分も民族もあまりにも違うお互いですが、一人の赤ん坊を助けるためにいのちがけで協働をして、のちに出エジプトの指導者となるモーセの生きる道がそなえられたのでした。すべては神の摂理の御手でなされたことです。しかし、神はその摂理を、勇気ある、そして赤ん坊の命を助けたいという勇気ある女たちを用いて実行なさったのでした。
結び 本日の箇所から三つのポイント
第一に、神は歴史の中に働かれ、御心を遂行してゆかれるお方です。ですから、歴史を探るときに、聖書の語っていることが見えてくることがあります。聖書は、いわゆる宗教書とちがって、歴史の事実を裏づけのあるものなのです。二十世紀になってオリエントの考古学が急速に発達することによって、ますます聖書の確かさ、その意味が明らかにされてきています。聖書に基づくキリスト教は作り話ではなく、あなたに確かに真理を伝える書なのです。
第二に、神様は、後のリーダーモーセを救うために、女性たちをお用いになったことからの教訓です。ヘブル人の産婆さんたち、モーセを生んだ母、その娘、そしてハトシェプスト女王をもちいて、モーセを守り育てられたのでした。女性には、こどもの命を守りたいという「すべていのちあるものの母」(創世記3章20節)という特異な任務が神様から与えられているということを覚えたいと思います。女性は男性にくらべていのちに対する繊細な感覚を与えられています。男と女はそれぞれに賜物の違いがありますから、お互いにそれを尊重して家庭や社会を築いていくことが、神様のみこころにかなったことです。
第三に、神様は、後にエジプト脱出という難事業を行うリーダーとなり、さらに、モーセ五書という偉大な書物を記させるために、モーセを準備なさっていたということです。まず彼の命を救い、次に彼がエジプトの宗教に染まりきってしまわないように、実母のもとで育てられるようにと配慮されたことでした。さらに、彼はエジプトの宮廷で、当時、世界一の教育を受けることになったことです。モーセは文学も政治学も法律学も軍事学も学ぶことになりました。だからこそ、モーセ五書という巨大な書物を書くことができました。
このように、神様は広い視野、長い計画をもって、用意周到にモーセの準備をされたのでした。こうした神の支配、導きを摂理とか配剤といいます。
私たちは小さな者ですが、神様の愛を受けて、神様の配剤の下に生かされているものです。そのことをおぼえて、謙虚に、しかし、勇気をもって主のみこころをこの地上でなしてまいりましょう。