Miz牧師の説教庫

聖書からのメッセージの倉庫です

字のない本

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ヨハネ3章16節伝道説教

 

 「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信ずる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ヨハネ3章16節

 

「字のない本」は、色で聖書の福音をメッセージにした本です。金色、黒色、赤色、白色、緑色の5色からなります。今日は、この字のない本を用いて、聖書の要、聖書の要約と呼ばれるヨハネ福音書3章16節を解き明かしたいと思います。

 

1 金・・・神の国

 

 金は神の国、天国を意味しています。

 

(1)神の国とは

「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて、福音を信じなさい。」といってイエス様は宣教を始められました(マルコ1:15)。イエス様が宣べ伝えた神の国とは何なのでしょうか。

 神の国ということばの「国」というのは「王国」とか「支配」という意味のことばです。国という感じのまんなかには王さまがいるように、神が王であり、そこを支配なさっている領域があれば、そこは神の国であるということです。神様の王としてのみこころが実現しているところ、そこが神の国なのです。

 では、神様のみこころとは何かといえば、人間が「心を尽くし知性を尽くし力を尽くして神を愛し」また、「が隣人を自分自身のように互いに愛しあう」ということです。そういうことが実現した世界が「神の国」です。

 こうした神のご支配はいつ到来するのでしょうか。この点について二つの面を語られました。一つは、「神の国はすでに来ている」ということであり、もう一つは「神の国はいまだ来ていない」ということです。

 

(2)神の国・・・未来のこと

 聖書がいう神の国の一面は、未来のことです。ですから、主の祈りにおいて「御国が来ますように」と私たちは今日もお祈りしました。聖書にはイエス様が再び来られて最後の審判が行われた後、神の国が完全なかたちで到来する時がくると約束が記されています。

  「21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。 21:2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。 21:3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、 21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」黙示録21:1-4

 死も悲しみ叫び苦しみもない国。それは、神がともに住んでくださる国です。これが聖書の言うところの天国です。愛と正義の神様のご支配が完璧に及んでいますから、人の心も動物たちの心も、細菌やウィルスにいたるまで清くされて、そこには死も悲しみ叫び苦しみもないのです。

 

(3)神の国・・・すでに ルカ17:20-21

 ですが、今日ニュースなどを見て、戦争や家庭不和や社会問題の満ちているこの世界には、そんな素晴らしい「神の国」はないなあとがっかりしてしまいそうです。けれども、イエス様は、神の国についてもう一つのことをおっしゃいました。

「17:20 さて、神の国はいつ来るのか、と・・・尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。 17:21 『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」(ルカ17:20-21)

 「あなたがたが神とともに生きる人生を生きているならば、すでにそこに、神の国はあるんだよ。」ということです。「心を尽くし知性を尽くし力を尽くして神を愛し」「隣人を自分自身のように愛する」ことを人生の根本原理として、日々努めている人々の交わりのただなかには、すでに来るべき神の国は来ているのです。今の世を生きていれば、確かにいろんな問題があります。自分自身が問題でもあります。しかし、イエス様を信じて従う者たちはこの世にあっても、すでに神の国の前味を経験して生きることができます。

 私たちは確かに不完全ですし、欠点も弱さもあるものです。けれども、それでもイエス様の愛と正義のみこころを行いたいと願い、お互いを思いやって、祈りあい、支えあっていきるとき、そこに「神の国」はすでに来ているのです。

 

「悲しみ尽きざる浮世にありても 日々主と歩めば御国の心地す

 ハレルヤ 罪とが 消されし わが身は いずくにありても

 御国の心地す」

 

 そして、イエス様を信じて、そのみこころを行うために生きている私たちが、それぞれに与えられたこの世の生涯を終わるときには、イエス様が迎えに来てくださいます。その時には、イエス様のみもとに行って、すべての悲しみや苦しみは罪から解放されて、喜び踊ることになります。

 

2 黒・・・闇・・地獄

 

 しかし、この神とともに生きる神の国のすばらしさを見えなくして、味わえなくしてしまうものがあります。次に、黒について説明します。

 

(1)霊的な暗闇・・・神が見えない

 多くの人は、神が生きておられ、自分のことを愛していてくださるということが見えなくなって闇の中をさまよっています。私自身も高校生のときには「神など存在しないのではないか」と思っていました。そして、自分は何のために生きているのかがわからず、人生むなしいなあと感じていました。

 しかし、聖書は「神の目に見えない本性、すなわち、神の永遠の力と神性は、世界が造られたときからこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はない」と述べています。創造主である神のことは、その作品である被造物世界を見ればはっきりとわかるというのです。たとえば、モナ・リザという作品を見るならば、レオナルド・ダビンチという画家の卓越した画家としての能力とか精神性といったものがうかがい知られるでしょう。モナ・リザという作品を見て、絵の具がたまたまぶちまけられたらあんなふうに神秘的な女性の絵になっただけだなどという人はいないでしょう。モナリザを見て、「これは偶然できた模様だと思っていた。作者がいるとは思わなかった。」などという弁解がナンセンスであるように、モナ・リザという一枚の絵よりも何億倍も複雑で精密にできて組み合わされて運航しているこの全宇宙と地球の動植物は、偶然できたのだと思い込んでいました」などという弁解はナンセンスです。人も動物も植物もみな創造主の作品です。礼拝すべきなのは、世界を造り、これを支配していてくださる創造主です。

 

(2)罪

 黒があらわすことは、第二に罪です。罪とはなんでしょう?それは創造主の戒めに背くことです。十戒という神の戒めを説明してみます。

第一、まことの神以外の神々を礼拝してはならない。

第二、偶像を造ってはならない、世話をしてはならない、拝んではならない。

第三、まことの神の名をみだりに唱えてはならない。

第四、安息日を憶えてこれを聖なる日とせよ

第五、あなたの父母を敬え

第六、殺してはならない

第七、姦淫してはならない

第八、盗んではならない

第九、嘘をついてはならない

第十、隣人のもの、隣人の妻を欲しがってはならない(人の幸福をねたむな)

 

これらの戒めに、心の中で、言葉で、行動で背いたことが一度でもあるでしょうか。あれば、あなたは神の前に罪人です。そして聖書は「義人はいない一人もいない。善を行う人はいない。一人もいない。」と断言しています。

 

(3)黒が意味することの第三は、地獄です

 聖なる愛に満ちた神とともに生きることは素晴らしいことです。それが神の国ということです。神を愛し隣人を自分自身のように愛して生きるとき、人は本当に生きがいと喜びを感じることができます。それが完全な意味で実現するのは、やがて来る神の国いわゆる天国ですが、先にお話ししたとおり、この世にあっても、これまでの神なき人生から方向転換をして、イエス様を信じるなら、神を愛し隣人を愛して生きる喜びと平安を経験することができる。「神の国はあなたがたのただなかにあるのです」と主イエスは言われました。

 けれども、神の国にふさわしくないものがあります。それは罪です。罪あるままでは、私たちは決して神とともに親しく生きることはできません。死後も天国に入ることはできません。真の神をないがしろにしたり、人を憎んだり、欺いたりした罪をゆるされて清められないならば、この世で神の国の前味をあじわうことはできないし、次の世に行っても神の国には入れません。燃えるゲヘナに落とされてしまいます。

「21:8 しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」黙示録21:8

 実際、今の世にあってもこれらの罪を犯せば、私たちは暗い気持ちになるでしょう。人に憎しみや殺意を抱いたり、偽りを言ったり、不品行なことをしていれば、心は真っ黒になってしまいます。憎しみや怒りや殺意や不道徳からは地獄のにおいが実際にするではありませんか。

 以上のようなわけで、黒が表すのは罪の暗闇と、恐ろしい地獄です。

 

3 赤・・・イエスの十字架の血

 

 では、どうすればいいのでしょう。私たち自身は自分で自分の心をきよくすることができますか。体の表面は石鹸で洗えても、心を清めることができるのは神様だけです。神様は父子聖霊の愛の神です。あなたが、神に背を向けた暗闇の中に独りぼっちでいるのを見て、罪の中に滅びることをお望みになりませんでした。なんとかして助けてやりたいと思ってくださいました。そこで、父は御子イエスをおよそ二千年前にこの世に人間として遣わし、罪をあの十字架の死をもって償ってくださいました。神さまは正義の審判者として、罪に対しては罰を与えねばなりません。その罰を、御子イエスが、あの十字架上で、あなたの身代わりとなって受けてくださったのです。赤は、キリストが十字架で流された血潮を意味しています。

 私は高校3年生の夏にある機会があって、『塩狩峠』という映画を見ました。その映画の中で、雪の降りしきる中、一人の牧師が旭川の街頭に立って、叫んでいました。紹介します。

 

イエス・キリストは、何ひとつ悪いことはなさらなかった。生まれつきの盲をなおし、生まれつきの足なえをなおし、そして人々に。ほんとうの愛を教えたのであります。ほんとうの愛とは、どんなものか、みなさんおわかりですか。

 みなさん、愛とは、自分の最も大事なものを人にやってしまうことであります。最も大事なものとは何でありますか。それは命ではありませんか。このイエス・キリストは自分の命をわれわれにくださったのであります。彼は決して罪を犯さなかった。人々は自分が悪いことをしながら、自分は悪くはないという者でありますのに、何ひとつ悪いことをしなかったイエス・キリストは、この世のすべての罪を背負って、十字架にかけられたのであります。彼は、自分は悪くないと言って逃げることはできたはずです。しかし彼はそれをしなかった。

 悪くない者が、悪い者の罪を背負う。悪い者が悪くないと言って逃げる。ここにはっきりと、神の子の姿と、罪人の姿があるのであります。しかもみなさん、十字架につけられた時、イエス・キリストは、その十字架の上で、かく祈りたもうたのであります。いいですかみなさん。十字架の上でイエス・キリストはおのれを十字架につけた者のために、かく祈ったのであります。

『父よ、彼らをゆるしたまえ。そのなすところを知らざればなり。」

 聞きましたか、みなさん。今自分を刺し殺す者のために、ゆるしたまえと祈ることのできるこの人こそ、神の人格を所有するかたであると、わたしは思うのであります。」

 

 あの十字架で流された血潮は、あなたの罪を償い、きよめるために流された神の御子キリストの愛の証なのです。

 

4 白・・・罪のゆるし、罪のきよめ

 

 続いて、白です。イエス様は十字架にかかられた金曜日から三日目の朝、空が白んだとき復活なさいました。そして、私たちの罪がゆるされきよめられたことを確証してくださいました。その後、イエス様は弟子たちに現れて、40日目に天の父のもとに復活した姿のまま戻って行かれました。

 白はイエス・キリストを信じた者が、神の前に真っ黒な罪を赦され、そして、生涯をかけてその罪の性質を日に日に清められていくことを意味しています。

 神様は、イエス様を信じた者については、その罪を赦したと宣言してくださいます。これを義認といいます。そうして、人は洗礼を受けてクリスチャンになると、そこからイエス様から聖霊の力によって、自分ではどうしても拭い去ることができなかった罪の性質から解放されていくのです。これを聖化といいます。こうして、罪から解放されて、心を尽くし、知性を尽くし、力を尽くして神を愛し、兄弟姉妹と隣人を自分自身のように愛するそういう人生に変えられてゆくのです。

 

5. 緑・・・教会生活。キリストに結ばれて、神のみこころを地で行う

 

 そのクリスチャンとして共に成長していく教会生活をあらわすのが、緑色です。春になると木々が芽吹き、畑にも緑が見えて成長してゆきます。そのように、主にある兄弟姉妹たちとともに礼拝の生活をし、神を愛して生きるとき、あなたの人生はたしかに変えられます。それは、神の国を待望しつつ、今、ここにある神の国に生きる人生です。

 この世は憂き世というように、辛いことのある世の中です。けれども、主イエスを信じるならば、地上にいながらにして、御国の心地がするのです。そして、あなたが遣わされた職場でも学び舎でも地域でも、神のご栄光があらわされるために生きることが、クリスチャンに神様がくださった崇高な任務です。なんのために働いているのか、なんのために生きているのかがわからずむなしかった人生が、生きる甲斐があり、働く甲斐がある人生になります。

 神の正義と愛のみこころが、地上にも成るために、あなたも、主イエスを信じて、ともに神の国に生きようではありませんか。

 

 

悲しみ尽きざる 憂き世にありても

日々主とあゆめば 御国の心地す

*ハレルヤ 罪とが消されし わが身は

いずくにありても 御国の心地す

 

かなたの御国は 御顔のほほえみ 

拝する心のうちにも 建てらる

 

山にも谷にも小屋にも宮にも

日々主と住まえば御国のここちす