十字架を覆った暗闇
マルコ15:33-34
神殿の幕は破棄された(1)
マルコ
15:33 さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた。
15:34 そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
1.イエス様が十字架にかかられた時間
マルコ福音書には、主イエスが十字架にかかられた時刻について記録があります。
「彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。」(マルコ15:25)
「 さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた。」(マルコ15:33)
つまり、午前9時から午後3時までの6時間、イエス様は十字架についてくださったのです。この6時間は、午前9時から正午までと、正午から3時間とでずいぶん様子が異なっています。すなわち、前半は主イエスはじりじり照りつける太陽の下で十字架にかかっていらしたのですが、後半は暗闇に覆われていたという違いです。
前半は十字架の下の人々がイエスをひどいことばで罵ったりして騒然としていました。そういう状況の中で、ルカ福音書の並行記事では十字架上のイエスが自分を十字架にかけた人々のために、「父よ彼らを赦してください」と祈ったり、隣の十字架上の死刑囚のために個人伝道をして救いに導いたといった記録があります。ヨハネ福音書の並行記事には、主イエスは残してゆかねばならない母マリヤを気遣って、愛弟子に託したりしたことが記されています。
それに対して、正午、太陽が光を失いあたりは真っ暗になったあとは午後3時までいっさいが沈黙してしまいます。イエスさまも沈黙なさっていますが、十字架の周囲の人々の声も記録されていません。そして、午後三時になると、主イエスは暗闇を引き裂くように「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫び、「父よ。わが霊をあなたに委ねます」と言って亡くなられたのです。
日差しの下、人々がイエスを嘲り、イエスは彼らのためにとりなし祈るという前半三時間。そして暗闇と沈黙の三時間と、その後のイエスの「わが神、わが神」という叫びと死。前半、主イエスは十字架の苦しみを忍びつつある程度の余裕をもっていらっしゃいました。この間、イエス様に対してなされた懲らしめは人間たちによるものでした。 しかし、後半の三時間、イエスは暗闇と沈黙の中で苦悶してひとことも発せられませんでした。この暗闇の中で何が行われていたのでしょうか?
2.暗闇
次に、主イエスが十字架にかかっておられた後半の3時間、あたりを覆った暗闇は何であったのか、その意味は何だったのかについてお話しますです。
27:45 さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。
27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
(1)暗闇が歴史的事実であること
正午から、いったいどのような仕組みで全地が三時間にもわたって暗くなったのでしょうか。黒雲が空を覆ったのでしょうか。そうではありません。ルカ福音書23章44節の並行記事には「太陽は光を失った」と記されています。太陽が光を失うことによって、全知は闇に閉ざされたというのです。そんなことがありえるでしょうか。この記述はよくある文学的フィクションなのでしょうか。
当時、パレスチナからはるか遠く小アジア半島にフレゴンという人がいました。彼は日記をつけるのが趣味という人でした。そのフレゴンが、このときに起こった未曾有の大日蝕の記録を残しています。もちろん、この小アジアにおいたフレゴンは、イエスのことを知りませんし、このとき、はるか遠いパレスチナのエルサレム城外の丘で何が起こっているのかを知る由もありません。そのフレゴンがこのように書き残しているのです。原文はラテン語です。
Quarto autem anno CCII olympiadis magna et excellens inter omnes quae ante eam acciderant defectio solis facta; dies hora sexta ita in tenebrosam noctem versus utstellae in caelo visae sint terraeque motus in Bithynia Nicae[n]ae urbis multas aedes subverterit.
「第202回のオリンピック大会の第4年目、日食が起こった。それは古今未曾有の大日食であった。昼の第6時(すなわち正午)、星が見えるほどの夜となった。ビテニアに起こった地震でニケヤの町の多くの建物が倒壊した。」
出典 http://www.textexcavation.com/phlegontestimonium.html
「星が見えるほどの夜」とありますから、黒雲が空を覆ったのではないことがわかります。ルカ伝に記録されるとおり「太陽が光を失っていた」のです。
フレゴンのいう第202回のオリンピック大会の第4年目というのは、西暦でいうと32-33年にあたります。まさに主イエスが十字架にかかられた年です。その年のユダヤ暦ニサンの月14日(ユリウス暦4月3日)、この古今未曽有の3時間にもおよぶ大日食が、全地を暗くしたということがわかります。神の御子であるイエス様がゴルゴタの丘の十字架にかかった六時間のうち後半三時間、闇が全知を覆ったのは、歴史上の事実なのです。
(2)暗闇の意味
では、あの西暦33年ユダヤ暦ニサンの月の第15日の朝9時から午後3時、太陽が光を失って世界を覆った三時間の暗闇の意味はなんだったのでしょうか。まず、この暗闇は単なる自然現象としての日蝕ではありえません。調べてみましたら、皆既日食は最長で7分半ほどであり、金環日食で11分ほどです。ところが、あの日の暗闇は3時間にもわたったのです。 さらにまた、ユダヤの過越し祭の食事の夜は満月と決められていますが、満月の時には日蝕は物理的にありえません。したがって、主イエスが十字架にかかった日の古今未曽有の暗闇はただの自然現象でなく、神が引き起こされた特別な奇跡でした。
聖書において、神が時に起こされる奇跡を「しるし(セーメイオン)」と呼びます。しるしとはサインです。サインというものは、私たちがその意味をキャッチしなければなりません。神様は「御子イエスが十字架にかかった後半の3時間、太陽の光を失わせ闇で地を覆う」というサインを用いて、私たちに何を悟れとおっしゃっているのでしょうか?何を読み取れとおっしゃっているのでしょうか?
それを理解するには、神さまが聖書のなかで「暗闇」がなんの表象(しるし)として用いていらっしゃるのかを理解する必要があります。旧約聖書の預言書には「暗闇」という印について次のようにあります。
アモス8:9「その日には、―神である主のみ告げ―わたしは真昼に太陽を沈ませ、日盛りに知を暗くし・・・」
ヨエル2:31「主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。」
ゼパニヤ1:14,15
「【主】の大いなる日は近い。それは近く、非常に早く来る。
聞け。【主】の日を。勇士も激しく叫ぶ。
その日は激しい怒りの日、苦難と苦悩の日、荒廃と滅亡の日、
やみと暗黒の日、雲と暗やみの日」
これら預言者たちのことばを読めば、神が「暗闇」という「しるし」を用いて、終末の審判において罪人に下される神の聖なる御怒りを表現しようとなさっていることがわかります。神は聖なるお方であり、正義の審判者です。神は忍耐強く哀れみ深いお方であり、私たちの悔い改めを待っていてくださいますが、最後の最後には歴史に審判をくだし、決着をつけられるのです。その日には、隠されていたすべての罪が明るみにだされて、公正な審判がくだされ、罪人には聖なる怒りが下ることになります。
かつてエジプトにおいて、ヘブル人を苦しめるエジプトを懲らしめるために、神はエジプトの上に十の災いをくだされました。第一の災いは血、第二の災いは蛙・・・・そして第九番目の災いはエジプト人たちを覆う暗闇でした。そして、第十番目の災いは、エジプトのすべての初子が撃たれるという恐るべき災いでした。そのとき、神が命じられたとおりに小羊をいけにえとしたヘブル人たちは災いを免れました。
主イエスのタラントの譬えの中で、悪い不忠実なしもべが、主人が戻ってきたときに、外の暗闇に追い出されて歯ぎしりをするとおっしゃいました。暗闇は終わりの審判において罪人に下される聖なる御怒りを表しているのです。
以上からわかることは、二千年前、あのゴルゴタで主イエスが十字架にかけられたとき、十字架の主イエスを覆い全地を覆った暗闇は、父なる神から、神の聖なる刑罰の表象であったということです。神の聖なる裁きが、あの三時間、尊い御子イエスの上に下されたのです。あの暗闇の三時間は、本来、私たちが受けるべき永遠の呪いが詰め込まれた三時間でした。
御子は闇の中で、天を仰いで父の御顔を捜し求めました。御子はこの世界が造られる前から、どんなときでも御父との親しい愛の交わりのうちにおられました(ヨハネ17:5,24)。父の許を離れて、この世に降られて後も、その伝道生活のなかで御子はしばしば荒野に退いて父との交わりのうちに、平安と喜びと力とを得ておられました。天から「これはわたしの愛する子である。わたしはこの子を喜ぶ。」というやさしく力強い父の声さえも響いたのです。
しかし、呪いの暗闇が全地を覆ったとき、御子がどんなに父の御顔の光を求めても、何も見ることはできませんでした。御子は「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれたとき、天の父は耳を覆って、最愛の御子から顔を背けられたのでした。
3 御父の思い
御子イエスが暗闇の中で、天を振り仰いでみ父の御顔を探されたとき、天の父はどのような思いでいらしたのでしょうか。御子を見放した父は冷酷なお方なのでしょうか。父の御心を少しでも理解するために、私たちはこの出来事のさらに2000年前アブラハムがモリヤの山で愛するひとり子イサクをささげた記事を思い起こしましょう。アブラハム75歳、妻サラ65歳で、神の約束の地へと旅立ち、それから25年がたち、ついに待ち望んだ子が生まれ、その子をイサクと名付けました。その名の意味は「彼は笑う」でした。神が、アブラハムとサラとに笑いかけてくださったからです。
約束の子イサクはアブラハムの宝でした。いのちでした。彼と妻の四半世紀の信仰生活の結晶でした。愛するひとり子イサクをアブラハムは愛し慈しみ育てました。ところがある日、アブラハムは神のお声を聞きます。
「アブラハムよ」アブラハムは「はい、ここにおります」としもべとしての答えをしました。すると、神は恐るべき命令をお与えになりました。
「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」
自分の宝、自分のいのち、彼の信仰の生涯の唯一の希望。星の数ほどの子孫が現れ、世界中は祝福されると約束された子、それが独り子イサクでした。その子を全焼のいけにえとしてささげよと、なんとも不可解なご命令を神はお与えになりました。アブラハムは胸引き裂かれました。神の約束を信じて故郷を旅立った日から今日まで、さまざまなことが彼の脳裏を去来したでしょう。神の約束と神のご命令が正面衝突している、この状況にあって、アブラハムはあくまでも神の約束を信じ、神のご命令にしたがったのです。そして、すんでのところで神は彼の友をお助けになりました。
紀元前二千年モリヤの山でのアブラハムのイサク奉献の出来事は、その二千年後に、同じ場所で神ご自身が行われるイエス・キリストの十字架の出来事の型でした。天の父は、私たちを罪の呪いから救うために、尊いひとり子、愛するひとり子をいけにえとしてささげられたのでした。神の思いは、神の友アブラハムが知っています。
御子を十字架においてささげた父の心を偲ぶ岩淵まことさんによる賛美歌。
父の涙
心に迫る父の悲しみ 愛するひとり子を十字架につけた
人の罪は燃える火のよう 愛を知らずに きょうも過ぎて行く
十字架からあふれ流れる泉 それは父の涙
十字架からあふれ流れる泉 それはイエスの愛
父が静かに見つめていたのは 愛するひとり子の傷ついた姿
人の罪をその身に背負い 父よ 彼らを赦してほしいと
十字架からあふれ流れる泉 それは父の涙
十字架からあふれ流れる泉 それはイエスの愛
祈りましょう。