水草牧師の説教庫

聖書からのメッセージの倉庫です

意外な出来事も

使徒4:18-31

 

2019年2月24日 苫小牧主日 夕礼拝

4:18 それで、モーセはしゅうとのイテロのもとに帰り、彼に言った。「どうか私をエジプトにいる親類のもとに帰らせ、彼らがまだ生きながらえているかどうか見させてください。」イテロはモーセに「安心して行きなさい」と答えた。

 4:19 【主】はミデヤンでモーセに仰せられた。「エジプトに帰って行け。あなたのいのちを求めていた者は、みな死んだ。」

 4:20 そこで、モーセは妻や息子たちを連れ、彼らをろばに乗せてエジプトの地へ帰った。モーセは手に神の杖を持っていた。

 4:21 【主】はモーセに仰せられた。「エジプトに帰って行ったら、わたしがあなたの手に授けた不思議を、ことごとく心に留め、それをパロの前で行え。しかし、わたしは彼の心をかたくなにする。彼は民を去らせないであろう。

 4:22 そのとき、あなたはパロに言わなければならない。

  【主】はこう仰せられる。『イスラエルはわたしの子、わたしの初子である。

 4:23 そこでわたしはあなたに言う。わたしの子を行かせて、わたしに仕えさせよ。もし、あなたが拒んで彼を行かせないなら、見よ、わたしはあなたの子、あなたの初子を殺す。』」

  4:24 さて、途中、一夜を明かす場所でのことだった。【主】はモーセに会われ、彼を殺そうとされた。

 4:25 そのとき、チッポラは火打石を取って、自分の息子の包皮を切り、それをモーセの両足につけ、そして言った。「まことにあなたは私にとって血の花婿です。」

 4:26 そこで、主はモーセを放された。彼女はそのとき割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。

  4:27 さて、【主】はアロンに仰せられた。「荒野に行って、モーセに会え。」彼は行って、神の山でモーセに会い、口づけした。

 4:28 モーセは自分を遣わすときに【主】が語られたことばのすべてと、命じられたしるしのすべてを、アロンに告げた。

 4:29 それからモーセとアロンは行って、イスラエル人の長老たちをみな集めた。

 4:30 アロンは、【主】がモーセに告げられたことばをみな告げ、民の目の前でしるしを行ったので、

 4:31 民は信じた。彼らは、【主】がイスラエル人を顧み、その苦しみをご覧になったことを聞いて、ひざまずいて礼拝した。

 

 

1.舅に挨拶して、出発 

18-23節 

 主の召しに答える決心をしたモーセはまずしゅうとのイテロに挨拶をしました。18節。このときには、自分が主なる神の啓示を受けたこと、自分にはイスラエルをエジプトから脱出させる使命があることについては触れていませんね。モーセのまだ気弱なところがうかがえるところです。

4:18 それで、モーセはしゅうとのイテロのもとに帰り、彼に言った。「どうか私をエジプトにいる親類のもとに帰らせ、彼らがまだ生きながらえているかどうか見させてください。」イテロはモーセに「安心して行きなさい」と答えた。

 ミデヤンの荒野を行く道で、モーセを励ます主からのことばがありました。

 4:19 「エジプトに帰って行け。あなたのいのちを求めていた者は、みな死んだ。」

 4:20 そこで、モーセは妻や息子たちを連れ、彼らをろばに乗せてエジプトの地へ帰った。モーセは手に神の杖を持っていた。

 

 モーセはこの働きが長丁場になることを覚悟していて、妻と息子たちをともなっていきました。(子どもたちが幼いような印象を受けます。結婚しても長く生まれなかったのかもしれません。荒野での年数が40年という伝統的見解はちょっと違う可能性があります。モーセはエジプトに戻る時80歳ですが、一度目にエジプトから去った年齢はもっと高齢になってからかもしれません。)20節の表現で注目すべきは「神の杖」です。モーセが「ただの羊飼いの杖」と思っていた杖ですが、今は「神の杖」となっています。神がモーセイスラエルの民の羊飼いとして立てたことの証の杖です。

 次に、主は全体的な見通しを与えて、モーセが目先に生じることがら、パロの反抗などによって失意落胆してしまわぬように配慮してくださいます。

 4:21 【主】はモーセに仰せられた。「エジプトに帰って行ったら、わたしがあなたの手に授けた不思議を、ことごとく心に留め、それをパロの前で行え。しかし、わたしは彼の心をかたくなにする。彼は民を去らせないであろう。

 4:22 そのとき、あなたはパロに言わなければならない。

  【主】はこう仰せられる。『イスラエルはわたしの子、わたしの初子である。

 4:23 そこでわたしはあなたに言う。わたしの子を行かせて、わたしに仕えさせよ。もし、あなたが拒んで彼を行かせないなら、見よ、わたしはあなたの子、あなたの初子を殺す。』」

 

 そんなに簡単に成し遂げられる任務ではない。パロは頑なで、なかなか言うことを聞かないが、最終的には22,23節のような事態になるということです。これをあらかじめお話になったのです。

 

2 主がモーセを殺そうとする

24-26節 

 ところが意外なことが起こります。妻と子供たちをつれて、モーセはミデヤンの荒野をアカバ湾沿いに北上し、アラビア商人の道を通ってシナイ半島を東西に横切る旅をしていくのですが、まだ家を出てまもないとき、途上で意外な出来事が起こりました。

 4:24 さて、途中、一夜を明かす場所でのことだった。【主】はモーセに会われ、彼を殺そうとされた。

 4:25 そのとき、チッポラは火打石を取って、自分の息子の包皮を切り、それをモーセの両足につけ、そして言った。「まことにあなたは私にとって血の花婿です。」

 4:26 そこで、主はモーセを放された。彼女はそのとき割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。

 

 いったい、これは何事でしょうか?主ご自身が、モーセをお召しになり、エジプトに遣わそうとしていらっしゃるのに、その主がモーセを殺そうとされたのです。それは、モーセが自分の子どもたちに神の民の契約のしるしとしての割礼を施さないままでいたからだと考えられます。割礼は、400年前アブラハムの時代に、神さまがアブラハムとその一族の男子に契約の印としてさだめたものでした。創世記17:9-14

 17:9 ついで、神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの後のあなたの子孫とともに、代々にわたり、わたしの契約を守らなければならない。

 17:10 次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたの後のあなたの子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。

 17:11 あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。

 17:12 あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に、割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたの子孫ではない者も。

 17:13 あなたの家で生まれたしもべも、あなたが金で買い取った者も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉の上にしるされなければならない。

 17:14 包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、その民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったのである。」

 

 おそらくモーセが子どもたちに割礼を施していなかったのは、妻チッポラが反対したからであろうと推察できます。モーセはもう自分がエジプトに戻り、イスラエルの民のもとに戻ることはあるまいと思っていたので、それほど強くは言えなかったのではないかと思います。モーセはエジプトからの逃亡者として入り婿という立場上、強く言わなかったのであろうと思われます。しかし、自分の家を治められないものが神の家の指導者になることはできません。そこで、神様はこの問題をクリアしてから、彼は遣わそうとされたのです。

 旅路で突然モーセが倒れました。主に捕まえられたのです。妻チッポラは、「ああ、これは自分がモーセに反対して息子たちを無割礼にしておいたせいだわ」と気づいたのです。気づいたからこそ、彼女は急いで火打石をとって子どもたちに割礼をほどこしたのです。自分が夫モーセに反対して子どもたちに割礼を授けなかったことのせいで、主がモーセを打ったのだと彼女は啓示されたのか、自ら悟ったのか、いずれにしても原因はその問題だとわかりました。そこで、彼女は急いで子どもたちに割礼をほどこし、それをモーセの足につけるとすぐにモーセは元気になりました。

 モーセはこれからイスラエルの民の指導者として立たねばなりません。指導者として立つ者が、自分の妻や子供たちについて、神のみこころを行なっていないでは指導することができません。新約聖書も監督(牧師)の資格について次のようの述べています。

 3:2 ですから、監督はこういう人でなければなりません。すなわち、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり、

 3:3 酒飲みでなく、暴力をふるわず、温和で、争わず、金銭に無欲で、

 3:4 自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人です。

 3:5 ──自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう──(1テモテ3:2-5)

 

3.アロンが来る

4:27-31

 モーセはまだ荒野にいます。他方、主はエジプトに住んでいるモーセの兄アロンに告げられました。「荒野に行って、モーセに会え。」アロンはその命令にしたがって、神の山ホレブまで歩き、そこでモーセに会いました。おそらくこの間音信不通というのではなく、時々は、連絡をとっていたのだろうという思われます。

 ですが、いずれにせよアロンがこのタイミングでやって来たので、モーセはたいへん励ましを受けたでしょう。主は、先におっしゃったとおりに、自分だけでなく兄アロンにも語ってくださって、ともに主のために働くことになるのだと確かめることができたからです。出エジプト記 4:27、28

 それから、主はアロンに仰せられた。「荒野に行って、モーセに会え。」彼は行って、神の山でモーセに会い、口づけした。モーセは自分を遣わすときに主が語られたことばのすべてと、命じられたしるしのすべてを、アロンに告げた。

 モーセは主が彼に命じたすべてをアロンに告げ、アロンはモーセの代弁者となることを話しました。こうして二人はエジプトのイスラエルの所に出かけて行きます。

 

 エジプトのゴシェンの地に到着すると、アロンは民の長老たちを集めました。そして、モーセにそしてアロンにアブラハム、イサク、ヤコブの神、主が現われた顛末、そして、主が彼らを指導者として出エジプトを成そうとしていらっしゃることを告げたのです。スポークスマンであるアロンのことばに、長老たちはなるほどと説得されました。もう何年間もあっていない、若者たちはほとんど知らないモーセが直接彼らに語っても説得力がなかったでしょう。

 そして、長老たちは民を集合させました。モーセは、民の前で主がお与えになった、あの神の杖のしるしを行ない、メッセージをつげたのです。

 するとイスラエルの民は、400年前先祖アブラハムにご自分を現してくださった主が、私たちの苦しみを顧みてくださったのだと感激し、礼拝をしたのでした。イスラエルの民はエジプトに長らく住み着いているうちに、万物の主であられる神を見失っていたというのが実際であったと思われます。けれども、人間が不真実でも主はご真実です。主はアブラハムへの契約のゆえに、イスラエルを覚えていてくださったのです。

出エジプト記 4:28-31

それからモーセとアロンは行って、イスラエル人の長老たちをみな集めた。アロンは、主がモーセに告げられたことばをみな告げ、民の目の前でしるしを行なったので、民は信じた。彼らは、主がイスラエル人を顧み、その苦しみをご覧になったことを聞いて、ひざまずいて礼拝した。

 

結び

 こうして、いよいよエジプトのパロとの対決が始まります。

 本日の箇所からいくつかのことを学びましたが、最後に一点だけもう一度。

 イスラエルの指導者として立とうとするモーセは、まず自分の家庭を霊的に指導できるようになることが求められたということです。これは牧師として私自身がわきまえるべきことです。幸いに、神様のあわれみによって、私の妻は私の霊的指導に従ってくれる妻です。そして、子どもたちはみな洗礼を受けていますが、神を畏れる生活をし続けて行けるように、日々祈っています。みなさんにも、私と家族のためにお祈りいただきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 聖徒たちの名

ロー16:1-16          

 

2019年2月24日 苫小牧主日朝礼拝

 16:1 ケンクレヤにある教会の執事(2017奉仕者)で、私たちの姉妹であるフィベを、あなたがたに推薦します。

 16:2 どうぞ、聖徒にふさわしいしかたで、主にあってこの人を歓迎し、あなたがたの助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてください。この人は、多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人(支援者、パトロンです。

  16:3 キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。

 16:4 この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。

 16:5 またその家の教会によろしく伝えてください。私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。

 16:6 あなたがたのために非常に労苦したマリヤによろしく。

 16:7 私の同国人で私といっしょに投獄されたことのある、アンドロニコとユニアスにもよろしく。この人々は使徒たちの間によく知られている人々で、また私より先にキリストにある者となったのです。 16:8 主にあって私の愛するアムプリアトによろしく。

 16:9 キリストにあって私たちの同労者であるウルバノと、私の愛するスタキスとによろしく。 16:10 キリストにあって練達したアペレによろしく。アリストブロの家の人たちによろしく。 16:11 私の同国人ヘロデオンによろしく。ナルキソの家の主にある人たちによろしく。 16:12 主にあって労している、ツルパナとツルポサによろしく。主にあって非常に労苦した愛するペルシスによろしく。

 16:13 主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく。

 16:14 アスンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマスおよびその人たちといっしょにいる兄弟たちによろしく。

 16:15 フィロロゴとユリヤ、ネレオとその姉妹、オルンパおよびその人たちといっしょにいるすべての聖徒たちによろしく。

 16:16 あなたがたは聖なる口づけをもって互いのあいさつをかわしなさい。キリストの教会はみな、あなたがたによろしくと言っています。

 

                                 

 使徒の手紙はいよいよ最後のあいさつに入ります。パウロは多くの手紙で、その最後に多くの兄弟姉妹の名前をあげて、あいさつをします。その人物群のなかから数名取りあげて、みことばを味わいたい。

 

1.支援者、女執事フィベ

 

 まず、1節と2節のフィベです。パウロの手紙をはるばるローマまで届けに行ったのはご婦人でありました。そして、この婦人はケンクレヤというマケドニア半島はコリントの隣町の教会の執事をしていたのです。フィベは多くの人を助け、またパウロをも助けた人であると紹介されています。2節後半は、新改訳2017では「彼女は、多くの人の支援者で、私自身の支援者でもあるのです。」と訳されています。支援者ということばのもとのことばはプロスタティスで、英語ではパトロンです。つまり、フィベはパウロや他の伝道者たちの働きを経済的に支援する働きをした人でした。資産があったことと行動力から見ると、ちょうどピリピの町の最初の回心者であった、あの紫布の商人ルデヤのような女性実業家だったようです。

 初代の教会においても、主キリストのしもべとしての女性の奉仕はよく用いられたことだということが、ここにもうかがえます。御在世当時の主イエスの伝道生涯においても、女性信者たちのサポートがありました。ルカ8:1ー3に少しそのことが書かれています。

8:1 その後、イエスは、神の国を説き、その福音を宣べ伝えながら、町や村を次から次に旅をしておられた。十二弟子もお供をした。

 8:2 また、悪霊や病気を直していただいた女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリヤ、

 8:3 自分の財産をもって彼らに仕えているヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか大ぜいの女たちもいっしょであった。

 

 彼女たちは経済的にも主と弟子たちの働きを陰ながら支えたのです。「貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。今飢えている人たちは幸いです。あなたがたは満ち足りるようになるからです。」(ルカ6:20、21)とか、「金持ちが神の国に入るよりらくだが針の穴を通る方がやさしい」と主イエスは富に警戒すべきことを教えられましたが、回心して主イエスに仕えるようになった人々で富に恵まれた聖徒たちは、富に支配されずに、かえってこれを活用して、主イエスパウロをはじめとする伝道者たちの支援をして神の国の前進に役立ったのでした。

 使徒の働きにも、女性たちの名前が出てきます。フィベ以外では、ヨッパのタビタ。タビタ別名ドルカス(かもしか)は資産家ではないのですが、縫い物をする賜物があったので多くの聖徒たちを慰めたとあります(9章36-43節)。彼女が死んでしまったときに、やもめたちはみんな手に手に,タビタにつくってもらった上着や下着を見せて泣いていたとあります。そして、主はペテロを用いてこの老婦人が死んだときに、あまりに悲しむ人々が多かったので、この人にいのちをお返しになったとあります。

 このように、初代教会以来、主イエスを信じ恐れる女性たちが、それぞれの賜物を用いて主のお役に立って来たことがわかります。今日でも教会において女性の奉仕はたいへん重要なのです。

 フィベのような女性たちはどのような態度で主のお役にたったのでしょうか。2節の第二の文のなかに「この人は、多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。」とあります。フィベは、「助ける」支援するという賜物を神様から授かっていた人でした。助けるという賜物とはどういうことでしょう。教会においてリーダーシップをとる賜物の人がいて、それを陰ながら祈りつつ、つつましく、しかし、しっかりと責任を持って支える。これがフィベの奉仕の姿でした。「女性執事」という務め自体が、「奉仕者」としての務めでした。教会においてリーダーシップを取るのは長老であり、これは男性が責任をもって行うことになっていました。これをしっかりと補助し支えるのが執事たちの務めでした。執事には男性、女性の両方がいました。

 そもそも、神様が最初に女性をお造りになった時、彼女を「ふさわしい助け手」としてお造りになったと記されています。その与えられた女性としての賜物を、喜びを持って活用していたのが、フィベなど初代教会の女性の執事たちであったわけです。

 今日の教会もフィベのように、陰ながら、祈り深く、しっかりと「助ける」働きをする女性の奉仕者を必要としているのです。

 

2.同労者、プリスカとアクラ

 

 次に使徒パウロが挙げる名は、「プリスカとアクラ」です。

 16:3 キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。 16:4 この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。

 彼らは使徒時代における最も著名なクリスチャン夫婦でしょう。プリスキラというのも同じ人です。『使徒の働き』ではルカは「プリスキラ」と呼んでいます。プリスカが正式な呼び名で、プリスキラというのは愛称です。たとえば「幸子さん」というのと「さっちゃん」というちがいのようなものです。

 この夫婦はもとローマに過ごしていましたが、クラウデオ皇帝が49年にユダヤ人のローマ退去を命令したことで、コリントに来ていました。この時に、コリントに伝道に来ていた使徒パウロと出会ったのです。使徒18:1-3

 18:1 その後、パウロアテネを去って、コリントへ行った。

 18:2 ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、

 18:3 自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。

 

 アクラとプリスカは、パウロと同じくテント造りを職業にしていましたので一緒に働きました。当時ユダヤ教のラビは、いつでもどんなところでも伝道できるために、ラビの修業をすると同時に手に職をつけることになっていました。パウロはサウロと呼ばれた時代もともとラビとなる訓練を受けていたので、パウロはテント造りを自分の手の職としてのです。アクラとプリスカとはパウロ先生がなるべく伝道に専念できるようにと、祈りにおいても経済的にも支えたわけです。

 けれども、このすぐ後の記事に出てくるように、コリントの町での伝道においてはひどい迫害があり、パウロに協力した会堂司ソステネは法廷に訴えられてむち打ちに刑になっています(使徒18:17)。その木が常緑樹であるか落葉樹であるかは、夏の間はわかりませんが、厳しい冬が訪れるとおのずとあきらかになるものです。迫害のとき、プリスカとアクラ夫妻は常緑樹であることを示しました。こんな時にもプリスカとアクラは使徒パウロを、自分たちのいのちを賭けて助けたのです。その後、二人はパウロの伝道旅行に同行してエペソに行き、パウロを助けています。その後、二人はローマに最終的に戻りました。それで、今ローマ教会への手紙のなかでその名を呼ばれているのです。

 このようなわけで使徒パウロプリスカ、アクラ夫妻について「キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えて下さい。この人たちは、自分のいのちの危険を犯して私のいのちを守ってくれたのです。」と言っています。

 初代教会の宣教師パウロの働きを支えたのは、「同労者」と呼びうる信徒夫婦だったのでした。その経済ばかりか、そのいのちまでもかけて伝道者を支えたプリスカとアクラの夫婦。その名前は、神の国のいのちの書に、栄誉ある名として記念されているのです。今日にあっても、キリストの教会には、福音の働きにはプリスカとアクラがぜひとも必要なのです。あなたも、主キリストにいのちをささげて、プリスカに、アクラになっていただけないでしょうか。「夫がまだ・・・」という方は、「後悔することなく主にご奉仕するためです。どうぞ、私の夫も救って下さい。」と真心込めてお祈りしてごらんなさい。主はお答になります。

 

3.主にあって選ばれた人ルポス

 

 多くの名が挙げられていますが、あと一人だけ取りあげておきます。13節。「主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく。」パウロにとってルポスは兄弟のような親しい関係にあって、ルポスの母親を「私の母」と呼んでいるのです。ルポスとはだれでしょうか。マルコ15:21を開いて下さい。

「そこで、アレクサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。」

 主イエスがドロローサの道を歩んでいかれる時、主の代わりに無理やりに十字架を背負わされたクレネ人のお上りさんがいました。エルサレム詣でにやって来たシモンでした。シモンにとっては、それは無理やり背負わされた十字架でした。最初はいやいや背負ったにすぎませんでした。

 しかし、その後、シモンは主イエスを信じるようになり、その妻もその息子たちアレクサンデルとルポスもクリスチャンとなってのでした。ルポスはその名をパウロに挙げられているように、初代教会において責任ある立場を持つ人となっていたようです。

 「主にあって選ばれた人ルポス」とあります。パウロは「君のおやじさんは、一方的に神様に選ばれてイエス様の十字架を背負ってドロローサの道を上った人だ。人類のなかでたった一人、主の十字架をかつぐという栄誉にあずかった人だ。そして、その息子の君もまた、主に選ばれた人だ。」といいたいのでしょう。

 重い十字架。「なぜ、わたしだけがこんな苦しい目に合うために選ばれたのか?」と思うような奉仕。しかし、それは「主にあって選ばれた」ということなのです。それを担って、イエス様の後について行く時、その選びは栄誉あるものと変えられるのです。  

                                                                               

 結び

 よき支援者フィベ。いのちがけの同労者プリスカとアクラの夫婦。主にあって選ばれた人ルポス。いずれの聖徒たちも、私たちの主にある兄弟姉妹です。私たちも主のいのちの書に栄誉ある名をしるされている者としてふさわしく、この町にあって、主と教会に奉仕をしたいものです。                                                                 

 

 

奉仕への召しと備え

Ex4。1-17

 

 

 荒野で羊を数十年間飼う生活をして、すでに80歳を迎えていたモーセでしたが、心身共に強壮ではありました。この日もミデヤンの荒野を草を求めて羊を追ってきたところで、主とお会いしたのでした。燃えても燃え尽きない柴の木に主は臨在を表されて、モーセイスラエルのエジプト脱出のリーダーとしてお召しになったのでした。主は「わたしはある」という名を表し、さらに今後の計画を明らかにされました。

 けれども、これほどはっきりとした召しを受けながら、なおモーセは躊躇していました。かつての若い日であれば、肉の自信まんまんに「わたしがイスラエルを救います」と言えたはずのモーセでしたが、今は、そんな自信はひとかけらもなくなってしまっています。4:1 モーセは答えて申し上げた。「ですが、彼らは私を信ぜず、また私の声に耳を傾けないでしょう。『【主】はあなたに現れなかった』と言うでしょうから。」

そんなモーセを神様は奉仕へと召しだしたまうのです。どんな方法によってでしょうか。それが本日のみことばです。

 

1 「あなたの手にあるものは」vv1-

 

 主は「あなたの手にあるそれはなにか?」と問われました。彼は「杖です」と答えます。「ただの杖です。こんなものが、エジプトの権力者ファラオに対して、いったい何の役に立ちますか?」という気持ちです。モーセが持っていた杖はお爺さんだから持っていたのではなく、羊飼いの必須アイテムの杖です。

 羊飼いの杖一本で、何万という軍団を要するエジプト王に対抗するのは、竹やりでB29を相手に戦うようなものです。しかし、人間の目にはつまらないものであっても、神様が目を留め、神様が命じたまうままに用いるならば、これが証しの道具となることを、この御言葉は教えます。 

4:2 【主】は彼に仰せられた。「あなたの手にあるそれは何か。」彼は答えた。「杖です。」

 4:3 すると仰せられた。「それを地に投げよ。」彼がそれを地に投げると、杖は蛇になった。モーセはそれから身を引いた。

 4:4 【主】はまた、モーセに仰せられた。「手を伸ばして、その尾をつかめ。」彼が手を伸ばしてそれを握ったとき、それは手の中で杖になった。

 4:5 「これは、彼らの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、【主】があなたに現れたことを、彼らが信じるためである。」4:8 「たとい彼らがあなたを信ぜず、また初めのしるしの声に聞き従わなくても、後のしるしの声は信じるであろう。

 

 杖はモーセがもともと持っていたものです。ただの羊飼いの杖です。が、こんなものは何の役にも立たないと思っていたものですが、神がこれを選び用いなさるならば、すばらしい働きができるのです。私の恩師の朝岡茂牧師は戦前にピョンヤンで生まれ、戦後、すべてを失って帰国されましたが、中学生の時に結核を発病しました。当時、不治の病とされたのです。それから十数年間の闘病生活の末、朝岡先生はイエス様を信じて洗礼を受けました。救われた喜びで、「これからの残された人生、自分のために生きたのでは、申し訳ない。」と思い、自分の人生をイエス様におささげしたいと表明しました。けれども、そのとき、すでに片肺を失っていた朝岡先生は、自分には説教者、牧師となることは無理だと思っていました。けれども、先生は癒され強められ、私などよりもはるかに大きな声の出る説教者として大活躍なさったのです。

 自分など役に立たないと独り決めしてはなりません。主がお用いになるとき、役に立つのです。

 

2 ツァラアトのしるし、ナイル川の水を血にというしるし

 さらに主はモーセに「手をふところに入れよ」とおっしゃいました。するとその手はツァラアトに冒され雪のように白くなり、また、懐に入れるともとに戻りました。

4:6 【主】はなおまた、彼に仰せられた。「手をふところに入れよ。」彼は手をふところに入れた。そして、出した。なんと、彼の手はツァラアトに冒され、雪のようになっていた。

 4:7 また、主は仰せられた。「あなたの手をもう一度ふところに入れよ。」そこで彼はもう一度手をふところに入れた。そして、ふところから出した。なんと、それは再び彼の肉のようになっていた。

 

ツァラアトは当時、非常に恐れられていた病です。ツァラアトのもっとも重症の場合は、雪のように白くなり、治癒不可能なのだそうです(エリコット)。神さまはモーセの手を、そういう最も重症のツァラアトにたちどころにし、たちどころに癒して見せたのです。これは驚異でした。神は生殺与奪の権を持つお方であるあかしです。

 

 さらにもう一つのしるしを主はモーセに与えました。 

4:9 もしも彼らがこの二つのしるしをも信ぜず、あなたの声にも聞き従わないなら、ナイルから水を汲んで、それをかわいた土に注がなければならない。あなたがナイルから汲んだその水は、かわいた土の上で血となる。」

 ナイル川の水を血にするということは、何を意味するのか?ナイル川は世界最長の川です。遥か遠くアフリカ大陸の熱帯雨林から滋養分をたっぷりに含んだ水を集めて砂漠の国エジプトを潤し、大地を肥沃にし、そして大西洋にそそぐのです。歴史家ヘロドトスが「エジプトはナイルの賜物」といったように、ナイル川あってこそのエジプトです。ナイル川がなければ、エジプト文明というものは成立不可能でした。エジプト人は、ですからナイル川を神としてあがめていました。けれども、そのナイルの水をもまことの神は支配するお方であるというしるしです。主なる神の圧倒的主権を表現します

 「わたしはある」という神が、私たちの生殺与奪の権と、ナイルの神をも支配するお方であることをこれらの印は意味しました。私たちを神様がお召しになるとき、戸惑うことがある。しかし、神様はすでにその使命達成のために必要なものを、能力を備えていてくださるということです。

 

3 同労者を備えてくださる

 このように印を用意されてもモーセは躊躇します。それは、彼が口下手だったことです。 

もう一つ、10節

4:10 モーセは【主】に申し上げた。「ああ主よ。私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」

 四十年ほど前、エジプトにおいて最高の学問を授けられたモーセは雄弁でした。古代社会において、雄弁術というのは政治を行う上で最も重要な素養でした。けれども、数十年、荒野で羊たちだけを相手に過ごす生活をして、モーセは今や口が重くなっていました。無理もないことです。私は大学受験浪人をしたとき図書館で受験勉強をしましたが、朝9時に入館するとき「おはようございます」といって、晩6時に帰宅するときに「さようなら」という以外一言も口を開かないでいると、実際、舌が回らなくなることを経験しました。まして、モーセは荒野で四十年です。羊相手なら話はできても、人間相手には話はできないと彼は感じました。まして、相手は最高権力者パロです。

 しかし、躊躇するモーセに主はおっしゃいました。

 4:11 【主】は彼に仰せられた。「だれが人に口をつけたのか。だれが口をきけなくし、耳を聞こえなくし、あるいは、目を開いたり、盲目にしたりするのか。それはこのわたし、【主】ではないか。

 4:12 さあ行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたの言うべきことを教えよう。」

 しかしなおもモーセはしり込みしました。自分は到底、そんな召しにお答えすることはできません。もっとふさわしい人がいる、と。

 4:13 すると申し上げた。「ああ主よ。どうかほかの人を遣わしてください。」

 

  すると、主は怒りながら、アロンをスポークスマンつまり代弁者として用意するとおっしゃいました。

4:14 すると、【主】の怒りがモーセに向かって燃え上がり、こう仰せられた。「あなたの兄、レビ人アロンがいるではないか。わたしは彼がよく話すことを知っている。今、彼はあなたに会いに出て来ている。あなたに会えば、心から喜ぼう。

 4:15 あなたが彼に語り、その口にことばを置くなら、わたしはあなたの口とともにあり、彼の口とともにあって、あなたがたのなすべきことを教えよう。

 4:16 彼があなたに代わって民に語るなら、彼はあなたの口の代わりとなり、あなたは彼に対して神の代わりとなる。

 4:17 あなたはこの杖を手に取り、これでしるしを行わなければならない。」

 

 このたびは神様はモーセに雄弁な口を授けるのではなく、雄弁な助力者としてアロンをお与えになったのでした。

  私たちはここから何を学び取るべきでしょうか?私たちは、神様のために召されたとき、全部自分で背負い込んでしまう必要はない。なんでも自分でできなければならないと考える必要はない。自分ができないならば、神様にそうしたまものを持っている人を与えてくださいと祈ればよいのです。神さまは必要な人をちゃんと備えてくださいます。

 

 

素晴らしいイエス様

ルカ8:40-56

 

1 会堂司ヤイロと娘

 

ルカ 8:41-42

 するとそこに、ヤイロという人が来た。この人は会堂管理者であった。彼はエスの足もとにひれ伏して自分の家に来ていただきたいと願った。

 彼には十二歳ぐらいのひとり娘がいて、死にかけていたのである。イエスがお出かけになると、群衆がみもとに押し迫って来た。

 会堂管理者ヤイロとあります。神政政治が行なわれていた当時のユダヤ社会では、会堂管理者といえば町の名士でした。社会的に地位と敬虔で立派な人だという名誉を持っていましたし、雇い人たちが大勢いる屋敷の様子を見ても、経済的にも豊かだったのだろうと想像がつきます。

ヤイロは父親として、娘が今日、十二歳を迎えるまで蝶よ花よと育てられました。ヤイロは、わが娘には経済的な面だけでなく、道徳的にも宗教的にも一流のものを身に付けさせてやろうと思っていたはずです。そして今は12歳。12歳というのは、ユダヤ社会では特別な意味がありました。神殿礼拝が許される年齢が12歳だったのです。つまり、12歳というのは、宗教的な意味で一人前になったと見なされる年なのでした。ここまで立派に育ってきた愛娘は、ヤイロにとっては目に入れても痛くない宝だったのです。

ところが、十二歳のある日突然、この娘は急病に冒され、生と死の間をさまようことになります。けれども、今、娘が病に冒され死が間近に迫ったとき、父ヤイロは、自分は娘に何もしてやることができないという現実にはじめて直面したのです。娘のためならば、自分のいのちでもくれてやってもと思うのが親心ですが、何もしてやれないのです。会堂管理人としての宗教的・道徳的生活の誇りも、名誉も、お金も、娘に迫り来る死に対しては、まるで無力でした。ヤイロはプライドを打ち砕かれて、イエス様のもとに来たのです。そして若い青年イエス様の前にひれ伏しました。

 

 

2.長血の女

(1)イエスにさわること:女の信仰

ルカ 8:43-44

 ときに、十二年の間長血をわずらった女がいた。だれにも治してもらえなかったこの女は、イエスのうしろに近寄って、イエスの着物のふさにさわった。すると、たちどころに出血が止まった。

 ヤイロの話を聞いて、イエス様は彼の家に向かいます。ところが、簡単には前に進めません。この頃にはイエス様の名前はガリラヤ地方ばかりかユダヤ地方にまで鳴り響いていましたし、しばらく舟でゲラサ地方に行ってしまったあと、お帰りになったばかりですから、癒しを受けたい人、話を聞きたい人、ただの野次馬たちが殺到していました。道を歩いてヤイロの家に行くこともたいへんです。「群衆がみもとに押し迫ってきた」とあります。

 そうした群衆の中に青白い頬をして、ショールを頭からまとったひとりの女がいました。彼女は「十二年の間長血をわずらっていた」と書かれています。ヤイロの娘が12歳であったことと不思議に符合しています。長血という病は婦人病の一種で、月のものの血がずっと止まらないという病気でした。旧約聖書には「血はいのちである」ということばがありますから、彼女は、出血するたびに、毎日少しずつ迫ってくる死の影に脅えていました。毎日、疼くような痛みにたえ、体調不良の中で彼女はすごしてきたのです。

 しかも、当時の社会では、このような血が流れる婦人病は宗教的に汚れているとされ、人々の中には出てきてはならない、さわってはいけないとされていました。ですから、彼女は社会からも排斥されてひとりぼっちだったのです。

 ところが、疼痛とひたひたと近づく死の恐怖と孤独の中にいたとき、彼女は主イエスの噂を耳にしました。遠くからイエス様の話を聞いたこともあったのではないかと思います。ですから、彼女はイエス様のお着物のふさにでも触ることができたら、きっと直ると信じたのです。そして、彼女はその信仰を実行にうつしたのです。

 女は、からだに異変を感じました。絶えずうずくような痛みに悩まされていたのに、その痛みが去りました。いつも貧血でフラフラしていたのに、今はからだの内側から力が湧いてくるようです。癒されたのです。彼女は「イエス様は救い主であり、全能者でいらっしゃるから、イエス様にふれれば必ず直る」と信じました。そして、事実、信じたとおりになったのです。

 

 するとイエス様は立ち止まられました。そして、「わたしにさわったのは、だれですか。」と言われた。」(ルカ 8:45)のです。ペテロは当惑して言います。「先生。この大ぜいの人が、ひしめき合って押しているのです。」つまり、おおぜいの群衆が押し迫って、みんなイエス様にさわりまくっているのです。まるでお相撲さんが花道を行くときに、ファンがその体に触れるみたいに、みんなイエス様にさわればいいことあるとか思ってさわりまくっているのです。それなのに、「誰がわたしにさわった」なんておっしゃっても、そりゃ無茶な質問ですよとペテロは言ったのです。けれどもイエス様は、なおおっしゃいます。だれかが、わたしにさわったのです。わたしから力が出て行くのを感じたのだから。」(ルカ 8:46)。

 イエス様が「だれかがわたしにさわった」とおっしゃるのは、ただ単に物理的にイエス様にさわったという意味ではなさそうです。たしかに物理的には、何十人と言う人々があるいはもっと多くの人々がイエス様のからだを触りました。けれども、彼らはさわっているようで実は、本当の意味ではイエス様にさわっていなかったのです。イエス様を本当の意味でさわったのはたった一人でした。エス様のからだから神様の力を引き出すような触り方をした人はたった一人でした。あの長血の女だけが、信仰をもってイエス様にさわったのです

ですから、イエス様は、(ルカ 8:48)「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさい。」とおっしゃったのです。

 

 エス様にお会いする、イエス様をさわるということはどういうことなのか?私たちは本当の意味でイエス様をさわっているのか?」と、私たちはこの出来事から、考えさせられます。多くの人はイエス様のファンであるかもしれない。イエスの伝記を読むかもしれない。福音書を読むでしょう。そのようにして、イエス様にふれるということをしているかもしれません。けれども、あなたはイエス様のおからだから力が引き出されるような触り方をしているでしょうか?そこが問われているのです。

「娘よ。あなたの信仰があなたを治したのです。」イエス様は、こうおっしゃるのです。たしかに私たちもクリスチャンとして、礼拝の生活をしています。洗礼も受けました。では、私たちは、ほんとうにイエス様を具体的生活のなかで、イエス様のからだから流れてくる「力」を経験しているでしょうか?それは信仰をもってイエス様にふれているかどうかということなのです。あなたは、あの長血の女のように、本気でイエス様を信じてイエス様に触れているでしょうか?

 

(2)社会的にもいやす 

 『誰がさわりましたか?』『だれかイエス様にさわしましたが?」と弟子たちがみんなに問い掛けると、女は震えながら前に出てきました。

ルカ 8:47

 女は、隠しきれないと知って、震えながら進み出て、御前にひれ伏し、すべての民の前で、イエスにさわったわけと、たちどころにいやされた次第とを話した

 どうしてイエス様は、わざわざこの女の人を前に出させたのでしょう。ご自分がなさった奇跡をみんなの前に明らかにするためでしょうか?そうではありません。イエス様はしばしばご自分が行なわれた癒しの奇跡があまり知れ渡ることを望まれないこともあるのです。では、なぜこの場合はわざわざ彼女を公衆の前に引き出すようなことをなさったのでしょうか。それはイエス様の必要のためではなく、彼女の必要のためでした。

 彼女は長血という病気に罹ってから、社会的には孤立した立場にありました。みんなに触れてはいけないとされていたのです。でも、今、確かにその病は癒され、きよめられたということが明らかにされました。これから、彼女は誰はばかることなく、社会の中に生活することができるようになるのです。イエス様は、彼女の肉体を癒してくださっただけではなく、社会的にも癒してくださったのでした。

社会的に癒されたというのは、単にこの町の人々に彼女の癒しが知れ渡ったということだけではありません。そうではなく、彼女自身のびくびくと縮こまっていた心が社会に向かって開かれたということです。彼女は、十二年間、人前に出ることをはばかって生活をして来ましたが、このときみんなの前で自分の身に起こってきたこと、つらかったこと、悲しかったこと、そして、このたびの癒しの御わざを話して、新しい人生の出発をすることが出来たのでした。

 

3 恐れないで、ただ信じていなさい

 

 さて、長血の女が十二年間の身の上話をしているとき、会堂管理者ヤイロはイエス様の傍らでイライラしていました。『先生早く、そんな女にかかわっていないで、私の娘のところに来てください。』という気持ちだったにちがいありません。「女はもう用は済んだではありませんか。早く行きましょう。」という気持ちだったでしょう。

でも、イエス様は長血の女が話す12年分の身の上話にじっと耳を傾けていらっしゃいます。地位も名誉もお金もある会堂管理者の娘であろうと、社会からはけがらわしいとして打ち捨てられた長血の女であろうと、イエス様にとっては同じです。

 そうしているうちに、管理者の家から使いの者が息せき切って走ってきて言いました。「ご主人様、お嬢さんはなくなりました。もう、先生を煩わすことはありません。」(8:49)

ヤイロはその場にへたり込んでしまいます。イエス様はおっしゃいました。恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば、娘は直ります。」(8:50)

 使いの者は、『お嬢様は危篤です』といったのではありません。『死んだ』と言ったのです。それなのに、なおも「恐れないで、ただ信じなさい」とおっしゃるのです。「死は人類最後の敵」であるとも「死は恐怖の大王」であるとも言われます。どんな財力を持つ人も、権力をほしいままにした帝王も、死には決して打ち勝つことはできませんでした。死は人類最後の敵なのです。恐怖の大王なのです。

 実際、ヤイロの屋敷に着いてみると、そこはもう葬式の備えが始まっていました。人々は主人ヤイロの娘の死を嘆いているのです。死を前にしては、誰もが無力感をいだいていました。イエス様は、「死んだのではない。眠っているのです。」つまり、わたしが神の力をもって娘をもう一度目醒めさせようとおっしゃるのです。けれども、人々はイエスをあざ笑ったとまで書かれています。「すでに息が絶えて、心臓の鼓動が止まって、体はつめたくなり、死後硬直も始まっています。何が眠っているだ?」と嘲笑ったのです。死に対しては、たとえイエスでもなんにも出来るわけが無いと思っているからです。

 まことに人間に対して、死は絶対的な力を持っているようです。死は恐怖の大王です。最後の敵です。

 ルカ 8:52-53

 人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。しかし、イエスは言われた。「泣かなくてもよい。死んだのではない。眠っているのです。」

 人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑っていた。

 けれども、イエス様は死に勝利なさったただひとりのお方です「死など恐れるな。死者もわたしにとっては、眠っているも同然だ。」とおっしゃる方がここにいるのです。ご自分の死によって死を滅ぼしてしまわれたイエス・キリストです。

 死は、アダム以来人間の罪に対する呪いとして入ってきたものです。しかし、イエス様はあの十字架の上でその人類の罪に対する呪いとしての死を死んでしまわれました。ご自分の上に永遠の呪いを引き受けることで、私たちを呪いとしての死から解放してくださったのです。イエス様は、死んでいる12歳の娘に向かって命令なさいます。「子どもよ。起きなさい。」(8:54)「すると、娘の霊が戻って、娘はただちに起き上がった」のです。

 涙に暮れていた父親ヤイロも母親も、そして同室を許された三人の弟子も驚愕したにちがいありません。これは病の癒しではないのです。死者のよみがえりです。

 

 でも、私はそれに続くイエス様のおことばを読むときに、つくづくイエス様はすばらしいなあと感動するのです。「それでエスは、娘に食事をさせるように言いつけられた。両親がひどく驚いていると、イエスは、この出来事をだれにも話さないように命じられた。」(56-57節)

 私なら「どうです。先ほど笑った人たち、わたしの力がわかりましたか。」とでも言いたくなりそうなところです。でもイエス様は、ひとこと「この子、おなかがすいているでしょう。なにか娘に食べ物をあげなさい。」とおっしゃったのです。いったい、神さま以外に、だれがこんなことを言えるでしょうか!じ~んと来ます。イエス様はほんとうに素晴らしいお方です。神の御子です。

 

結び

 自分の無力を悟って打ち砕かれて、イエス様の前にひれ伏したヤイロの信仰。また、絶望のなかからイエス様に触れてイエス様のおからだから力を引き出した長血の女の信仰。私たちは前半でこういうことを学びました。

 そして、わたしたちのイエス様は、まことに信頼すべき神です。身分や地位で分け隔てをなさらないイエス様、死の中からいのちを呼び出す権威を持つイエス様は、おなかのすいた子どもにも、やさしいあわれみをかけてくださる神なのです。このイエス様を信じずして誰を信じるべきでしょうか。

 

神のご計画とその実現

Ex3:15-22

2019年2月10日 苫小牧夕礼拝

 

3:15 神はさらにモーセに仰せられた。「イスラエル人に言え。

  あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、【主】が、私をあなたがたのところに遣わされた、と言え。

  これが永遠にわたしの名、これが代々にわたってわたしの呼び名である。

 3:16 行って、イスラエルの長老たちを集めて、彼らに言え。

  あなたがたの父祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神、【主】が、私に現れて仰せられた。『わたしはあなたがたのこと、またエジプトであなたがたがどういうしうちを受けているかを確かに心に留めた。

 3:17 それで、わたしはあなたがたをエジプトでの悩みから救い出し、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の地、乳と蜜の流れる地へ上らせると言ったのである。』

 3:18 彼らはあなたの声に聞き従おう。あなたはイスラエルの長老たちといっしょにエジプトの王のところに行き、彼に『ヘブル人の神、【主】が私たちとお会いになりました。どうか今、私たちに荒野へ三日の道のりの旅をさせ、私たちの神、【主】にいけにえをささげさせてください』と言え。

 3:19 しかし、エジプトの王は強いられなければ、あなたがたを行かせないのを、わたしはよく知っている。

 3:20 わたしはこの手を伸ばし、エジプトのただ中で行うあらゆる不思議で、エジプトを打とう。こうしたあとで、彼はあなたがたを去らせよう。

 3:21 わたしは、エジプトがこの民に好意を持つようにする。あなたがたは出て行くとき、何も持たずに出て行ってはならない。

 3:22 女はみな、隣の女、自分の家に宿っている女に銀の飾り、金の飾り、それに着物を求め、あなたがたはそれを自分の息子や娘の身に着けなければならない。あなたがたは、エジプトからはぎ取らなければならない。」

 

 

1 約束のものを手に入れるために

 

 神様はモーセに対する使命をここできちんと話されます。16、17節。

 3:16 行って、イスラエルの長老たちを集めて、彼らに言え。

  あなたがたの父祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神、【主】が、私に現れて仰せられた。『わたしはあなたがたのこと、またエジプトであなたがたがどういうしうちを受けているかを確かに心に留めた。

 3:17 それで、わたしはあなたがたをエジプトでの悩みから救い出し、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の地、乳と蜜の流れる地へ上らせると言ったのである。』

  次に、エジプトの王パロのもとに行って告げるべきメッセージを話されます。18節。

3:18 彼らはあなたの声に聞き従おう。あなたはイスラエルの長老たちといっしょにエジプトの王のところに行き、彼に『ヘブル人の神、【主】が私たちとお会いになりました。どうか今、私たちに荒野へ三日の道のりの旅をさせ、私たちの神、【主】にいけにえをささげさせてください』と言え。

 それだけではなく、エジプトの王との交渉が難航すること、パロが心をかたくなにすること、しかし、それにもかかわらず神様がその力強い御手をもってエジプトを打ち、彼らはついにエジプトを去ることができるという見通しというか、約束をモーセにお与えになるのです。

 3:19 しかし、エジプトの王は強いられなければ、あなたがたを行かせないのを、わたしはよく知っている。

 3:20 わたしはこの手を伸ばし、エジプトのただ中で行うあらゆる不思議で、エジプトを打とう。こうしたあとで、彼はあなたがたを去らせよう。

  このあと、主のお言葉通りにモーセがしたがい、パロとの交渉が始まりますが、途中で何度もモーセは挫折しそうになったり、イスラエル人たちが不平を言ったりしますが、結局は,神様のおことばどおりにことは成っていくわけです。

 へブル書10:36「あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは、(       )です。」というみことばがあります。(      )にはどういう言葉がはいるでしょうか?・・・・・・・答えは忍耐です。

 神様は約束をくださる。その約束に到達するためには、神のみこころを行なわなければなりません。その向こうに約束の成就があります。そこに到達するまでに、さまざまな試練があるでしょう。挫折もあるかもしれない。しかし、約束のものを手に入れるまでには、忍耐が必要です。

 私は1958年生まれなのですが、この年、世界的な発明がなされました。それはチキンラーメンです。世界初の即席ラーメンです。お湯をかけ2分待てば、ラーメンが食べられるのです。これを発明した安藤百福さんは本当に偉い、忍耐の人ですが、チキンラーメンは現代の人間中心の急ぎ足の文明の象徴のように思えます。機械文明は人間の都合、会社の都合にしたがって、ベルトコンベアを早回しすることによって、待たないですむようになっています。

 けれども、いのちあるものの成長に必須なのは忍耐ではないでしょうか。野菜やお米を作ればわかることです。子供を育てればわかることです。そこには、なすべきことをなし、時を忍耐、待つことが必要です。おぎゃあと生まれてお湯をかけて2分待ったら成人式というわけには決して行きません。

 同様に、忍耐ということ。待つということは、神様が私たちの神のしもべ、神の子どもとしてのいのちが成長のために必須であるということを聖書は教えているのではないでしょうか。私たちの霊的な成長のためにも、忍耐が必要です。

 

2 文化と福音

 

 21節、22節に興味深いことが書かれています。本日の二つ目のメッセージです。

3:21 わたしは、エジプトがこの民に好意を持つようにする。あなたがたは出て行くとき、何も持たずに出て行ってはならない。

 3:22 女はみな、隣の女、自分の家に宿っている女に銀の飾り、金の飾り、それに着物を求め、あなたがたはそれを自分の息子や娘の身に着けなければならない。あなたがたは、エジプトからはぎ取らなければならない。」

  パロはイスラエルの民を迫害します。しかし、エジプトの民は彼らに好意を持つようになります。そうして、はなむけとしていろいろな飾りをくれるのです。出エジプト11:2,3

 この飾りは何に用いられるのでしょうか。まず、彼らはモーセが山に登っている間に不安になって、これでアロンに金の子牛の像を作らせてこれを拝んでたいへん大きな罪を犯しました。出るエジプト32:1-4

しかし、その後,神様の怒りを受けたあと、許されて,今度は神様の幕屋の調度品を造るためにみんな溶かしての材料とされたのです。35:20-21

 

 このことは私たちに文化についてたいせつなことを教えています。私たちは異教の文化のなかに生きています。その文化をむげに否定してしまうことはない。けれども、それをもとの形のまま安易に受け容れて妥協すると異教化してしまって、金の子牛事件のように偶像崇拝の罪に陥る。混合宗教、シンクレティズムです。

 そうではなく、それらをとり入れ、完全に溶かしてしまって、キリストの福音の鋳型に流し込み、神様の御心にかなう文化を作り上げるということがもう一つの道です。恐らくクリスマスは、そうした成功例でしょう。イエス様の誕生の時、羊飼いたちが荒野で羊を飼っていました。それはおそらく5月か6月であったことを意味しています。では、教会はキリスト降誕の記念を12月25日としています。それはヨーロッパ世界に福音が広がっていったときに、ケルト人やゲルマン人が行っていた冬至の祭りを換骨奪胎したものだと言われています。暗く長い夜が、この日を境に短くなり、日の光が日々強くなっていくことと、暗闇のこの世にいのち光、義の太陽であるキリストが来られたことを重ねて、当時の祭りに伴っていた異教的習俗をすっかり中身を取り去ってしまって、キリストの祭りとしたのでした。

 すでに行われている日本の教会の実践例は、1月1日の元旦礼拝、11月の子ども祝福式でしょう。ほかにも可能性があることでしょう。

しかし、今はーー小事と大事

ローマ15:22-33

 

2019年2月10日 苫小牧主日礼拝

 

15:22 そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、

 15:23 今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行く場合は、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していましたので

 15:24 ──というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです、──

 

 15:25 ですが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。

 15:26 それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。

 

 15:27 彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。

 15:28 それで、私はこのことを済ませ、彼らにこの実を確かに渡してから、あなたがたのところを通ってイスパニヤに行くことにします。

 15:29 あなたがたのところに行くときは、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと信じています。

  15:30 兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。

 15:31 私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように。

 15:32 その結果として、神のみこころにより、喜びをもってあなたがたのところへ行き、あなたがたの中で、ともにいこいを得ることができますように。

 15:33 どうか、平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。

 

 

                                                                               

1 使徒パウロのビジョンエルサレム→ローマ→イスパニア

 

 使徒パウロは、今、小アジアのエペソという町にいて、このローマ教会への手紙を書いています。彼は「異邦人への使徒」という任務をイエス様から受けていました。

 パウロが抱いていた宣教のビジョンは、遠くイスパニアつまりスペイン、大陸の西の果てにまで福音を伝えに行くということでした。パウロの同労者であった医者ルカが書いた使徒の働きの1章にあり「地の果てにまでわたしの証人となります」という主イエスのことばの「地の果て」を、パウロは具体的に「イスパニアまで」と思い定めていたわけです。その向こうは大西洋です。はるかイスパニアにまで福音をあかしするという、胸ふくらむような遠大なビジョンです。彼は「異邦人の使徒」として召された自分の使命を、地の果てイスパニアにまで福音をもたらすことであると自覚していたわけです。その途上にローマに寄りたいと思っていたのです。22ー24節

15:22 そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、

 15:23 今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行く場合は、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していましたので

 15:24 ──というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです、──

   パウロは西へのキリストの福音をもたらそうとしていたわけですが、他の使徒や伝道者たちはどうしていたのかお話しておきます。南のアフリカに福音をもたらしたのは、伝道者ピリポであったと使徒の働きにあります。彼はエジプトからやってきた王の宦官に、イザヤ書53章からキリストの福音を伝えたのでした。エチオピアの王室にはそうしてキリストの福音が入り、以後、今日にいたるまでエチオピアではキリスト教がさかんです。

  東は古代のインドにまで福音を伝えたのは使徒トマスでした。それは単なる伝説であろうと長年にわたって思い込まれていたのですが、二十世紀になってインド西岸に古代のキリスト教礼拝堂とコミュニティがあったことが確認されました。

   ペテロ、トマスの関係でシリヤ、アッシリヤ方面から、さらにシルクロードを介して中国にまで宣教していった伝道者たちもいました。私は数年前にスウェーデンに教団の用事で出かけたことがありましたが、そこにアッシリア教会というのがありました。アッシリアに福音をもたらした教会はペテロの流れでした。

   そこから、さらに中国へとアブラハムという名の宣教師が遣わされました。彼が中国に入って皇帝に会ったのは唐の二代目の太宗皇帝(626-649)のときでした。中国側の記録では阿羅本といいます。

 しかし、数年前のニュースで中国では1世紀終わりころから2世紀のキリスト教徒の墓が見つかったと言っていましたから、もっと早い時代にキリスト教は伝わっていたようです。  それぞれに宣教のビジョンにしたがって、いのちをかけて福音のために出かけて行ったのでした。

 

2 ですが今は

 

 ローマ書に戻ります。彼の胸には壮大なビジョンがありましたが、使徒パウロには、その前に成し遂げなければならないことがありました。それは、イスパニア行きに比べれば、地味な使命です。しかし、非常な危険をともなう使命です。それはエルサレムの教会に奉仕をしに行くということでした。

「ですが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために據金することにしたからです。」

 

 エルサレム教会に據金をとどけることには二つの理由がありました。

 

(1)弾圧下にあった

 

 第一は、エルサレム教会がユダヤ当局から激しい迫害の下にあって、経済的にも困窮していたからです。弾圧が始まって以来、多くの信徒たちは信仰をまっとうするためにエルサレムを逃れて、ほかの町町に暮らすようになっていましたが、ペテロたち使徒たちをはじめ少数のユダヤ人クリスチャンたちはあえてエルサレムにとどまって、その地で教会を守っていたのです。エルサレム教会は、当時の地中海ではセンターチャーチの位置にありましたから、これを文字通り死守しようと考えて地下教会として歩んでいました。

 当時のユダヤ社会においてキリスト教信仰を持つ者になったということは、けっして並大抵のことではありません。彼らは会堂から追放されました。会堂から追放されるということは、単にユダヤ教礼拝に加われなくなるということではなく、日本風にいえば村八分にされる、市民権を奪われるということを意味していたのです。国家の保護の外に置かれることです。当然、職業を持つことも並大抵ではなくなり、生活も当然困窮しました。しかし、エルサレムの教会にあえて踏みとどまろうとしたのは、エルサレム教会は当時としてはいわゆる総本山としての教会であったからです。福音はエルサレムから始まって、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで宣べ伝えられるというのに、神の都エルサレムにある教会を失うということは考えられなかったのです。

 現状を知り、エルサレムの兄弟姉妹のいのちがけの覚悟を知ったマケドニア地方、アカヤの教会は、エルサレム教会へ醵金(コイノニア)をして届けることにしたのです。拠金とはコイノニアと言います。具体的に、エルサレム教会に経済的支援をしようとしたのでした。同じ主にある兄弟姉妹たちが生活困窮しているのに、自分たちだけ安全と幸福を満喫しているわけには行かないと感じて、彼らは喜んでこの醵金に加わったのです。

 教会における「コイノニア」(交わり)とは、「共有」を意味しています。主にある兄弟姉妹の貧しさを私の貧しさとしても分かち、私の持っているいくばくかの富をも分かとうとするのです。喜ぶ者とともに喜び、悲しむ者とともに悲しむ。それが教会のコイノニアであります。教会は単なる公民館のサークルのような集いではありません。運命共同体、キリストのからだなのです。

 また教会とは単に一つの地域にある教会だけではなく、地域を越えた諸教会全体をも意味しているのです。マケドニアの教会の兄弟姉妹は、まだ一度もエルサレムの教会の兄弟姉妹の顔を見たことなどはないのです。けれども、たがいにキリストの一つのからだに属する兄弟姉妹であるといういきいきとした意識を、聖霊様によっていただいていたのでした。

 

(2)パウロの宣教の正統性を確認するため

 

 パウロエルサレム教会にぜひとも行き、據金を届けねばならなかった第二の理由は、パウロが今日まで命がけでアジヤやマケドニアに伝道して設立してきた諸教会が、正統のキリストの教会の交わりのうちにあるものだということを確認するためでした。

 というのは、エルサレムユダヤ人教会の中の一部にはいまだにユダヤ主義者がいて、彼らは異邦人も旧約聖書にある割礼をはじめとするもろもろの儀式を守らなければ、救われることはできないと考え、パウロが福音を宣べ伝えるのを妨害さえもしていたのです。そして、どうやらパウロの働きについて、根も葉もない悪い噂をエルサレムのセンター教会に告げ口している連中もいるらしいのです。パウロはイエスを信じたら、罪を犯しても平気だと教えているなどという福音の曲解を伝えていたようです。

 そこでパウロはローマに行き、はるかイスパニアに伝道をしに行く前になんとしても、今日までのアジア、マケドニアの諸教会における福音の働きがまっとうなキリストの働きであり、設立された諸教会はキリストの正統な教会であることをエルサレムの総本山の使徒ペテロたち確認させる必要があったのです。そこでアジア、マケドニアの教会からの醵金の奉仕も受け取ってもらわねばなりませんでした。もっとも、『使徒の働き』を読むと、パウロが心配したことは杞憂であったことがわかります。使徒ペテロたちはパウロが勧めた福音のわざを喜んで認めたからです。

 こうして集めた據金をエルサレムパウロは届けようとしていました。

 

3 小事と大事

 

 けれども、使徒パウロエルサレムへ行くということには、実はたいへんな危険をともなっていたのです。ユダヤ当局が、彼らからいえば、憎むべき裏切者であるパウロを逮捕しようとしていたからです。ユダヤ当局は、パウロはかつてキリスト教会迫害の急先鋒であり、もともと自分たちの仲間であったくせに、自分立ちを裏切って異邦人にまことの神による救いを宣べ伝えているとんでもない男でした。使徒の働き20:22-24をごらんください。 

 「20:22 いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。

 20:23 ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。

 20:24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」

 ここにはエルサレム途上のパウロの記事が書いてあります。使徒はエペソの長老たちに決別説教をしています。使徒は死を覚悟していました。ですから、使徒パウロはローマ教会の兄弟姉妹に、まず、エルサレムでのこの困難な奉仕がまっとうできるように熱心にとりなし祈ってほしいと切望しているのです。

「兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈って下さい。私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように。」(30、31節)

 ローマに行くには、そして、その向こうのイスパニアに福音を宣べ伝えるというビジョンの実現には大きな難関がパウロの目の前にあったのです。しかし、パウロは、まず今目の前にあるエルサレム行きを回避せず、それをなんとしてもなし遂げてから、その先の使命を果たそうとしていたのです。かりにエルサレム行きのために死んでもいいと覚悟していたのです。実際、パウロは56年にエルサレムに行き、任務を果たした後、パウロは逮捕され、獄に投じられて裁判にかけられ、その後、船でローマに護送されてローマ着は3年後のことになり、イスパニア行きは実現したかどうかは不明ですが、67年にネロの迫害下でローマで殉教したということです。

 

<まとめ>

きょうは、特に神の御心の実現と私たちの格闘、奮闘、との関係について学んでおきたい。

 

(1)小事と大事

 エルサレムを通らないでは、ローマにもイスパニアにも行くことはできないということです。神がくださった大きなはるかなビジョンというものがある。しかし、今、主のために果たさなければならないことは、そのビジョンの実現には妨げになるように思われる場合がある。そうしたときエルサレムには行かないでさっさとイスパニアに行ってしまいたいと思いがちかもしれません。

 大事のためには、小事はスルーしてしまうということが世間ではよく言われることだと思います。しかし、それはパウロの取った行動とは違うようです。大事のためには小事を犠牲にするのはやむを得ないという考え方は、人間の目には合理的です。もちろん小事というのはやたらと細かいことにこだわりなさいというわけではありません。エルサレムの貧しい兄弟姉妹に義援金を届けるための愛のわざ、しかし、いのちの危険をともなうわざでした。使徒パウロは、たとえ、エルサレムでの奉仕のために死んでも良いという覚悟で、これに取り組みました。

 主イエスは小事に忠実な者は、大事にも忠実であるとおっしゃいました。今という時の小事(小さなこと)に忠実な者は、後の日の大事、大きなことにも忠実である。小さなことに忠実な者に、主は大きなことをも任せて下さるのです。

 

(2)熱心な祈り

 もう一つは、主のための働きをしようとするとき、他の兄弟姉妹たちに祈ってくださいと率直に頼むことが大事だということです。ときどき、どういうわけか、兄弟姉妹に祈ってくださいと依頼することに躊躇する人がいます。たしかに、あまりにも個人的なことであり、自分の利害にだけ関係があることの場合には、そういう気持ちになることは理解できます。しかし、主の働きのため、主のご栄光のために自分が何事かをなそうとしているならば、祈ってくださいとせつに求めることは大事なことです。私たちは兄弟姉妹の祈りの支えなしに、どんな主のわざをすることもできないからです。

15:30 兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。

  祈りによる同労者を募ることが大事なのだと教えられました。

 ですから、私も兄弟姉妹に3つの祈りをお願いします。

 第一は、土曜日の夜には、忘れることなく、必ず牧師が明日は聖霊に満たされて説教をすることが出来るようにせつに祈ってください。

 第二は、牧師がウィークデーの歩みの中で、主の福音をまだ知らない方たちに、福音を毎日あかしするチャンスを得ることができるように、せつに祈ってください。

 第三は、今厳しい迫害下にある隣国の主にある兄弟姉妹のために、祈ってください。

福音はキリスト

ロマ1:1-7                                       

2018年1月7日苫小牧

 

<一般的紹介>

 ローマ書は、世界の歴史に大きな影響を与えてきました。4世紀、西方教会最大の教会の父、「西洋の教師」と呼ばれるアウグスティヌスはローマ書13章によって回心しました。16世紀、マルチン・ルターはローマ人への手紙の研究によって、信仰による神の義を発見し、それが宗教改革へと発展し、ヨーロッパ文化全体を変革するものとなりました。カルヴァンもまたローマ書の構造をもって、『キリスト教綱要』を記しました。もしローマ書がなかったならば、ヨーロッパと米国の歴史はずいぶんちがった姿になったでしょうし、したがって、世界の歴史も大きくちがっていたでしょう。ジョン・ウェスレーはルターの『ローマ書序言』の朗読を聞いて、福音の神髄を悟り、リバイバル運動にまい進しました。そうしたリバイバル運動が世界宣教に広がって、日本にもまた福音が届いたのです。ローマ書はそういう意味では革命の書です。一個人の人生の革命の書であるばかりでなく、また教会の革命の書であるばかりでなく、世界の革命の書です。

 ローマ書の内容についての一般的特徴。ティンデルは「ロマ書は全聖書に到るための光であり、道であるのだから、わたしは、キリスト信者というキリスト信者はみな、ただこの書を知るだけにとどまらず、またただ丸暗記するだけにとどまらず、自分の霊魂のための日ごとの糧として、いつでも、たえまなく注意を払っていなければならない。」と言いました。またカルヴァンはローマ書は「聖書の宝庫のすべてを私たちに開いて見せてくれるものである」と言いました。また、ルターは「ローマ書は新約聖書の主たる書で、最も純粋な福音である」と言いました。また「ロマ書は聖書全体の輪郭を説いている所の、新約聖書すなわち福音の最も完全な要約であり、その福音を最も手短に、最もはっきりとあらわしている本である。」とも言いました。聖書66巻のなかでローマ書ほど福音の真理を全体的に明確に解き明かした書はほかにありません。

 

<執筆事情>

 ローマ書は、使徒パウロがコリントの町のガイオの家にいたときに、ローマのクリスチャンたちに当てて書いた手紙です(16:23) 。方法は口述筆記で、筆記者はテルテオでした(16:22) 。そして、フィベという人がこの手紙をローマまで携えて行ったのです(16:1-2) 。ローマ書は聖書66巻の中でもっとも神学的体系を整えたものではありますが、手紙です。使徒パウロがローマにある教会の兄弟姉妹を思い浮かべながら熱弁することをテルテオが筆記したのです。

 書かれたのは紀元59年。使徒パウロはすでに60才ほどであったと思われます。皇帝ネロの治世の5年目でした。キリスト教徒迫害の5年前です。パウロもこの手紙の数年後、ローマに行くことになり、そして殉教したと伝えられます。

 当時、都ローマはとても栄えていました。ローマは世界最大の国際都市で、「世界の道はローマに通ず」というように、文化・経済・政治の中心でした。世界のあちらこちらから、富と文物そして色々な人種がローマに集まってきておりました。手紙を読んで行くとわかるのですが、ローマ教会のメンバーにはユダヤ人も異邦人もおりました。このローマ教会はパウロが設立した教会ではなく、だれかほかの人によって始まったものでした。

 世界宣教を志すパウロとしては、この帝都ローマに行きたいと切望していました。その心情は1章8節から13節によく現れています。

 

<目的>

 ローマ書の書かれた当面の目的は、世界の人々があつまり世界の思想や宗教が集まるローマの教会の人々に、キリスト教信仰を筋道を立てて体系的に語るという必要があってのことと思われます。しかしほかのパウロの手紙と同様に、ローマの教会にとどまらず、書き写されて世界中の教会に回覧されることを意図していました。特に、コリント人への手紙などは、ある教会の特定の問題について語っているのに対して、ローマ書はもっと雄大で普遍的に全世界に向かって福音のなんたるかを明らかに教えています。したがって、ローマ書は21世紀の日本に生きている私たちに宛てられた手紙なのです。

 

1.奴隷・使徒パウロ

 

 使徒パウロの手紙の冒頭は、当時の手紙の形式によるあいさつです。すなわち、「だれそれから、だれそれへ、神とキリストからの恵みと平安があるように。」というスタイルです。しかし、手紙ごとにその「だれそれから」の部分、つまり自己紹介が少しずつ違っています。ローマ書では言います。「神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ」。ここは原文の語順通りに訳すと、「キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロ」(新共同訳)となります。つまり、ここにパウロは、「しもべ」かつ「使徒」として自分を紹介しているのです。

 

(1)「キリストの奴隷」

 「しもべ」と訳されていることばはドゥーロスと言って、奴隷ということばです。しもべと訳されることばはほかにディイアコノスというものがありますが、ドゥーロスはディアコノスよりももっと強い印象のことばです。ドゥーロスというのはデオー(結ぶ、縛る)ということばからできたことばで、「縛られ拘束された者」ということです。キリストの奴隷、キリスト・イエスに縛られたものということです。心もからだもキリスト・イエスのものということです。

 使徒パウロは、若い日はサウロという名でした。サウロはユダヤ教パリサイ派の教師で、大学者ガマリエルの門下に訓練された俊才でした。イエス様の復活と昇天の後に、キリスト教会が宣教を始めたとき、サウロは迫害に乗りだしたのです。信者とみれば老若男女を問わず縛り上げて牢獄にぶち込み弾圧したのです。ある日、サウロは迫害の意気に燃えてエルサレムから離散してダマスコに逃亡したクリスチャンたちを捕らえるために出かけました。ところが、ダマスコ門外まで来たとき、サウロは復活のイエスの現臨に打ち倒されてしまいます。彼は声を聞きました、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか?」サウロは言いました、「主よ、あなたはどなですか。」「わたしはあなたが迫害しているイエスである。」・・・こうしてサウロは180度方向転換をし、キリストによって異邦人への福音宣教のための使徒とされたのです。

 この経緯を見ればわかるように、サウロがキリストを求めたのではなく、実にキリストがサウロを求めたのでした。サウロがキリストを捕らえたのではなく、キリストがサウロを捕らえたのです。キリストがサウロを御自分の奴隷として召されたのです。「キリスト・イエスの奴隷パウロ」と自己紹介するパウロは、まさにキリストに捕らえられた人でした。

 「奴隷」とは主人の所有物なのです。奴隷ということばの印象は悪いのではないかと思います。しかし、パウロは自分がキリストの奴隷であることを喜んでいます。それは、パウロに言わせれば、人間はキリストの奴隷つまち義の奴隷であるか、罪の奴隷であるかのどちらかであるのです。ならば当然義と愛にみちたキリストの奴隷であることはすばらしいことです。

 また、聖書において奴隷というのは米国の近代奴隷とはちょっと違いまして、アブラハムの奴隷がご主人さまの息子イサクの嫁を迎えに行ったように、主人の代表権をときには与えられるような職務なのです。彼は福音を託されてキリストの奴隷として、キリストから福音を託された代表者です。その使命の光栄さのゆえにキリストの奴隷であることを彼は喜んでいます。

 

(2)「使徒

  パウロの自己紹介のもう一つは、「神の福音のために選び分けられた使徒です。使徒とは使命を与えられ派遣された者という意味です。福音宣教という使命を託されて派遣されたパウロでした。パウロはかつて神の救いはユダヤ人だけのものであると信じていたものでした。ところが、キリストはパウロを特に異邦人に福音を宣べ伝える「異邦人への使徒」として派遣しました。彼は14節、15節で、その使命感を披瀝しています。

「私は、ギリシャ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです」と。

 使徒は、二千年間の教会の歴史において最も栄光ある職務です。キリストに直接お会いし、キリストによる任命を受けた者のみがこの職務についたのです。ほかの11人の弟子とはちがって、パウロはイエスの公生涯の三年間には同行しておらず、新約の教会がスタートしてから、復活のキリストに捕えられたのです。だから、彼の使徒としての正当性に対して疑義を向ける人々もいました。しかし、確かに復活のキリストがパウロを異邦人への使徒として直接にお選びになりました。

 しかし、その栄光ある職務、立場についた者であればこそ、パウロは自分は奴隷として仕える者なのだと自覚するのでしょう。奴隷とは自分のしたいことをするのではなく、ただひたすらに主人が望むことをするのです。キリストの奴隷こそ、キリストの使徒としてふさわしいのです。それは、主イエス・キリストご自身が、自分の望むことではなく、父なる神の望むことを成し遂げられたのです。ご自分の望みを、父の望みに一致させたのです。キリストの奴隷として、使徒として、パウロはキリストの混じりけのない福音を語ろうとしています。

 

2.福音はキリスト

 

  「福音」=良い知らせ

 2節から6節までは、長い挿入文となります。文の流れとしては、一節の「パウロから」から7節の「ローマにいるすべての、神に愛されている人々へ、召された聖徒たちへ」とつながっているのですが、この一節と七節の間に長い挿入があります。それは一節の「福音」ということばを受けてのことです。パウロは口述しているのですが、「福音」ということばが口から出たとたんに、福音について語りださないではいられなかったのです。使徒パウロの福音宣教への情熱のほとばしりを感じます。もう最初のあいさつから、福音を語らないではいられないのです。

 福音とはエウアンゲリオンすなわち「良い知らせ」という意味です。ではパウロはここで福音を何だと説明するでしょう。2、3節の修飾部分を省略すれば、「この福音は・・・御子に関することです。」となります。 福音はキリストに関することでって、人間に関することではない。福音とはキリストがだれなのか、何をなさったのかということである。福音とは人間が何者か、人間がなにをするかということではありません。

 救いは、人間が何者であり、人間が何をしたかということによるのではない。人間の救いは、キリストが誰であり、キリストが何をなさったかということによるのである。そういうことです。

 「私はこんな人だめな人間だとか、いや私は立派だとか、あるいは私は不道徳だとか、私はまじめだとか、私は学歴があるとかないとか、私は金持ちだとか、私は貧乏だとか、私は性格が良い、私は性格が悪い」とかそういうことは、救いについて無関係です。福音はキリストが誰であり、何をなさったか、なのです。

 日本人はしばしば「何を信じても良い。信じることがたいせつなのだ。」などと言います。信じる対象は鰯の頭でも、豚の鼻でもなんでもよい。信じるという行為、その心理作用が大事だというのです。しかし、キリスト教信仰においてはそうではない。何を信じるかが、どう信じるかよりも大切です。神でないものを神と信じ、救い主でないものを救い主と信じても何もならない。なにもならないどころか、たいへんな損失を被ります。真の神、真の救い主を信じてこそ、救いはあるのです。

 日本人が何を信じてもよいと思うのは、結局自分の力で生きるしかないと思っているからなのでしょう。しかし、御子に関する知らせが福音(よい知らせ)と呼ばれるのは、そのメッセージが人間が何をしなければならないということではなく、神の御子が救って下さるということだからです。福音とは、救いが神の御子キリストによってもたらされたということなのです。福音は、天国に行くための難行苦行の教えや努力目標ではなく、天国があちらからやってきたという喜ばしいニュースなのです。

 では、その御子はどのような方として語られるでしょうか。パウロは二つの方面から御子キリストがだれなのかということを語ります

 

 3b、4節。「肉によればダビデの子孫として生まれ、聖い御霊によれば」

 「肉によれば」これは血統としてはダビデの子孫という意味です。メシヤはこのダビデの血統から出現するということは、旧約の預言者たちがずっと予言していたことです。特に、ユダヤ人たちはそのことをよく知っていました。たとえば、イザヤ9:6-7。

 「きよい御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方」主イエス聖霊によって乙女マリヤに宿り、聖霊によって復活なさって死に対する勝利者であることを示し、自分が神の御子であることをあきらかにされました。

 

 福音は御子キリストに関することです。では、キリストは誰なのか。

①キリストはその誕生の二千年前から予言され待ち望まれ、ダビデの家系に聖霊によって受されたメシヤであり、

②また、聖霊によって、十字架において罪と死に打ち勝ちよみがえった神の御子です。

 福音は、人間の救いはこの方にかかっているのです。このキリストが私たちの救い主として来られ、私たちを罪と死から救い出して下さるのです。私たちが自分で自分を救うのではない。神の御子キリストあなたを救うのです。これが福音です。

 

結び.ローマの人々へ、苫小牧の人々へ

 

 あて先。「ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。」ローマの人たちよ、あなたたちも神に愛され、神によってこの世から呼び出された者なのですね、という思いを込めてのことばです。主があなたがたを、ご自分の民としてお召しになったのです。あなたがたが神をもとめる以前に、神があなたがたを求めて愛してくださった。あなたがたが神を呼ぶ前に、神があなたがたをお召しになったのです、と。

 今朝ともに神を礼拝している私たち一人一人も、神に愛され、神のお召しにあずかった者たちです。私はあのとき自分で教会に行き始めたとか、自分で聖書を読み始めたと思うかもしれませんし、それも事実ですが、それも実は、神があなたを呼ばれたからなのです。私たちが神を求める前に、神が私たちを求め、御子イエス・キリストをくださった。これが福音、よき知らせなのです。

 こういうわけで、ローマ書はその最初のあいさつからして、人間が救われるのは、人間の行いによるのではなく、神がキリストにおいて表わされた愛と召しによるのである。救いは神の恵みであるということを示しています。それこそ福音であります。

 この福音に、私たちも与っているのです。なんとすばらしいことでしょう!

 パウロはキリストの奴隷また使徒として、このよき福音のあかしのために選ばれました。パウロだけではありません。私たち一人一人も、キリストの奴隷とされて、サタンから自由にされ、キリストのよきしらせ、福音のために遣わされているのです。